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七十九 手に入れたものの特権
しおりを挟むその後のことは、敢えて言う必要もないほどに、充実していた。旅館で出て来た手間のかかった料理に舌鼓をうち――案外、こういった芸術品みたいな非日常の食事を、律が好んでいることも知った。普段は牛丼やらコンビニが多い俺たちだが、律は食事への意識は高いらしい。俺なんかは、なんでも焼いて食えば良いんじゃないかと思うタイプだが、律は職人の技術や和食の伝統的な分化なんかにもしっかり興味があるらしい。そういえば工業デザインが本職だし、こういう『うつくしいもの』は昔から好きだったのかも知れない。
(手料理――覚えようかな)
俺は実家では一度も包丁を握ったことがない。「男子厨房に入るべからず」というやつで、まあ「そんなことより勉強しろ」、という感じだった。ゆえに調理実習で作った、基本的なこと、キャンプで作った水っぽいカレー、大学になって友達の家で適当に作ったラーメン(袋のインスタントだ)やヤキソバ、チャーハンといったレパートリーである。なお、味は保証しない。
そんなわけで『美味い飯』というのを意識したことがない。うちの母親は料理はするが、ガチガチに栄養だの健康だのを考える人だったので、味は二の次だった。頭のためにはDHA、卵に大豆、緑黄色野菜。健康な男子にはちょっと物足りなく、それほど美味しいと思える食卓ではなかった。父と兄は文句の一つをいったこともなかったが、俺は友人の家で食べるハンバーグの方が美味しかった。
そういう家で育ったせいで、食にそれほどこだわりがなかった。だが、律は違う。外にある美味しいものを教えてくれたのは、いつだって他の人間だ。母親が見たら「身体に悪い」と顔を顰めるんだろう。健康なのは素晴らしいことだし、母親の努力には頭が下がる。けど、人間はそれだけじゃ生きられない。食べる楽しみを、俺は知ってしまったのだ。
そしてそんな俺が、律に美味しいものを食べてもらいたいと思うようになっている。そして、自分で作ってみたいとも思うようになっている。驚くほどの変化だ。でも嫌な変化ではない。
「これ作れるかな」
出汁のきいた綺麗な椀を手に律に聞いてみた。美しい具材は一つ一つ、丁寧に作られている。
「出来るわけないだろ」
せっかく聞いたのに一蹴された。まあ、そりゃそうだ。これは技術があるから出来ることだ。仕方がない。俺が料理をしないのは知っているし。
そんな話をしながら、料理と一緒に酒も楽しんだ。普段は発泡酒が多く、たまにビールという典型的な会社員な二人だが、今日は雰囲気に合わせて日本酒を頼んだ。良い食事と良い酒、ついでに浴衣姿の可愛い恋人。こんなに幸せな日があって良いんだろうか。
(良いはずだ)
手に入れたものの特権だな。
しみじみと幸せをかみしめていると、律が「どうかした?」と小首を傾げた。風呂上がりのせいもあって、とても魅惑的だ。
「や。幸せだと思って」
「……。お、れも」
照れたように目を逸らす律に、フッと笑う。年上なのに、マジで可愛い。何十年経っても、きっと律の可愛さは変わらないんだろうと、しみじみと思った。
なんとなく旅館のスタッフに、恋人だと知られているんだろうと雰囲気で感じながら、食事処をあとにして部屋に戻る。二人とも酒が回っているうえに、思ったより腹がいっぱいになったせいで、結局風呂で二回戦はしなかった。その代わりに、ベッドの中でじっくりとイチャイチャした。絡み合っては休憩して、また絡み合う。そんな感じで、結局夜明けまで抱き合っていたのだった。
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