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五十八 寮内同棲、始まってます。
しおりを挟む目覚ましの音に目を覚ます。俺は「うーん」と伸びをしながら、上体を起こした。
「ふぁ……もう朝か」
欠伸をして、隣に眠る吉永を見る。目覚ましを掛けていても、吉永がこの時間に起きたことは殆どない。朝が弱いのだ。
「おはよ」
ちゅ、と頬にキスをして、ベッドから抜け出る。最近の俺は、セックスをしてもしなくても、吉永と一緒に寝ている。寮内同棲状態だ。大抵は吉永の部屋で過ごすが、俺の部屋のこともある。
吉永はピクンと目蓋を動かしたが、またピンク色の唇を僅かに動かしただけで、眠りに落ちたようだ。
俺は寝巻き代わりのTシャツを脱いで、シャツを羽織る。吉永の部屋には、俺の私物が増えた。
(じゃ、先に行くぞ)
と、脳内で告げて、俺は部屋から出ていった。
◆ ◆ ◆
私生活が充実しているということは、全てにおいて良い流れを産み出すようだ。最近の俺は、順風満帆と言って良い。仕事もうまく行っているし、友人関係も問題ない。当然、恋人との甘い関係もだ。
唯一の懸念事項は、未だ問題を先送りにしている河井さんのことと、疎遠になっている実家のことだろうか。
(まあ、河井さんのほうは、何かアクションされたら断るしかない。実家は――)
実家の方は、そろそろ顔を出さないと、うるさそうだ。
実家の方も、今のところ先送りしている問題の一つと言えるだろう。兄に言われたように、俺の「好きに」生きる選択をしようと、今俺は足掻いている最中だ。もしかしらまた怖気づいてしまうかもしれないけれど、吉永の手を離すつもりはない。怖気づいて、不安になっても、今度は吉永と向き合って生きて行く。
(母親は、反対するだろう)
ほぼ、100パーセントと言っていいと思うくらい、母は俺が吉永と付き合うことを反対するだろう。けれどまだ、生き方を決められないのは事実だし、先送りしている。少なくとも、今はまだ吉永との関係は秘密だ。そうなれば、実家に帰らない理由がない。
(行きたくはないけどさ)
そう思いながら、ハァと溜め息を吐いてディスプレイを見る。任された仕事は山積みで、言い訳なしに忙しい。それを理由に帰らないことはいくらでも出来るけれど、正しいかどうかは解らない。
(考えるほどに気が重いな……)
普通に考えて、男の恋人が居るなんて知ったら、動揺すると思うし。まして、うちの両親は『間違った』道に進むのを酷く嫌う人たちだ。あんな両親の板挟みに長いことなっていた兄は、大変だったと思う。
(そういや)
兄が、俺が『お前の味方だよ』と言ってくれたことを思い出す。多分、兄は本心から言っていて、その時になれば俺の味方でいてくれるのだろう。
(……心強いな)
ここからどうなるのか分からないけれど、味方がいるというだけで、心強い。それが家族ならなおさらだ。
(今度、連絡とってみようかな)
男性の恋人が出来たと言ったら、どんな顔するだろう。
不思議と、兄は否定しないで、喜んでくれると思えた。
◆ ◆ ◆
仕事を終え、夕暮れ寮に帰る。残業を一時間ほどしてきたので、帰り道には人通りがない。
(この時間なら、まだ飯あるかね)
食堂自体は閉まっているだろうが、この時間なら飯はあることが多い。大抵はおにぎりにして置いてあるのだ。それもなければカップラーメンか、誰かが持っている食料を漁るしかない。
寮の門に近づいたところで、背後からブロロロとエンジン音が聞こえて振り返った。
バイクが二台、こちらに近づいてくる。門の前で減速し、すぐ横で停車した。
「お。今帰り? お疲れ~」
ヘルメットを外しながら、間の抜けた声を出したのは、夕暮れ寮の寮生でもある鮎川寛二だ。鮎川は寮でも古株で、気弱そうな見た目の男である。何をしても怒らなさ過ぎて、寮内では『仏の鮎川』などとあだ名がついている。
「久我先輩ちーっす」
もう一台は同じく寮生の岩崎崇弥だ。ピンク色のド派手な髪をした、若手社員である。岩崎は今年度入社組で、もうすぐ入寮して一年になる。何故かこの若い青年は、寮でも古株の鮎川によく懐いていた。
「鮎川に岩崎も。二人そろって、ツーリング?」
「ああ。ちょっと走らせてきた」
そう言いながら鮎川が岩崎のピンク色の髪をくしゃっと撫でた。岩崎は犬っころみたいに嬉しそうにしている。バイクのイメージはなかった鮎川だが、岩崎の影響なのか時々走らせているらしい。
「良いなバイク。楽しそう」
「楽しいよ。でもまあ、この辺りはバイクより車の方が便利だろ」
「まあね。でも寮だと正直、要らないからな」
「会社近いからな」
そう言って鮎川が笑う。
「寮を出たら車も欲しいけどな。バイクも買ったばっかりだし……」
「ん? 寮を出る予定でもあんの?」
鮎川の物言いに、そう問いかける。岩崎も初耳だったのか顔を上げた。
「ああ。別に今すぐじゃないけど、さすがに長く住んでると会社がうるさくてね。でもまあ、岩崎も居るし。もう少しいるつもりだけど」
「アンタが居ないなら俺も寮出る」
岩崎がすかさずそう言う。よほど懐いているらしい。誰かが忠犬と茶化していたのを思い出した。
「ああ、うん。でも、岩崎もせっかくだからもっと寮生活をした方が良いと思うしね」
ポンポンと頭を撫でながら、鮎川はそう言った。鮎川の中では、岩崎を連れて行くのは自然な事らしい。
(なんか、うらやましいな)
二人の関係性が、素直に羨ましかった。岩崎は鮎川についていくのが当然だと思っているようだし、鮎川は岩崎を連れて行くのを当然だと思っている。そういう自然さが、二人の距離が、羨ましい。
(俺は、どうだろう)
吉永は、どうなんだろうか。
寮限定で親しくするつもりはないけれど、未来のことはまだ分からない。
ただ、今は。
今は、二人の時間を、大切にしたい。それだけなのだ。
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