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四十三 もう一度。

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 電車の窓に映る風景をボンヤリと見る。沿線上の明かりはまばらで、民家はあまりない。黒い風景のほとんどは田畑で、街灯もないのだろう。道路らしい場所だけが、車の明かりで光っている。

(兄貴、明るかったな)

 兄の笑う表情を、家では殆ど見なかった。まだまだ芽が出ない漫画家志望だが、夢に向かっている今の自分のほうが好きなのだろう。「好き」なだけならば、趣味でも良い。だが、兄はそうはならなかった。どれほど苦しい道でも、それを選んだ。

 羨ましい。正直に、そう思う。

(俺に夢って、あったかな)

 学校で将来の夢を書かされて、なんとなく「野球選手」とか書いた記憶はあるけれど、本当になりたかったわけじゃない。それほど強いあこがれを、何かに抱いたことはなく、何かに夢中になったこともなかった。何かを夢中になって、好きになっても。母親に取り上げられる未来が見えていたから、最初から好きにならなかったのだろう。兄を横目に見て居れば、それぐらいの知恵は着く。

「好きに生きて――良いのか」

 ポツリ、呟く。吐息が僅かにガラスを曇らせた。

 両親に、反抗したことはなかった。高校を決めた時も。大学に進んだ時も。会社を選んだのも、父の勧めが大きかった。母は、地元に就職して欲しいと言った。黒い髪の、大人しそうな女の子を選ぶようになったのは、少しギャルっぽい彼女が出来た時に、母親に反対されて別れてしまったからだ。彼女は「マザコン」と俺に言ったけれど、俺はそんなつもりじゃなかった。母親は、好きじゃなかった。

 俺の人生のほとんどは、両親が描いた設計図通りのものだ。設計図通りにいかなければ、両親は兄のように、俺を「失敗作」だと言うのだろう。

『お前の人生は、お前のもんだ』

 当たり前のことを、兄が言う。けど、その当たり前のことが、俺は解っていなかった。

 寮に帰る。吉永に、どうやって話そうか。何と言って切り出そう。

 怖いけど。少しドキドキしている自分もいる。

(ああ、俺は――)

 吉永を好きでも、良いんだ。



 ◆   ◆   ◆



 寮に帰り、電子錠を開く。門限を過ぎると閉鎖される玄関扉は、停電時や非常ベルが鳴ったときは自動開錠される仕組みだが、それ以外は登録されている電磁カードでないと開錠出来ないようになっている。俺が寮生活に置いて、嫌いな部分のひとつだ。気軽にコンビニにすら行けない。もっとも、付近にコンビニなどないのだが。

 今日は出張のため、事前申告している。不備がなければ社員証で開くようになっている。問題なく扉を開けて、玄関ホールへと入り込んだ。

 消灯時間を過ぎているため、ラウンジ周辺は暗く、非常灯の明かりしか点いていない。ホゥと息を吐いて、肩のちからを抜いた。

(吉永、起きてるかな……)

 勢いで告白したい気持ちだったが、空回りしている自覚もある。けど、あまり冷静になるとまた怖じ気づきそうだ。

(出来れば、今夜逢いたいんだけど……)

 電話してみようか。そう思った矢先だった。

「っ、航平……?」

「え?」

 共有スペースの奥から、紙コップ片手に吉永が出てきた。どうやら、コーヒーを淹れてきたところらしい。

「吉永!」

 逢いたいと思っていたところに遭遇し、思わず嬉しくなって駆け寄る。吉永は少し眉を寄せて、唇を尖らせた。

「お、遅かったじゃん……」

「もしかして、待ってたの?」

「まっ……ってないし、心配してない!」

 顔を真っ赤にしてそう言う吉永に、思わず笑う。待っていたし、心配していたらしい。ここのところお互いに避けていたから、出張だと言っていなかった。

「研修行ってきたんだよ」

「あ? 研修? ……言えよ! そう言うことは!」

「心配しちゃった?」

 揶揄するようにそう言うと、吉永はプイと顔を背ける。

「してねえっての」

 口ではそう言っているのに、顔には心配したと書いてある。何だかんだ、俺を無視していたクセに、結局は気にしてくれているのだから。

(可愛い――とか、吉永相手に。どうかしてる)

 いや、好きなんだから、それで良いのか。自分の感情に、まだ慣れない。

「なに笑ってんだよ……。おれは行くからなっ」

「あ、ちょっと」

 横から逃げようとするのを、腕を掴んで引き留める。と、吉永が手に持っていた紙カップが斜めになって、中身のコーヒーが溢れ落ちる。

「あっ、つ……!」

 吉永の太股に、コーヒーが掛かる。顔をしかめる吉永に、サッと顔が青くなった。

「吉永っ!」

「ばか、溢れただろうがっ――って」

「大丈夫かっ!? すぐに冷やさないと!」

 ヒョイと吉永を抱えだき、シャワー室へと一直線に走り出す。

「うおわぁぁっ! っおい! 航平っ!」

 吉永の手から紙カップが滑り落ち、床に転がった音がした。だが、それどころじゃない。早く冷やさなければ。

「早くしないと脚が!」

「脚かよ!」

 そらそうよ。だって脚だよ?

 シャワー室の扉を勢い良く開き、吉永を押し込める。同時に、シャワーを冷水にしてひねり出した。

「わっ! 冷たっ!」

「我慢しろ、我慢」

 勢い良くかけたせいで、脚だけでなく上着も、ついでに俺も濡れるが気にしている場合じゃない。

「冷てーって! 大丈夫だから!」

「痕に残ったらどうする」

「――残ったら、ダメかよ」

 吉永指先が、震えていた。シャワーが冷たかったからだろうか。それとも。

「ダメじゃねえけど。傷があったって、火傷があったって、構わないけど」

「―――」

 無言で俺を見つめる吉永に、ズボンの方に手を掛けた。ビクッと、吉永が震える。

「っ、航平……」

「痕、見るから」

 ズボンのボタンを外し、ゆっくりと下ろしていく。濡れているせいで、脱がしにくい。濡れた衣服が肌に貼りついて、目のやり場に困る。

 白い太腿が晒される。少し赤くなっているが、大事にはなっていないようだ。ホッとして撫でまわしていると、吉永がビクンと身体を揺らす。

「っ、こうへ……」

「ちょっと赤くなってるけど……」

「平気、だからっ……」

 ふと、下着の方に目線を向けると、水で透けた下着の向こうで、僅かに主張し始めたのが目に入る。吉永は慌ててしゃがみ込み、膝を抱えてしまった。

「あっち、行けっ……!」

「吉永」

 膝を抱えて顔を伏せた吉永に、そっと近づこうとする。が、吉永の腕がそれを遮った。

「行けよ! 行けって!」

 バシッと胸を叩かれ、押し黙る。シャワーの音が、やけに響いた。

「――」

 吉永が睨む。泣きそうな顔で、目を赤くして睨む吉永に、唇を結んだ。俺が、こんな顔をさせている。俺が、吉永を傷つけてる。

「吉永」

「っ…、離せっ……」

「吉永っ……!」

 ぐい。腕の中に抱き留め、ぎゅっと抱きしめる。吉永が、息を呑む気配があった。

「――っ、離せ、よっ……! 航平っ……、おれが、どんな……」

「ゴメン」

「っ……」

「ゴメン、吉永。傷つけたいわけじゃ、なかった」

 吉永が俺を解こうともがく。けど、俺はそれよりも強く、抱きしめる。

「怖かったんだ……。俺のなかの全部、吉永になっちゃいそうで……」

「――」

 抵抗する手が、止まる。シャワーの水が冷たかったけれど、身体は燃えるように熱い。密着した身体の体温に、火照ってしまいそうだった。

「怖くて、逃げた……。でも……」

 ぴくん、吉永の肩が揺れる。

「やっぱり、離したくなかった」

「――こう、へい……」

 吉永の声は、小さかった。か細い声に、胸がぎゅうっと締め付けられる。

「虫が良い話なの、解ってる。吉永」

「――」

「やり直したい……。もう一回、チャンスが欲しい」

「――っ……」

 吉永が顔を上げる。信じられないものを見るような表情で、瞳を潤ませる吉永に、額を擦りつける。

 もう、離したくない。後悔したくない。

「こう、へい……っ、おれっ……」

 吉永が声を震わせる。

「おれ、もう、あんな想いしたく、ないから、なっ……」

「うん。……ゴメン。もう、言わないから」

「っ、馬鹿っ……! 次、言ったら、殺すかんなっ」

「うん。それで良い。吉永――」

 ポロリ、吉永の瞳から、涙がこぼれる。泣かせてしまった。

 でも。

 顔を近づけ、唇を塞ぐ。吉永の手が、俺の首にしがみ付いた。舌を絡ませ、貪るようにキスを繰り返す。角度を変え、何度も、何度も、口づける。冷たいシャワーに冷えた唇を合わせ、熱い舌を絡ませる。

 シャワーの音が響く中、俺たちは長い間、キスを繰り返し続けた。




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