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二十九 元に戻るため
しおりを挟む(あ、メッセ……)
胸ポケットに入れたスマートフォンが震えた。昼休みのオフィスは、静かなものだ。食堂に行く者は席を外しているし、俺のようにコンビニ飯というヤツも、飯を食ったらスマホゲームや昼寝、読書といった感じで各々過ごしている。女性グループはおしゃべりに興じているようだが、その声もささやかだ。
うとうとと船をこいでいたところを起こされ、欠伸をしながらスマートフォンを開く。
『河井です。鯨町にあるピッツェリアが良いんじゃないかって話になってるんだけど、どうでしょうか?』
というメッセージと共に、WebサイトのURLが貼られている。グルメサイトのアドレスのようだ。店内写真や料理の写真を流し見して、口コミも確認する。評判の良い店のようだ。
あれから、河井さんとは何度かメッセージをやり取りしている。来週末、俺は河井さんと合コンをする。「合コンしよう」と言ったわけではないが、向こうは女子三人で、俺も二人連れて行く。それはもう合コンだろう。連れて行くのは同じ部の同僚だ。最初は同期の仲間に声をかけようかと思ったが、大津たちの口から吉永に、合コンに行ったのが伝わったらマズい気がして、寮生は誘わなかった。
(マズい――なんてはず、ないんだが……)
俺が勝手に気にしているだけで、吉永はそんなことを思っていないかも知れない。「おれも行きたい」とかいう可能性だってある。けど、何故か俺は合コンに行くという行為そのものに、後ろめたさを感じている。
(やっぱり、手を引くべきだ……よな)
今の関係が惜しい。それが本音だ。吉永は俺にとって『都合が良い』。我ながら最低な思考だとは思うが、嘘偽りなく言えば、そうだった。
相性が良く、気も合い、普段は友人として付き合えて、ベッドの中では最高のパートナーだ。吉永は束縛しない。多くを求めない。けれど適度に――適度に、身体を求めてくる。
その絶妙な距離と相性は、手離すには惜しいと思わせる。
(でも、一生こうしてられる訳じゃないし)
俺だって、ずっと遊んでいられない。吉永だってそうだろう。この関係は、いつか終わる。今じゃなくても良いのかも知れない。そう言ってダラダラ引き伸ばしたくなる、甘美な蜜のようなもの。でも。……でも。
傷が浅いうちに、終わらせるべきだ。火遊びはもう終わりだ。吉永との友情まで捨てたくはない。それとなく、少しずつ距離を置けば――。
――きっと、元に戻るだろう。
◆ ◆ ◆
会社を終えて寮で過ごす時間のほとんどを、同僚とくだらない話をしたり、吉永と一緒に過ごす。ここ最近は圧倒的に吉永と一緒に過ごすことが多かった。
(いつでも、ヤってたわけじゃないし……)
いつもとは違う面持ちで、いつものように吉永の部屋に入る。吉永との関係に終止符を打つ。でも、曖昧に終わらせる。それが今の俺の狙いだ。
「お、おー」
少しぎこちない挨拶になってしまったが、吉永は気にした様子もない。いつも通りテレビの前で観てもいないテレビをつけたままスマートフォンを弄っている。
「んー」
適当な相槌を返す吉永の横に座り、チャンネルを手に取る。吉永のすぐ隣。いつもの指定席だ。ヤらないとなると、意識しそうなので、なるべく吉永の方を見ないでチャンネルを操作する。
「この前の続き観ようよ」
ずっと停滞中の海外ドラマを観始めれば、そういう事にはならないはず。そう思いながら、動画配信サービスの画面を起動させた。
「今から?」
「一話くらい行けるだろ」
「良いけどさ。何か飲む?」
スマートフォンをベッドに放り投げ、吉永はクッションを抱きかかえる。何か飲むかと聞いているのは吉永だが、俺に持って来いと言っているのだ。吉永の部屋には飲み物を冷やすだけの、小さな簡易冷蔵庫が置いてある。中身は酒だけだ。
「ビールでも開けるか」
「おれレモンサワー」
再生ボタンを押し、冷蔵庫に手を伸ばす。中から買い置きのビールとレモンサワーを取り出し、一本を吉永に渡す。ぷしゅ、と音を立てて、缶を開ける。吉永の唇が飲み口に近づくのを、無意識に見つめる。
「ん?」
「あ、いや」
視線があって、ハッとして目を逸らす。
(くそ……。ヤれねえと思うと……)
吉永は俺の気なんか知らずに、脚の間にクッションを挟んで視聴の体勢になっている。無防備な襟から見える鎖骨。脚の形が解るスエット。今まで好きなだけ触れられたのに、もうそれは出来ない。
(チッ……決めたのは俺だろ……)
ごまかす様にビールを喉に流し込み、画面を凝視する。意識しないようにしているはずなのに、吉永が気になって、内容は頭に入ってこなかった。
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