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23話 side山 片耳のイヤホン
しおりを挟むファイルに仕様書を纏めながら、欠伸をかみ殺す。今日何度目の欠伸か分からない。昨晩は絵を仕上げたあと、つい過去の配信を見直してしまい気づいたら四時だった。そこからベッドに潜り込んだものの脳が活性化しているのか寝付けず、このざまである。
若さと命を削りながらやるようなことでもないのだが、それをしてしまうだけの価値が、俺にとってはある。俺にとって、天海マリナというのはそういう存在だ。
(いっそ、寿命なんか消えてなくなれば良いのに)
捨て鉢にそう思ってしまうのは、2.5次元にいる彼女に恋をしているせいなのか。死にたがりの性格ではないが、無性に消えてしまいたくなる。センチメンタルなのかもしれない。
ふと、視線を上げた先に隠岐の姿を見つける。隠岐は相変わらずどこか要領悪く、ファイルを五つも抱えて右往左往していた。その姿を目に、手元の資料にチェックマークを付ける。
あの仕事が、本当は先輩の仕事なのを知っている。いつの間にか隠岐がやるようになっていて、誰も知っているのに口を出さない。炎上している案件に率先して入れられるのは、隠岐が反論しないからだ。俺だったら「今忙しいので無理ですね」と断るような案件も、気が付いたらやっている。
コンプライアンス重視な世の中で、目に見える残業自体は減っている。けど、人は増えて居ないし仕事も減っていない。どこかで帳尻を合わせなければ仕事が終わることはなく、結局しわ寄せは下に押し寄せる。下ではさらに要領の悪い奴が損をする。
(前まで、気にならなかったんだけどな……)
以前まで、先輩の仕事までやっている隠岐を、「ご機嫌取り」としか思わなかった。けど、今はそう見えなくなってしまった。いつからだろう。
気が付けば避けていたはずなのに、食堂で隣の席に座っていた。隠岐がいるのが自然になってしまって、気にならなくなってしまった。
(悪い奴じゃ、ないんだよな)
根本的には、悪い奴じゃない。オタクに偏見があったとしても、悪人ではない。自分が好きなものを否定されたからって、俺が攻撃されたわけでもなく、多分隠岐は俺が「俺はアニメキャラやゲームが好きだ」と言えば、「あ、そうなんだ」で済むんだろう。
例えるに、あの最初の悪印象は、運の悪い事故のようなものなのだ。
(……『歪みの塔のアリス』、プレイしたのかな)
もしかしたら俺は「どうだった?」とか聞くつもりなんだろうか。そうやって隠岐に話しかける自分なんか、一ミリも想像出来なかったのに。
今は、愛想笑いで「面白かった」と言われたり「微妙だった」と言われる方が嫌な気がしている。
◆ ◆ ◆
掲示板系のまとめサイトで「バーチャルアイドルと付き合った結果www」という見出しを見つけて、反射的にサイトを閉じてしまった。やましい感情を見透かされた気分になって、顔を顰める。
(いや、俺はそんなことは望んでいないはず)
マリナちゃんと付き合えるとか、そんなこと一度も考えたことがないし、妄想だってしたことがない。マリナちゃんの『リアル』なんて詮索したいとも思っていないし、どこかで生身の彼女が息をしているとか、そんなことを考えたくない。あくまで天海マリナはバーチャルの存在で、それ以上でもそれ以下でもないから。
ドッドッドッと鳴り響く心臓を押さえ、もう一度スマートフォンを見る。時計を確認し、もう食堂が閉まる時間だと溜め息を吐く。もう少しだけ残業するか、それともこのまま仕事を止めて帰るか、考える。
(今日配信あるかな……)
マリナちゃんが配信するなら帰ろう。そう思って、SNSを開く。五分ほど前にツイートがあった。
『歌枠やります。20時から! お楽しみに!』
という文字を見て、残業を止める決意をする。配信はなるべく、リアルタイムで観たいのだ。
(歌枠久し振りじゃん。なにやるかな。やっぱ、最近の流行りって言ったら『アネモネブラウン』だよな。みんな歌ってるし)
有名どころのライバーや声優などのチャンネルで多く歌われている、流行りの音楽を思い出す。初めて聞いた時からマリナちゃんに合うと思っていたので、是非歌って欲しいものだ。
パソコンの電源を切り、リュックに荷物を詰めて席を立つ。誰かにつかまる前に帰ってしまおう。食堂は間に合わないので買い置きの食料か、カップラーメンで済ませる予定だ。コンビニに行く時間も惜しい。
フロアを出るタイミングで、丁度隠岐とかち合った。隠岐も帰るところなのか、鞄を肩にかけている。
「あ、帰るの?」
「おう。お前もか」
「うん」
二人とも誰かにつかまって仕事を振られるのを避けるため、暗黙の了解で足早に廊下を歩く。なんとなく一緒に帰るのは微妙な気持ちになったが、帰る先が同じなので仕方がない。
隠岐は片耳にイヤホンをさして、片方は空いたままだった。
(何聞いてるんだろう)
なんとなく、片側に意識を持っていかれている隠岐の横顔に、何故か胸がモヤモヤした。多分、片方は俺の声を聴くために開けている。
(そんなこと、しなくて良いのに)
何故、モヤモヤしているのか。良く解らなかった。
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