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6 side海 天の助け
しおりを挟むゲッソリした顔でフラフラと廊下を行く。今からお客さんを呼んでの立ち会い試験だというのに、プライベートの疲労がピークに達していた。
(はぁ、全然部屋、見つからない……)
時期が悪いこともあり、部屋はどこも空いていなかった。空いていたとしても、新築だったり家族世帯向けだったりで、俺一人が住むには家賃が高い部屋ばかりだった。
(引っ越ししてすぐにネット使えるか? そもそも、配信環境整えないといけないし……)
引っ越しなんて、ただでさえ億劫なのに。どうしてこんなことになったのか。最悪手段は実家に帰ることだが、実家は会社まで三時間かかるのである。絶対に現実的じゃない。
重い足取りで歩いていると、見覚えのある人物が向こうからやって来た。藤宮進というその男は、総務部に所属する青年で、入社したときに教育担当だった人物だ。
「隠岐。久し振りだな」
「藤宮さん。お久し振りです」
総務に行く用事はなかったので、藤宮と会うのは久し振りだった。藤宮は物腰が柔らかく、話しかけられても身構えなくて良い気持ちになる数少ない人物だ。
今も教育担当をしているのかという疑問が仄かに浮かんだが、生来のコミュ障のせいで言葉は口から出てこなかった。
「こっちに来るということは現場か?」
「はい。立ち会い試験で」
「そうか。何か困ってることがあったら言えよ?」
柔らかい笑みでそう言われ、ふと引っ越しの件を思い浮かべる。
「あー。そう言えば、引っ越しするんですが、手続きとか聞きに行くと思います」
住所変更や通勤経路変更の届け出があったはずだと思い出す。本当にやることが多い。藤宮に会えて良かった。忘れるところだ。
「引っ越し? もう引っ越し先は決まったのか? 今時期はあんまり無いだろ」
「そうなんですよね……」
やはり、そうらしい。引っ越しのシーズンとは程遠い時期だ。
「それなら、寮に入ったらどうだ? 丁度、先日空きが出てな。待ってろ」
藤宮はそう言って、持っていたパソコンを開いて操作し始める。
「うん。クリーニングが今週末だから、その後になるけど、それが終わったらすぐに入れるぞ? 会社近くだと家賃も高いだろ。寮なら月三万円。大浴場と二十四時間のシャワー、それから食堂と共有のラウンジがある」
寮の紹介らしいPDFを見せてくれる。夕暮れ寮という独身男子寮だ。
(確か、榎井が入ってたよな)
家賃の安さと会社に近いのは魅力的だった。だが、俺は集団行動が苦手だ。
返事に迷っていると、藤宮はパソコンを閉じて抱え直す。
「実は俺が寮長なんだ。良い環境だよ。おすすめ。まあ、無理にとは言わないよ。でも、今部屋がないなら、新しい住まいを見つける間だけでも入ってみたら?」
「そんなの、可能なんですか?」
「うん。条件はあるけどね。四十歳までには出ること」
「なるほど」
藤宮のその言葉に、寮という選択肢がゆらゆらと揺らめいた。集団行動は苦手だ。家に帰っても周囲が会社の人間だなんて、絶対に気が滅入る。けれど、三万円という家賃と会社に近いという利点に心が揺らぐ。動画を撮影するのに、三時間もかけて移動していたのでは絶対に時間が無くなってしまう。だが、配信なんて寮で出来るだろうか。
(どうする)
迷いを見せる俺に、藤宮がもう一言付け加えた。
「ああ、そうそう。空いてる部屋は301号室なんだけど。隣は榎井だよ」
その言葉に、俺の心は完全に傾いてしまった。隣が榎井ならば、それほど嫌じゃない。対人関係が苦手な俺ではあるが、榎井に対しては苦手意識は発揮しなかった。
(なにより――)
なにより、301号室というところに、心が引かれた。
角部屋だ。つまり、隣がいない。
(その部屋だったら、配信できる――!)
気が付けば俺は藤宮に「どうやったら入寮できますか?」と声を掛けていた。
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