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プロローグ side海

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「成人してんのにアニメキャラとか、マジキモいっすよね。てかヤバすぎ」

 言いながら、心臓がバクバクしていた。指先が冷たい。変な風に思われていないだろうか。

(吐きそう……)

 込み上げる吐き気を堪えて、前方にいる先輩たちを見上げる。何とかしないと。何とかしないと。

(耐えろ、俺。耐えろ、隠岐聡(おき さとし)……)

 既に座席に付いている先輩方も、こちらに気づいてチラチラと見てくる。ビールと揚げ物の匂いが余計に気持ち悪くさせた。

「なにグズグズしてんだ、さっさと席に行くぞ隠岐」

 イラだった声にビクッとして、手に持っていたキーホルダーに視線をやる。このままポケットに突っ込むわけには行かない。不自然じゃない行動を取らなければ。

(ああ……)

 指からスルリと、キーホルダーが滑り落ちる。その先にあるのは、大きく口を開けたゴミ箱だ。

 俺は振り返らずに、そのまま先輩たちの後に付いていく。

 ゴミ箱を気にしたまま。

「今日は新人の隠岐聡が盛り上げちゃいまーす。ホラ、歌え隠岐!」

「なに歌うのー?」

 無理やりマイクを渡され、ひきつった笑みを浮かべる。

「えー、じゃあ、チャーチャートレイン、行っちゃいますか!」

 立ち上がってそう宣言すると、ノリの良い先輩が一緒に立ち上がる。

「踊っちゃう~?」

「よし、隠岐。お前先頭な!」

 ゲラゲラ笑いながら、背後に回って踊り出す。それを見ながら手を叩き笑う顔に、また胃が痛くなる。

「隠岐くん踊ってー」

「飲め飲めーっ」



   ◆   ◆   ◆



 居酒屋から出て、「二件目行くぞ!」と叫ぶ先輩に、恐る恐る声を掛ける。二件目も付き合うなど冗談じゃない。入社して半年で八回も飲み会があるなんて異常だ。それ以外にも、先輩たちには理由をつけて連れまわされていた。今日こそは理由をつけて逃げ出そう。そう思い、口を開く。

「あっ、座敷にちょっと忘れ物しちゃったみたいっす! 取りに行ってきますので、先に行ってください!」

「あー? 終電いっちまうぞ?」

 白けた顔をした先輩に、内心(やってしまった)と思う。俺の一言で、どうやら二次会はなくなったようだ。それ自体はありがたいのだが。待っていそうな雰囲気に、取り合えず否定の言葉を告げる。

「大丈夫です! 何とかします!」

 先輩にそう叫び、居酒屋に戻る。既に客が出払った店は、片付けを始めていた。忘れ物だといって入らせてもらい、ゴミ箱に向かって走り出す。

 大きく口を開けたゴミ箱には、紙くずがいくつか入っていただけで、キーホルダーはなかった。その事実に、胸がざわついた。

「え、なんで」

 ゴミがいっぱいになって、途中で店の人が捨てたのかもしれない。さすがにゴミを漁らせて欲しいとは言えず、諦めて店を出た。

(俺が……捨てたから……)

 とぼとぼと、夜道を歩く。

『ラッキーエンジェル』というアニメに登場した、青い髪のヒロイン、マリナのビニールフィギュアがついたキーホルダーだった。

『ラキエン』が放映されたのは俺が中学の時で、高校受験のときも大学受験の時も、就活の時も御守り代わりに持っていた。だからキャラクターの塗装は剥げて、黒っぽくなっていた。落下してしまったのは、金具が古かったからだろう。落としたキーホルダーに、咄嗟に自分の物じゃないフリをした。

 高校時代に、アニメ好きだというだけで虐められた経験から、他人の前では擬態するようになった。

 明るくて社交的。いかにも『パリピ』な一般人。アニメなんか生涯みたことないような、そんなキャラ。

 そんな自分を演じていたせいで、だんだん自分が解らなくなってしまった。

 生活に疲れて、社会に疲れていた。

「ただいま……」

 生気のない声で、冷えたアパートの部屋に呟く。帰ってくる言葉などないが、習慣だった。

 六畳一間の小さい部屋。オンボロアパートに住んでいるのは俺と一階下の耳が遠い老人だけで、他に入居者は居ない。この古いアパートを選んだのは、隣に声が漏れても隣人が居ないからだった。

「疲れたし、気持ち悪いけど……少し配信しようかな……」

 キーホルダーを捨ててしまったのを、誰かに言い訳したかった。記録を残さないストリーミング配信を、スーツのまま立ち上げる。画面はオフにして、音声だけの配信にした。

「えーと、マイクマイク……」

 マイクのスイッチをオンにすると、気持ちが切り替わる。発する声がマイクを通じて、別人の音声に切り替わる。スピーカーから少しトーンの高い、少女のような声がした。

 すうっと息を吸い、声を発する。意識が切り替わる。人格が変わる――ような、気がする。

「みんなー、こんばんはー。天海マリナです。寝てた? 配信ありがとう? こっちこそありがとうー」

 さっそく数人が、配信に気がついてコメントを送ってくる。一年半ほどストリーマーとして活動して、固定のファンが何人かついてくれた。

「今日ちょっと嫌なことあってさぁー……。私が悪いんだけどね? 聞いてくれる?」

 溜め息をマイクに乗せ、画面の向こうにいる無数の人物に繋がっていく。

 バーチャルストリーマーを始めた理由は、バーチャルならば年齢を問わないということと、生身で人前で喋ると緊張で気持ち悪くなるからだった。その点、『マリナ』の時は違う自分になれた。自分が何をしているのか解らない『リアル』とは違って、『天海マリナ』を演じるときは素直な自分だった。

 新しい自分は楽しかったが、ストリーマーとしては伸び悩んでいるのが現実だ。仮面を被ればうまく行くかと思ったが、現実はそれほど甘くない。バーチャルだったとしても中身は人間で、『隠岐聡』という人間は変わらなかった。

 年齢を問わないといってもバーチャルの年齢層は実際には低く、他のストリーマーに比べると薹が立っていた。マイク越しでも画面越しでも、人とのやり取りは吐くほど緊張した。俺は、それほど魅力的な人間ではない。このくらい、が精いっぱいなのかもしれない。

 けれど、この小さな場所に人が集まり、不格好ながらも自分の居場所になっていた。

「本当に最悪だよー」

 チャンネルの登録数は、今月ついに1000人になった。収益化することが出きるようになって、モチベーションが上がった。一方で、良い機材が欲しくなって、入るお金よりずっと出ていくお金が増えた。

 けれど、楽しかった。

(ここが、俺の居場所だから)

 見えない誰かに向かって、笑いながら話をする。話し始めは緊張したが、次第に『みんな』の前では平気になった。

「今度、うたみた動画作るから。ん? ライブやって欲しい? じゃあ、目標どっかのライブハウスにする?」

 冗談まじりにそう言うと、誰かがコメントを投げてきた。

『ライブハウスなんて目標、小さすぎる。ドームにしよう』

 そのコメントに、思わず噴き出してしまう。あまりに大きすぎる目標だ。

(あっはっは。――でも、まあ。言うならタダだよなあ)

 登録者1000人程度の、弱小ストリーマーには、到底手が届かない場所。けれど、夢を見るのは自由だ。

「じゃあ、目標ドーム公演にしようか。プロフ欄変えてくる」

 チャンネルのプロフィール欄を編集して、『夢はドーム公演』と書き換える。

 コメント欄は「その時には新衣装にしよう」など、盛り上りを見せていた。

(御守りは失くなっちゃったけど)

 今は、この人たちが、俺の御守りだ。

 そう思いながら、俺は静かに配信を切った。


   ◆   ◆   ◆


 すれ違いを愛する神の手によるものか、数奇な運命か。あの時、五分早く店に着いていたのなら運命が大きく変わったことを、――隠岐はまだ知らない。



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