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二十六 踏み込めないわけ
しおりを挟む街の灯の消えた繁華街を、走る。自分はどうして、アオイを追いかけて居るのだろうか。
(僕は――)
アオイに、誠実に向き合いたい。そう思っていた。その原動力はなんだろうか。
アオイの気持ちに真摯に向き合いたい。もう、答えは出ている気がする。
それならば、待たせるべきではない。
(待たせなければ、不安にさせることも、誤解させることもなかった)
じゃあ、何故、踏み出せなかったのか――。
路地裏は暗く、闇が全てを飲み込んでしまいそうだ。東京は眠らない街。そんなことを言ったひとがいたが、現実には田舎よりも夜が速い。真っ暗な空の下、こんなにも一生懸命走ったことはなかったと、八木橋は苦笑した。
◆ ◆ ◆
「え……っと? ゴメン、どういう、意味――」
戸惑う八木橋の向かいに座った女は、申し訳なさそうな顔で目を逸らす。平日昼間のファミリーレストランは、閑散としていて客が疎らだった。
「ごめんなさい……」
そう呟いただけで、女は無言だった。彼女の名は、望月慶子。源氏名を『ネネ』と名乗るホステスだった。『アフロディーテ』に在籍していた頃には、恋人になるとは思っていなかった。結婚して『アフロディーテ』を辞めたが、数年後、幼い子供を抱えて『アフロディーテ』に戻って来た女性。
『別れたいの』
と告げた彼女の気持ちを、八木橋は理解できなかった。彼女の連れ子である紫苑との関係も悪くなかった。給料だって、それなりにある。優しくしたつもりだった。
テーブルの上には、婚約指輪がある。別れの言葉とともに、ネネが返して来たのだ。結婚間近だった。マリッジブルーというやつかも知れないと、焦って言葉を尽くしたが、彼女の言葉は変わらなかった。
式は上げる予定がなかった。籍を入れるだけ。でも指輪くらいはあげたいと、八木橋が無理に決めた。
生活に余裕があるわけじゃないが、貧乏なわけでもない。本当は、式だってあげたかった。だが、ネネが必要ないと言った。
「理由は、教えてくれないの……?」
ポツリと呟いた言葉に、ネネは顔を上げて何か言いかけて、止めてしまった。
「……」
なんと言って良いか解らず、二人はしばし無言だった。時間だけが、無為に過ぎていく。
ホステスと店長の恋愛は、『風紀』に該当する。つまり、店の女の子に手を出すなという、ルールに違反する。ネネはそれもあって、店を辞めた。八木橋が佐竹にお願いして用意して貰った仕事だった。何度か昼の世界で働いた経験のあるネネは、夜の仕事よりも昼の仕事の方が好きだった。だが、収入の面で、どうしても戻ってきてしまっていた。
ネネは八木橋より歳上で、夜の仕事も厳しくなった。結婚、昼の仕事。ネネには渡りに船だったはずだ――。そう、渡りに船だった。
「今の仕事、結構稼げて……」
ネネが不意に、口を開いた。八木橋も顔を上げる。視線は絡まなかった。ネネは俯いたままだった。
「紫苑も、手が掛からなくなったし……」
「……」
八木橋が居なくとも、良いのだと。暗にそう言われた。ネネの意図は解らなかった。だが、事実としてはそうだったのだろう。
仕事があって、その仕事でなんとか暮らせる。紫苑も常に手が必要な時期を過ぎて、ある程度自立できている。
男に頼らなくても、生きられる。それが、ネネの選んだ答えだった。
八木橋の気持ちは、どこへ行くのか。そういうことは、そこになかった。ネネの生活に、八木橋がいる場所がなかった。八木橋はその場所を、作れなかった。
同情心が全くなかったか、と聞かれれば、自信がない。子供を抱えて悩む彼女の支えになろうと思ったのは、恋だったからか、今となっては解らない。
「そ、っか……。うん、解った」
自分でも、驚くくらいに、アッサリとした言葉が飛び出した。ショックを受けたのは事実だ。けれど、引き留められる自信はなく、彼女の決断を尊重したい気持ちがあった。
八木橋はいつだって、自分の気持ちは二の次だった。破局を知ってショックを受けたのは、紫苑もだった。紫苑をなだめる方に神経を使って、八木橋は自身の気持ちを置き去りにした。
◆ ◆ ◆
ハァ、ハァ。荒い呼気が唇から漏れ出る。走ったのなんか、何年ぶりだろうか。走るアオイの背中が、寂しそうに見える。
路地を折れ曲がったアオイの後に続いて、八木橋はぎゅっと靴底を踏んだ。この先は――袋小路。
逃げ場を失って戸惑うアオイの腕を、掴む。
「――つか、まえた……」
振り返ったアオイの瞳は、寂しそうで――酷く、安心して見えた。
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