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二十八 尻がピンチである。
しおりを挟むウイスキーをちびりと舐めながら、清は憂鬱な気分になっていた。『ブラックバード』の店内は相変わらず煌びやかで、イケメンホストたちの姿はひときわ輝いている。一夜の夢を見せる蠱惑的な雰囲気に、いつもならすぐに酔ってしまうというのに、清は今日は酔える気がしなかった。
「はぁ……」
溜め息を吐き出して、清は奥のテーブルに呼ばれて行ったカノの姿を視線で追いかける。
(プレゼントと言いつつ、まだ受け取ってないけど――)
いつも通りであれば、今日も店が終わったらアフターデートの予定である。ここのところカノは清に週末のアフターを告げているし、今日もそのつもりであるのは間違いなかった。つまりは、セックス有のデートということなのだが。
(アレ、使うつもり、だよな?)
もしかしなくても、先ほど買ったバイブを使う気で居るのだろう。清としては、非常に不本意である。カノだから良いのであって、バイブが良いと思えない。まして、異物を挿入することへの抵抗と恐怖心もある。出来ればゴメン被りたいところだが、カノはああいう時、梃子でも動かないところがある。清が嫌だと言っても、なんだかんだとごまかされ、なだめすかして行為に及ぶに違いない。
どうしよう。頭を抱え、うーうーと唸る。このままでは、尻がピンチである。
(どうしよう。え。帰る?)
いっそのこと、問題を先送りにするというのはどうだろうか。やっぱり今日はアフターに行けないと、早めに退店してしまえば、ひとまず今日はやり過ごせる。今日をやり過ごしたら次はどうなるのかというのは、この際考えないでおこう。来週の清が考えれば良いのだ。
そう思い立ち、早い方が良いに決まっていると、カノが来る前に行動を起こすことにする。ソファから立ち上がり、目に入ったホストを呼び寄せた。何度か見かけたことがあるホストが、清に気が付いてやって来る。確か、アキラと呼ばれていたホストだ。他のホストに比べると、やや薹が立っている。良く言えばベテラン、悪く言えばオジサンというところだ。
「何かございましたか?」
丁寧な物言いに、清は「えっと」と前置きをしてカノをチラリと見る。カノが気が付いたら、妨害しにくるに決まっていた。カノは清が他のホストと話しているのを嫌う。客を取られる可能性があるのは嫌なのだろう。
「カノをお呼びしますか?」
「あっ、違いますっ。その、今日オールの予定だったんですけど……、ちょっと早めに帰ろうと思って」
申し訳なさそうに言う清の言葉に、アキラは目を瞬かせて思案顔になった。
「何か不手際がございましたか? もしそうなら――」
「いえいえ。そうじゃないです。単に、個人的な都合で――」
「何してるの?」
横から声をかけられ、清はビクッと肩を揺らした。驚いて顔を上げると、北斗が興味深い顔をして立っていた。清はカノでなかったことに、ホッと胸をなでおろす。
「北斗。なにウロウロしてるんだ」
「良いだろ。何かトラブル?」
「ち、違うからっ。北斗くんは離れて」
北斗までやって来てしまったら、目立って仕方がない。ヒヤヒヤしながらそう言う清に、北斗は眉を寄せて面白くなさそうな顔をした。
「え? もしかして、僕邪魔?」
「邪魔とかそういうことじゃなくて」
邪魔と言えばそうなのだが、さすがにキラキライケメンの北斗に「邪魔だからどこか行け」というのは憚られた。カノを好きになってから気づいたことだが、清はどうやら、男女関係なく美人が好きなようだ。そして、美人相手にはどうやら弱い。ちなみに『ブラックバード』のホストたちはみんなキラキライケメンなので、なんとなくテンションが上がってしまうが、唯一そうならないのがアキラである。アキラを見ていると、何だか親しみを覚えてしまう。どちらかというと、普通からブサメンよりの顔だ。
「何騒いでるの?」
(うわっ……)
騒いでいたせいか、三人も固まっていたせいで目立ったのか、いつの間にかカノが戻って来てしまった。清は唇を真一文字に結んで、グッと押し黙る。アキラがカノを見て「あー…」と歯切れの悪い声を漏らした。
「アキラに北斗まで……。清くんになにか用? 清くんツケで飲んでないんだから、ラブレターじゃないよね?」
ラブレター――というのは、ツケで飲んだ時に発行される、請求書のことである。見た時にドキドキするという意味では合っているかもしれない。清はカノのいう通り、ツケで飲んだことはないので貰う予定はない。
「いや、そのっ、ちょっとお喋りしてただけっ!」
清が帰るつもりだったことを言われる前に、そう切り出す。カノに知られたら、どんなことを言われるか――されるか、解ったものではない。清のセリフに、カノが「そうなのか?」という視線を二人に向けた。アキラは苦笑し、北斗は肩を竦める。二人とも告げ口するつもりはないらしい。ホッとしたところに、カノがグイと腕を引いてきた。肩を抱かれ、胸に引き寄せられる。
「ふぅん? 寂しくなっちゃったの?」
「う、うん……」
清の返事に、カノは満足そうに微笑んで、アキラと北斗にあっちへ行けと手を振る。
「えっと……、それでは、失礼しました」
アキラがそう言ってその場から立ち去る。だが、北斗は何故かその場に残った。その様子に、カノが眉を寄せて北斗を睨む。清は内心、(早く行ってくれ)と思っていた。ややこしいことになりそうで嫌だった。
「吉田さん、カノに嫌なことされたら、僕に相談してね」
「あ゙あ゙?」
清を隠すようにして、カノが北斗に詰め寄った。鼻がくっつきそうなほど詰め寄って睨みつけるカノの様子に、店に来ていた女の子たちがほのかにざわめく。一触即発。といっても良い雰囲気だった。
「ちょ、カノくん……っ」
「どういう意味だ?」
「さあ。でも、吉田さんだって、カノには言いにくいこともあるでしょ?」
「――」
カノはその言葉に押し黙って、身体を話す。それから「必要以上に近づくなよ」と呟いた。北斗はやれやれと言った様子で肩を竦め、その場を立ち去る。嵐がさったことに、清はホッと胸をなでおろした。
(とはいえ――)
結局、帰りそびれてしまったのだが。
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