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十五話 もう、大丈夫
しおりを挟む路地裏で小さく蹲って、清はカタカタと震えていた。『ブラックバード』に戻っても良いはずだ。駆け足で駅まで走っても良い。でも、出来なかった。
恐怖で足がすくんで、身動きが取れなかった。取り囲まれた時の恐怖が、頭にいっぱいになってしまった。
(カノくん、カノくん、カノくん)
お守りのようにカノの名前を唱え、スマートフォンを握りしめる。待ち受けには、挑発的に舌を出すカノの顔。
「カノくん……」
メッセージを送ったのは、ほとんど無意識だった。縋る想いでメッセージを送りながら、同時に解決にならないことを考える。
期待なんか、一ミリもしていなかった。それなのに。
突如、スマートフォンが着信音を鳴らす。驚いて画面を見ると、『カノくん♥』の文字が映し出されていた。
「っえ」
戸惑いながら、電話に出る。カノは走っているのか、音声が乱れた。
『清っ? 今どこ!?』
「あ――わ、かんない」
カノの声にホッとして、涙がジワリと滲んだ。震えが治まって、胸が熱くなる。
『周りにあるもの、何かないの?』
「っ、――『スナックあゆ美』、『スターレイン』……」
目についた看板を読み上げる。
『解った。動くなよ』
「あ、カノ、くんっ…」
『なに』
「ゴメン……」
電話の向こうで、カノが笑った気がした。
『ばーか』
「あっ…」
電話が切られてしまう。そう思ったが、通話はつながったままだった。電話の先から、カノの息遣いが聞こえて、ホッとする。
(まさか)
来て、くれるんだろうか。淡い期待が沸き上がる。
仕事を終えて疲れているはずなのに。店を出たらもう、客じゃないはずなのに。
(カノくん――……)
スマートフォンを握りしめ、膝を抱える。不安だった気持ちが、シュワシュワと消えていく気がした。
「――清」
その声に、顔を上げる。
「っ……」
潤んだ瞳に、カノの金色の髪が映った。髪が額に、汗で張り付いている。息を切らせて、ゆっくりとカノが手を差し伸べる。
「カノ、くんっ……」
「もう、大丈夫」
ぐい、と腕を引っ張られ、そのまま抱きしめられる。ドクン、心臓が鳴る。カノの香水に、汗のにおいが混ざった。
「カノ――」
「しっ」
黙って、と視線で言うと、カノが唇を塞いでくる。舌が、熱くて蕩けそうだった。
「ふっ……、ん……」
舌先を擽られ、ゾクッと背筋が粟立つ。清はカノのシャツを握った。
ちゅぱ、と音を立てて、唇が離れる。どうして。と思ったが、カノはニマリと笑って見せるだけだ。
「あの……」
「終電、もう行っちゃったじゃん」
「あー……。マジだ……。と、取り敢えず、始発で帰るよ……。どこか泊まるところ探して――」
不思議と、カノが居るだけで、不安は消え去った。もう、手も足も震えていない。終電が行ってしまったので、今日はもう帰るのは難しいだろう。始発で帰れば、一応会社は間に合うはずだ。
(寮に連絡しておかないと……)
遅くなることは伝えてあるが、外泊とは伝えて居なかった。さすがに怒られる。後のことを考えると、気が重かった。
「うち来る?」
「へ?」
耳元で囁かれ、驚いて変な声が出る。カノは笑いながら、清の腰に腕を回した。
「一緒に飲みなおして、そのまま泊って行けば良いじゃん」
「――い、いの?」
良いんだろうか。推しの家に遊びに行くなんて、きっとそんなにないことだ。きっとそれは、清が男だからで。今日ばかりは、自分が男であることが素直に嬉しい。
「モチ」
「い、いくっ。行きます、行きたいっ」
「ハハッ。じゃ、行きましょうか?」
笑いながら、カノが魅惑的な視線で清を見た。妖艶な雰囲気に、ドキリと胸が高鳴る。差し出された手は、まるで王子様だ。
「は、はいっ……」
その手を握り返して、清はカノと共に夜の街へと消えたのだった。
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