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十二話 北斗という男
しおりを挟む萬葉町交差点はいつもながら人通りが多い。『ブラックバード』に来るときはいつもカノと一緒に同伴していたが、今日は清一人である。あの日以来、初めての一人での萬葉町だ。
(うん。平気だ)
足の震えも、手の震えもない。もう大丈夫だ。カノと何度も歩いた街を歩きながら、清はほぅと息を吐く。華やかな繁華街を歩いていると、浮ついた気持ちになる。キラキラしたネオンと、騒々しい夜の街。酒と食べ物と、人の匂い。
これが、カノの街なのだと思うと、胸のあたりがざわざわする。自分の住む街とは違う。けれど、排他的ではなく、来るものを受け入れてくれる街だと思う。
(本当は、萬葉町の風俗はどんなもんかって、遊びに来たんだけどなあ……)
当初の目的を思うと、笑ってしまう。こんなに通っているのに、未だに萬葉町の風俗に行ったことがない。『ブラックバード』に来る客の半分くらいは、ホステスや風俗の女の子たちのようだ。カノにキスをしていた女性も、多分どこかの店で働いているのだと思う。
(まだ風俗に興味はあるけど――)
もし『ブラックバード』に通っている女の子が出てきたら、それはちょっと気まずいかも知れない。そんなことを想いながら、自嘲する。出て来たのがカノ推しの女の子だったら、多分えっちなことはしないで、語り合うに違いない。
「……俺も変わっちまったぜ……」
ニヒルに言ってみたが、考えていることはちょっと間抜けだ。そのうち、カノへの気持ちが落ち着いたら、風俗に行ってみよう。その時はちゃんと口コミを確認して、客引きに引っ掛からないようにしなければ。そんなことを考えながら歩いていた時だった。
「お兄さん! 兄さん! 良い子居るよ~。ミニスカの女の子いるよ! ちょっとだけ飲んでいかない?」
「は? 俺?」
急に呼び止められ、思わず返事してしまう。ここのところ、カノと一緒に歩いていたので、客引きにあったのは久し振りだった。
「三十分で良いから入って行こうよ~! 三千円ポッキリ! 飲み放題!」
「いや、良いです。今から用事あるんで」
「三十分なら行けるでしょ! ね!」
男が強引に清の腕を掴む。引っ張って行こうとする男に、清は慌てて抵抗する。
「ちょ、ちょっと! 用事あるって言ってるでしょ!」
「うちの子、本当に良い子でね~。きっとお兄さんの好みの子も居るよ~。おっぱい大きい子が好き? それともスレンダーな子がタイプ?」
「いやいやいやいや」
以前の清なら、興味本位で「どんな子? 可愛い?」なんて言って着いていったかもしれない。でも今は違うのだ。清の推しはカノであり、カノに逢うために萬葉町に通っているのである。
「俺の好みのタイプは俺より背高くて金髪で、イケメンでキラキラ系ホストだからっ!」
腕を振り払ってそう叫ぶ清の背後で、「ぶふっ」と笑い声が聞こえた。思わずそちらを見れば、なんとなく見覚えのある黒髪の優男が笑いを堪えて立っていた。
「?」
「ホスト? お兄さんソッチが好みなの? 系列店紹介しようか――」
「ああ、客引きの兄さん、この人は『ブラックバード』の客だから、手出ししないで貰えるかな?」
優男が清と客引きの間に入り、やんわりと断りを入れる。清は驚いて男を見た。雰囲気のある、綺麗な顔をした男だ。
客引きの男がギョッとして口を閉じる。
「チッ、解ったよ」
「解って貰えて良かった」
ニコリと笑って、男は清の方を向く。
「今日はカノと同伴じゃないんですか? 吉田さん」
「え――っと……?」
その言葉で、なんとなく男が『ブラックバード』のホストなのだと気づく。
「あ、僕のこと解らないですか? 『ブラックバード』の北斗です」
「あ……済みません。『ブラックバード』の人かなとは思ったんですけど……」
「カノ以外、目に入ってないんですね~」
北斗はニッコリと微笑んだが、なんとなく目が笑っていない。ホストにとって、客に覚えて貰えていないというのは、あまり良いことではないのだろうと、清はなんとなく気まずい気分になった。
「ご、ごめんなさい……」
「いいえいいえ。これを機会に、僕のことも覚えていただければ」
「は、はいっ。覚えました。覚えましたっ」
(しかし、イケメンである。『ブラックバード』のホスト、見た目が良い人が多いんだよな……)
カノとは違うタイプのイケメンだ。カノは悪い男という感じで、女の子にモテるんだろうな、泣かせてるんだろうな、と思わせる『悪さ』があるが、この北斗という男は外面が良さそうな印象がある。優しく話を聞いてくれそうな、そんな雰囲気だ。いうなればカノが黒王子。北斗は白王子タイプだろうか。王道のキラキラ系イケメン、そんな雰囲気がする。
「えっと、北斗さんは今から出勤ですか?」
「いえ。ちょっと買い出しに。来てくれた女の子に、花プレゼントするんです」
そう言って手にしていた紙袋を掲げる。中に花がギッシリ入っていた。
「なるほど。営業努力ですねえ」
「そういうことですね。あ、よかったら一つどうぞ」
そう言って、北斗が一輪黄色いバラを取り出し、清のジャケットの胸ポケットに挿し入れた。
「あ、ありがとうございます」
「それじゃあ、僕は先に行きますね。一緒に行ったらカノに怒られちゃうんで」
「あはは……」
北斗は微笑むと、「それじゃあ店で」と言って去って行った。
(北斗くんか――うーん。カノくんしか興味なくて全然覚えてねぇ……)
もしかしたら成績とかも気にしたほうが良いのだろうか? そんなことを想いながら、清も歩き出す。とはいえ、ホストクラブは基本的に一度指名した相手を変更できないので、覚える必要もないかと、清の頭からすっぱりと抜けてしまったのだが。
◆ ◆ ◆
花の入った紙袋をぶら下げて、路地裏を歩く。細い路地は店の裏側にあるため、通行人が使うことは殆どない。一歩路地に入ると、途端に喧騒が遠ざかる。
(吉田清、くんね……)
北斗は先ほど偶然会った青年のことを思い出す。最近『ブラックバード』に通っている、男性の一人客。ホストクラブは男性一人の場合、基本的には来店を断っている。よほどの事情がない限り、女性との同伴でしか入店は出来ない。吉田清という男は、その『よほどの事情』に該当する稀有なケースだった。というのも、この男は『ブラックバード』のホストである、カノが連れて来た男だったからだ。
自分のことを、全く知らない様子だった男。カノ以外、目に入っていない様子だった。
カノは、ナンバーツーとスリーを行ったり来たりしている。理由は明白で、カノ自身が積極的な営業をかけていないからだった。そのカノが、自ら連れて来た客。毛色の違う、変わった客。
(あの子奪ったら――カノのやつ、どんな顔するのかね)
北斗は口元に手をやる。その手の下は、嗜虐的な笑みで歪んでいた。
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