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23 門限

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『夕暮れ寮』の門限は二十三時である。外泊時や門限を過ぎる場合には原則三日前までに申告が必要だ。現在、二十三時十分。僅かに間に合わなかった。管理人室に明かりはついているので、謝罪すれば入れるには入れるのだが、まっすぐ玄関に向かおうとしたおれの腕を引いて、星嶋はなぜか建屋の裏へ回った。

「どこ行くの?」

「しっ」

 人差し指で「静かにしろ」と合図され、唇を結ぶ。こんな風にコソコソしているのは、なんだか秘密めいていてドキドキする。実際にはそんな場合じゃないんだが。

 裏手に回ると、寮の部屋に回ることが出来る。まさかここから部屋に戻るつもりだろうか。おれの部屋は五階だが。星嶋の部屋も三階だったはずだ。不安になっていると、星嶋は一階の部屋へめがけて小石を投げつけた。どうやら、102号室のようである。

 しばらくすると、部屋の住人らしい青年が顔を出す。金色に染めた髪を肩まで伸ばした、少し強面の青年だ。

「あんだよ……芳か」

「悪い良輔。門限過ぎてよ」

「あー、解った」

 良輔と呼ばれた青年と目が合う。ペコと会釈すると、「うす」と小さく返事が返ってきた。

「上遠野、声出すなよ」

「え?」

 ひょい、と抱えられ、窓の方に持ち上げられる。確かに、自分じゃ上がれなかったと思うけど、恥ずかしすぎる。事前に言われたので声は出さなかったが、代わりにグッと空気を飲み込んだ。手すりにしがみ付くと、良輔さんが引っ張って、上に上がるのを手伝ってくれる。窓枠の上で靴を脱ぎ、「ごめんなさい」と謝っておいた。

 星嶋の方はヒョイと慣れた様子でよじ登ってくる。もしかしたら、本当に慣れているのかも知れない。

「悪いな」

「良いけどよ」

 言いながら良輔さんがおれのほうをチラリと見る。なかなかに居心地が悪い。

「上遠野だよ。知ってるだろ」

「まあ……。仲良いとは知らなかったな」

「最近な。上遠野、コイツは押鴨良輔。俺と同じ資材調達の同僚」

「どうも、上遠野悠成です」

 ぺこりと頭を下げると、控えめに「押鴨良輔です」と返事が返ってきた。見た目は怖いが、中身はそうでもないようだ。しかし赤髪の星嶋と並んでいると、なかなか迫力がある。うちの会社、こんなに治安悪かったっけ。

「じゃ、バレないうちに行くわ」

「すみませんでした」

 良輔さんにお礼を言い、部屋を通らせてもらう。こんな風に寮の中に忍び込んだことなどなかったので、ドキドキしていた。廊下に出て、ホッと息を吐き出したおれに、星嶋がクスリと笑う。

「バレなかっただろ?」

「緊張した」

 思わず、フッと笑い返す。星嶋がじっと見て来た。

 キス、されるかも。そんな予感がしたが、星嶋はしてこなかった。

 寮の廊下でなければ、キスされていたかもしれない。

(――…)

 顔がじわり、熱くなる。こんな風に思うなんて、おれってばどうかしてしまったんだろうか。何度もキスをしたからかもしれない。星嶋だけが他の誰とも違う、別の何者かになってしまったようだ。居心地がいいような、悪いような、不思議な感覚に思わずもじもじと俯く。

「さ、バレねえうちに部屋に戻ろうぜ」

「そうだね」

 促され、階段の方へと向かう。門限を過ぎているせいか廊下をうろついているようなヤツもおらず、寮内は静かだ。音をなるべく立てないようにしながら階段を上る。ドキドキとワクワクの間のような感情が二人の間にあるのは間違いようがなくて、時折互いの服が触れ合うことすら、胸をざわつかせる。

 この感情は一体、何なのだろう。感じたことのないような甘酸っぱいときめきは、どうしてこんなにも胸を締め付けるのだろうか。

 やがて三階にたどり着き、どちらともなく立ち止まる。星嶋とはここでお別れだ。階段の明かりは不安定なのか、時々チラチラと影が揺らめいた。

「――っと」

 互いに見つめ合い、何かを言うのを待つ。名残惜しいのか、離れがたいのか。あるいは両方か。

「あ、荷物、持ったままだった」

 星嶋が手にしていたおれの荷物を渡してくる。受け取った指が触れて、とくんと心臓が鳴った。星嶋は荷物から手を離さず、じっと黙り込む。送ってもらうような距離でもなく、お茶を誘うには遅い。

 星嶋の手が、おれの手を掴んだ。きゅっと手を握られ、おれもそれを握り返した。

 あたりは静かで、人の気配はなかった。

 軽く手を引かれ、星嶋が顔をかがめた。今度こそキスが来る。そう思って、瞳を閉じた。

 やわらかい感触が、唇に触れて離れていく。

「……おやすみ」

「おやすみ……」

 別れの挨拶は照れくさくて、小さくそう言って、おれはごまかす様に階段をトントンと三段上がって振り返る。星嶋はまだそこに立って、おれを見ていた。

「おやすみ、今日はありがとう」

 もう一度そういうおれに、星嶋はにかッと笑って見せる。

「ああ、またな」

 星嶋の笑顔に、寂しさよりも嬉しさが勝って、おれは軽い足取りで階段を一気に駆け上がった。


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