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四十五 実家
しおりを挟むポケットに突っ込んだスマートフォンから、ピロリンと通知音が鳴り響いた。俺はリュックを抱えなおして、スマートフォンを手に取る。乗客の少ない休日の電車が、ガタガタと揺れながら走っている。リュックの中身は溜めに溜めたBL漫画のうち、実家に置くことを決めた本たちだ。
(誰だろ。風馬かな)
俺にメッセージを送ってくる相手と言えば、風馬か同期の壁際男子部の連中くらいのものである。アプリを起動してメッセージを確認して、俺は一瞬手を止めた。
『こんにちは! 先日はお話聞いてくれてありがとうございました』
(――亜嵐)
メッセージの相手は、栗原亜嵐だった。あれ以来特に連絡を取ってはいなかったから気にしていなかったが、急なメッセージに少しだけ困惑する。
(なんか、用事あんのかな……)
当然、俺の方には用事がないのだが。問題は亜嵐と仲良くしていると、彼氏がとっても不機嫌になりそうだという事実の方だ。
(とは言ってもな……)
既読無視するのもどうかと思うし、メッセージだけなら別に良いような気もする。取り合えず、当たり障りのない挨拶のスタンプを送っておく。するとすぐに返信が入ってきた。
『今度アルバム出るんで、風馬宛てに鈴木さんの分もCD渡すんで聞いてください! あと来週木曜の歌番組出るんでよろしくです!』
(お。なんだ。宣伝か)
そんなことだったら、CDだって買ってやるのに。まあ、先日のお礼の意味も含んでいるのかも知れない。今回は取り合えずお礼を言っておこう。返信とありがとうのスタンプを送信する。
話を打ち切って、スマートフォンをしまう。なんとなく緊張していた自分に気が付いて、ホッと息を吐き出した。
(なんで、気を遣わなきゃなんないんだ……)
多少げんなりしつつ、俺は再び揺れる電車の動きに身を任せた。
◆ ◆ ◆
家の鍵を回して玄関に入る。土曜の午後ともなると、大抵家の人間は外出していることが多かったのだが、珍しく弟がいた。弟の二葉は俺が帰ってくるとは思っても見なかったようで、リビングのソファに座って猫のように目を真ん丸にしてこちらを見た。
「えっ……。兄貴っ!?」
「おー。ただいまー。って、何読んでんの?」
インドアな俺とは違い、スポーツなんかやっている弟が、珍しく本を読んでいる。気になってヒョイと覗こうとすると、慌てて背中に隠した。
「っ! これはっ……!」
「ん? あれ、その表紙――」
なんか、見たことあるな? ってか、俺の本じゃねーの。
「え。お前……」
「これはっ! 暇だから! 兄貴が大量に持ってるから、ちょっと借りただけだっ!」
「お前もついにBL本を……ってか、お前、リビングで読むなよ!」
なんという事でしょう。両親もくつろぐリビングでBL漫画を読むなんて。恐ろしい子! これだから一般人は嫌なんだよ。
「しかし、お前がBLを読む日が来るなんて……あんなに俺のことキモいとか言ってたのにさあ」
「キモイのは今も変わらねえよ。なんとなく読んだだけだし」
あらあら。ツンデレかしら。弟がツンツンしてても可愛くないけどね?
「で、何だよ急に。また本持ってきたのかよ」
「そうそう。お母さんたちは出掛けてるんだね」
両親ともに共働きなので、休日は行楽に行ったり用足しに行ったりと、大抵は忙しくしている。元気なのは良いことなので、顔は見れないが問題ないのだ。
「兄貴、いい加減にしないと床抜けるぞ」
「うーん。そうなる前にレンタルスペースでも借りようかね……」
そのうち本当にそれが現実になりそうな気がする。
(風馬と、暮らすかも知れないし……)
先日話したことを、うっすらと妄想する。一緒の家で起き出して、一緒の家で暮らす。そんな妄想。
「――二葉」
「あ?」
二葉はいたずらが見つかった子供みたいな、バツの悪そうな顔をして、俺の方を見上げた。
「俺ね、イケメンの彼氏出来た」
「――はっ。妄想乙」
信用されなかったようで、二葉はそう吐き捨てて鼻を鳴らした。
(本当なんだけどな……)
まあ、今ので信じてもらえるとは、最初から思ってないけど。いずれは、弟にも両親にも、風馬を紹介することになるだろう。その時、どんな反応されるかは解らないけど。
二葉と軽く喋ったのち、二階にある自分の部屋へと上がる。半ば物置と化している俺の部屋は、書棚いっぱいの本の他、掃除機や季節で使わない家電などが置かれていた。
「えーと、この辺りに入れておくか。何だ、結構持ってってんだな二葉のヤツ」
開いていた空間を埋めるように本を入れる。何故、今更興味がなかった俺のBL漫画に手を出したのかは分からないが、どうせなら語れるようになって貰いたいものだ。
本の整理をしながら、ふと手を止める。
このまま風馬と付き合って、俺の人生がどうなるのか、色々悩んだりもした。悩んだけれど、結局俺は、風馬と居ることを選ぶのだと、最近はゆっくりと実感し始めている。そうなれば、家族にそのことを告げるのは、遠い未来の話ではない。もし、風馬のことを反対されても、別れることはないだろう。生半可な覚悟で、付き合うことを決めたわけじゃない。けれど、家族を無視は出来ない。俺にとっては、どっちも大事だ。
(すべてを捨てるなんて、漫画みたいなこと、出来ないし)
いつか見たBL漫画みたいに、二人だけの世界で生きていけるとは思わない。風馬がいれば幸せだけど、大切な人はたくさんいる。家族も、吉田たち同期のみんなも、友人たちも。みんな大切な人たちだ。嫌な感情を持たれても、少しずつ、理解してもらいたい。そんな風に、思えて来たのは、やはり風馬への愛情で、それこそが、俺の恋なのだと思う。
激しく燃えるような、切なさがこみ上げるようなものじゃないけれど。暖かくて、誰にも奪われたくない、大切なもの。それが、俺の恋の形だ。
(だから)
だから、どうしても、0.1%が、埋められない。
俺と、風馬が違うことは解っている。風馬には風馬の考えがあって、これまでのことがあって、思いがあるけれど。それでも。
「……俺は、兄貴に紹介して貰えないのかな」
風馬と亜嵐に確執があるのは解っている。けれど、兄弟だ。
風馬は一生、俺を亜嵐に紹介しないのだろうか。亜嵐のことも、俺のことも――信用してくれないのだろうか。
風馬のその溝を、俺には埋められないのだろうか。
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