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三十五 初デート
しおりを挟む一日の仕事は、俺に冷静さを取り戻させる良い機会だった。会社のデスクに座って、設計図を確認しながら、ボンヤリと風馬のことを考える。
(よく考えてみれば、俺のどこが好きなのかとか、兄貴と折り合いが悪いのかとか、ちゃんと聞けてないんだよな)
驚きすぎてそれどころじゃなかった。ついでに言えば、風馬はあまり家族のことを話したがらない。芸能人だからというよりも、微妙な確執があるのだろう。兄弟――といっても、風馬と亜嵐は同い年の双子だ。普通の兄弟でも、張り合ったりいがみ合ったりする。友人のように仲の良い兄弟もいれば、そうでない兄弟もいる。歳が近ければなおのことだろう。
(俺にも弟がいるけど……)
俺の弟は、現在大学生である。三つ歳が離れている兄弟は、年齢差としては平均的なところだろう。うちの場合は物心ついたころは、俺のあとをくっつきまわって歩いていたが、俺が本やゲームといったインドアなコンテンツに惹かれていくのに対して、弟はテニスというアウトドアな方向に向かっていった。そのため、次第になんとなく薄い膜のような距離が出来たように思う。仲が悪くなったわけじゃないけど、一緒に何かをしたり、どこかに行ったりということは減った。
亜嵐の場合は芸能界に入り、物理的にも距離が出来たことだろう。反面、テレビの中で見ない日はないほど、見かける存在。風馬は亜嵐がテレビに映っているのをみて、どう思っていたのだろうか。考えてみれば、そんな話はしたことがないし、そんな雰囲気がない寮が気楽なのだろう。
(これまで、聴かれて来たんだろうな)
容易に想像がつく、亜嵐のプライベートを探ろうという周囲の声。切実に知りたいわけじゃないくせに、家の事情や心理を掘り下げようとする、厚顔無恥な言葉たち。反応をしなければしないで、心無い言葉を吐き捨てる、そんな無礼な人間が、幾らでも想像がついた。
(俺も、風馬のことを知りたくはあるけど……)
そういう意味じゃないと、風馬は解ってくれるだろうか。俺が知りたいのは亜嵐のことじゃない。風馬のことなのだと。
「彼氏……なんだし……」
小さく呟き、ポッと頬が熱くなる。我ながら初心すぎるとは思うが、未だに信じられないのだから、仕方がない。だって、だって。
ハァと溜め息を吐き出し、俺は気を取り直してパソコンに向かった。
◆ ◆ ◆
『デートしませんか?』
と、風馬からメッセージが入ったのは、定時十五分前のことだった。残業の予定もないのですぐさまOKの返事をすると、ニコニコ顔の犬のスタンプが送り返されてくる。風馬の喜ぶ姿を想像し、胸がきゅんと疼いた。
(可愛いな)
年下男子の可愛げにやられている。ただでさえ、元々後輩力が高いのに。
(デートっていっても、別に今までと変わらないし)
外で飯を食って、帰るだけだ。何も変わらない。何も怖いことはない。
「……デートか」
ふと、自分の姿をチラリと見やる。すり減ったスニーカー。通勤の日は毎日のように穿いているスラックス。アイロンが面倒だから形状記憶のものを買ったけれど、いい加減くたびれて来たシャツ。ついでに言うと、美容室とは縁遠い、自分の髪。
「……」
デートか? マジで? この格好で?
風馬はいつだってオシャレで、気張っているわけじゃないのにどんな時でもキマってる。今日だって間違いなくカッコいい。
固まってしまった俺に、隣の席の女子が眉を顰めて首を傾げる。
「鈴木さん、どうかした?」
「……ちょっと聞いてみたいんだけど」
「うん」
「客観的に見て、この格好でデートってアリ?」
俺の言葉に、彼女は俺の格好をつま先から頭まで眺め見て、口元でフッと笑った。
「ナイ」
「ですよねー」
はぁ、デートって、どんな格好すりゃ良いんだ。
◆ ◆ ◆
とはいえ、会社帰りのデートでオシャレをする隙などあるはずがない。退勤前にトイレに駆け込んで、髪を水で撫でつけてはみたものの、余計に悪化した気がする。
「……うむむ。なんだこれ、全然いまいちなんだけど……。くそ……」
誰か俺にオシャレを教えてよ。もうわかんないよ。
(待たせるわけには行かないし、これで行くしかないか……。はぁ……どうせ風馬は俺の恰好なんか知ってるしな!)
どうしてマシなシャツの一枚も持っていないんだと、自分を責めながら、俺は風馬の待つ玄関先へと急いだのだった。
「一太先輩、イタリアンで良いですか?」
「うん」
くぅ。カッコよ。玄関先で落ち合った風馬は、予想通りにさりげなくオシャレでカッコよかった。ビジネスカジュアルの堅すぎないファッションと、さりげなく香る甘い匂い。髪、どうやって一日過ごしてそんなに決まってるの? 俺、ボサボサなんだけど。なんなら水を付けたせいで変なところがぴょこんと跳ねてるんだけども。
思わずじいっと見上げていると、風馬がはにかんで見せる。
「先輩、見すぎ」
「あ、うん。ゴメン」
「いえ、先輩に見られるのは嫌じゃないんですけど――だって、好きなんでしょ?」
「……まあ」
顔がな。顔が好きなんだぞ。『好き』という言葉を言わされた気がして、ついむくれてしまう。恥ずかしいじゃん。やめてよね。俺が好きなのは顔なんだから。まだ好きになってないんだから。
退勤する社員たちに紛れて、俺たちも歩き出す。あたりは薄暗く、車通りも多くなって来ていた。通勤している社員の多くは、自家用車通勤だ。この辺りは田舎で、バスや電車は不便だからだ。夕暮れ寮の仲間たちが、寮とは反対方向に歩く俺たちを見つけて、外食かと訪ねて来る。こうやって二人で歩いていても、いつものことだ。別にデートって感じじゃない。誰にも突っ込まれたりしない。
そう思っていると、風馬が不意に口を開いた。
「デート、新鮮じゃないですか?」
デート。と、改めて言われて、ドキリと心臓が跳ねる。意識しないようにしていたのに、わざとそう言われたみたいだ。
「ま、まあ……」
誤魔化すように返事をしながら、瞳を逸らす。なんとなく、顔が熱い。
デート――のつもりは、本当のところあまりないのだけれど、こうやって風馬と出かけるのは、少し特別だ。普段はまっすぐ寮に帰ってしまうし、たまに外食をしようという時も、寮の近くの食堂なんかで済ませてしまうことが多い。黒く染まった空も、賑やかな街の明かりも、見慣れた街のはずなのに違う街みたいでドキドキする。風馬が横に居ると思うと、余計にふわふわと、足元が揺れる気がした。
(ああ、俺。浮かれてんだな)
デートのつもりなんかじゃないのに。いつもと変わらないはずなのに。なのに、何故だかドキドキする。風馬が隣に居て、嬉しい。
顔が赤いかもしれない。けど多分暗いから、風馬にはバレていないはずだ。
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