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四十五 トクベツなのに

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「自分にとって大切な記憶でも、相手にとってはそうじゃないこともあるってことだ。まあ、俺ってその程度だったんだ。鮎川にとって」

「うるさいっ! 忘れてたわけじゃない! お前が変わり過ぎなんだよ。すごく小さくて可愛かったのに。髪だってピンクだし!」

「良いよ良いよ。再会を喜んでたのは元々俺だけだったし」

 岩崎の言葉に、鮎川はぐっと息を詰まらせて、何か言いたそうだったがそれ以上なにも言わなかった。岩崎はというと、鮎川が自分のことを忘れていたことについては、今更ショックでもなんでもない。ただ、思いのほか忘れていたことを指摘すると、反応するのが嬉しかった。そのおかげで、つい意地悪なことを言ってしまう。いつも虐められているから、立場が逆転した感じだろうか。

(マジで忘れてたわけじゃないんだ)

 忘れていたというよりも、記憶が引っ張り出せなかったのだろう。鮎川の言う通り、岩崎は随分成長した。何しろ、八年も前の話なのだ。まさか鮎川が、八年前の自分が中学生だったという認識がなかったとは思わなかったが。

「まあ、シューヤ可愛かったもんなぁ。女の子みたいな顔してた」

 イケメンになったと言いながら、岡崎が朝定食としてアジの干物を中心にした定食を出してくれる。

「俺も最初、解らなかったけど。金髪だったし」

「社会人になってピンク色してるお前の方がおかしいんだからな」

「鮎川さん営業部っすからね」

 岩崎にしてみれば、鮎川が昔馴染みのいる店に連れてきたほうが、意外だった。ずっと過去の話に触れないようにしていたのに、何故なのだろうと思っていると、顔に出ていたのか鮎川は「あー……」と、バツが悪い顔をした。

「知ってるとは、思わなかった……」

「多分俺の方が、皆のこと知ってるね」

「……」

 さっちゃんもマーコも、ゆっちも覚えていなかった。鮎川の記憶からは多くのものが零れ落ちているに違いない。その中に、自分はほんのひとさじほど引っ掛かっていたようだ。それが解っただけでも、十分な気がした。

「そう言えば、禁煙したって?」

「うるせえな、それを蒸し返すなよ……」

 恥ずかしそうにしている鮎川に、岡崎の方がニヤニヤしながら口を開く。

「シューヤがタバコの臭い嫌ってたからな。あんなヘビースモーカーだったのに、いつの間にか止めちゃって」

「言うなってんだろ」

 バシッと岡崎の背中を叩いて、席から追い出す。鮎川は恥ずかしそうにしながらみそ汁を啜った。

「マジか。そういや、昔はすげー臭かった」

「……お前、タバコは?」

「やってねー」

 吸おうと思ったこともなかった。憧れはしたが、どうしても無理だった。

「酒もタバコもなしか。健全だ」

「酒は飲める」

「止めておけ。酒癖が悪い」

 鮎川の言葉に、岩崎はむぅっと唇を尖らせた。



 ◆   ◆   ◆



「ごちそうさまでした。今度は友達と食いに来ます」

「おう、待ってるぞ」

 岡崎に別れを告げて、店を出る。鮎川は始終、居心地が悪そうだった。

「鮎川、ごちそうさま」

「……ああ。それにしても、まさかお前が――あの崇弥だったか」

「気づいてて言ってるんだと思ってた」

 鮎川の隣に並び、横顔を見上げる。

(いつもは昔の話すると怒るけど、今日はもしかして教えてくれるかも知れねえな……)

 今日は、いつもとは違う。そう思って、恐る恐る聞いてみる。もし怒られても、『お仕置き』なら怖くない。

「なぁ、……なんで、バイク辞めたの?」

 鮎川がチラリと岩崎を見る。いつものように怒ったりはしなかったが、返事もなかった。長いこと無言で歩いて、しばらくしてポツリと呟く。

「まあ、色々、あった」

「……ふーん」

 結局、言いたくないのだと、少しがっかりする。

「言っておくがな、あんなもん、良いもんじゃないからな」

「でも、昔のアンタはカッコよかった」

「……今はダセェもんな?」

 皮肉な笑みを浮かべて言われ、唇を曲げる。そんな風に思ってない。

「服のセンスはダセェけど」

「うるせえなあ」

 鮎川の手が伸びて、髪をぐしゃぐしゃと乱される。岩崎は「何すんだよ」と言って鮎川の手を振り払った。

「……誰より速かったのに」

「ばーか。公道の最速は60キロなんだよ。マジで外で言うなよ」

「解ってるけど」

 フイと視線を逸らして歩みを速める鮎川に、岩崎は置いて行かれまいと小走りになる。Tシャツの裾を掴んで、鮎川を引き留めた。

「なあ」

「あ?」

「――ダセェとか、本当に思ってない。アンタは今でも俺の憧れで、トクベツだ。大人になって、色んなことが変わってるのも解ってる。アンタが思ってるより」

「――」

 鮎川の唇が、僅かに動いた。何かを言いかけ、きゅっと固く結ばれる。岩崎は視線を逸らさなかった。

「いつかで良い。いつか――一緒に走れるって、思ってちゃダメなのかよ?」

 岩崎の言葉に、鮎川は瞼を伏せた。Tシャツを握っていた手から、力が抜ける。

「――そんな日は、来ねえよ」

 呟きに、岩崎はぐっと、こみ上げるものを呑み込んだ。鮎川が背を向け、歩き始める。岩崎はその後を、追うことが出来なかった。

「……俺は、ずっと待ってる」

 呟きは、鮎川には届かなかった。





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