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8 いつか泣いてくれますか?
しおりを挟む良輔が居なくなったであろう時間を予測して、シャワーを終えた俺は、部屋へと戻ってきた。火照った肌に化粧水をたっぷり叩いて、使い捨ての美容マスクシートを顔に貼り付ける。
「ふぅー、気持ちーっ」
ひんやりしたマスクシートは心地良い。爽やかな香りも気に入っていた。
「ったく、心配症なんだから」
背中を伸ばしながら、良輔を思う。あんな風に心配されては、やりにくいじゃないか。
(そんで、あながち的外れでもないんだよな)
良輔の不安を、苦い気持ちで思い出す。
俺は――監禁された経験がある。誘拐と言った方が良いかもしれない。
『泊めて欲しいんだけど』
『――っと、急に……そんなことを言われても……』
中学の頃だ。常に夫婦喧嘩をしている両親と、都合が悪いとすぐに家を出てどこかに消える父親。残されたヒステリックな母親に、何度「あんた、あたしのこと笑ってるんでしょ!」と叩かれたか解らない。
そんな家に居たくなくて、友人の家を点々と泊まり歩いていた。ついには泊めてくれる友人の当てがなくなり、殆ど会話をしたこともないクラスメイトを訪ねて断られ、「そりゃそうだよな」と、途方にくれてコンビニで時間を潰していた時に、その男に声をかけられた。
『どうしたの? 家出? 良かったら、家に来る?』
俺は男だから、なにもされないだろうという気持ちと、何か危ないことをされるだろうな、という気持ちが、両方あったと思う。両親が泣いて心配するところなんて一ミリも想像できないのに、心配させてやれという気持ちがなぜかあった。まだ、期待していたんだろう。
俺は男に連れ去られ、五日間監禁された。その五日間で、俺は男の味を覚えた。
(アレを、軽くは考えてないけどさ)
怖い思いはしなかった。結局、俺はそっちの人間だったから、いずれ覚えていたと思う。けど、殺される可能性だってあった。解ってる。良輔が言いたいのはそういうことだ。
(そりゃ、解ってるけど)
良輔はこっち側じゃないから、そんな風に思うんだ。必死に俺を日差しの方へ連れていこうとしてるけど、俺は結局こちら側にズブズブと浸かっている。
いつか惨めな死に方をしたって、仕方がないと思うのは、悪いことだろうか。立派に生きなきゃ人間らしく死ねないというのなら、俺は人間じゃないのだろう。
両親に見捨てられ、兄弟も親戚も居ない自分の死に様は、誰も見送ったりはしない。本当に、誰も居ないんだから。
(ああ、でも)
もしかしたら良輔は、見送ってくれるのだろうか。
あの男なら、「馬鹿が」と言って涙を流してくれそうだ。
「……良輔より先に、死なないとな」
フッと笑って、俺はマスクを剥がしてゴミ箱に放り投げた。
◆ ◆ ◆
朝飯を食いに食堂に向かう。うちの寮は専属で管理栄養士を雇っていて、社員の健康を管理しているとかなんとか。とにかく、安い、上手い、健康的の三拍子が揃っているので、俺も大抵は食堂利用だ。お弁当も作ってくれれば良いのに、と密かに思っている。
腹回りを気にして野菜中心、穀物なしのスタイルを数年貫いているが、いまいち理想の体型にならない。酒が悪いんだろうな。うん。
トレイにサラダとヨーグルト、野菜ジュースを取って席を探していると、良輔たちが座っている席を見つけた。丁度一席空いている。
「おはよー」
「おはよう」
「おう」
「おはようございます」
良輔の向かいに座っているのは、同じく同期の星嶋芳。その隣に我が寮での人気が高い美人、上遠野悠成だ。星嶋と上遠野はタイプが違う人間だが、馬が合うのか良く一緒に居る。俺的には色白美人で仕事も出来るとか、嫌味過ぎて近寄りたくないって感じだ。あの肌、俺にくれないかな。
じっと見ていたら星嶋に「なに見てんだ」という顔をされた。
「お前、また草ばっか食ってんの」
「ダイエット中~」
星嶋が言うのにそう返すと、良輔が眉を寄せてこちらを見る。
「何で、太ってないじゃん」
「二の腕ー? 顎のラインー?」
「てめぇは女子か」
星嶋は呆れたようだった。良輔は不満そうだ。どいつもこいつも、男がダイエットとか気に入らないらしい。
「今時男子は体型とか気にしなきゃですよねえ、上遠野さん」
上遠野からの掩護射撃を期待した訳ではない。先程から一言も喋らずに、聞いているのか居ないのか解らない顔で澄ましていたので、話を振っただけだ。見目は良いが、親しくなれそうな雰囲気のない男だ。どうして星嶋と仲が良いのか解らない。
俺の声に、上遠野は顔を上げて綺麗な顔で薄く微笑む。
「そうだよね。若い男子とかは特に、体型とか気にしてるんじゃない?」
「そうなんですか?」
良輔は未知の世界のようで首をかしげる。良輔は上遠野に対して敬語のようだ。確か、一つ歳上だった気がする。
「うん。お肌の手入れとかもね。過度なダイエットは良くないけど、健康に悪くないなら良いと思うよ?」
意外だ。上遠野は理解あるタイプだったらしい。もしかしてあのツルツルもちもちの肌も、何か手入れしてるんだろうか。
「上遠野さんも何か手入れとかしてます?」
しているのなら、是非とも教えて欲しい。潤いとか、ハリとか、是非。
「あ、いや、おれは特に何かしてるってわけじゃないんだけど」
はい、敵認定ー。
なにもしないでその肌とか、敵じゃん。
思わず睨みそうになった俺を遮り、星嶋が箸で指す。
「渡瀬はなんかやってんのか」
「うるせーな、やってるよ。洗顔、シートマスクは朝と夜、化粧水に乳液、クリーム。あと目元用美容液だろ……」
「メチャクチャやってんな」
「やっててこれなんだよ!」
ダンとテーブルを叩いてレタスを口に運ぶ。本当に腹立たしい。
「気にする必要あるか?」
「止めておけ良輔。言うだけ無駄だ。本人が気にしてんだから」
星嶋はよく解っているようだ。周囲にいくら「平気」って言われたって、俺が嫌なのだ。白くてスベスベの肌が羨ましいのだ。
「うーん……」
良輔は納得が行かない、といった様子だった。
「人は見た目が九割って言うだろ。中身がどうのこうの言っても、最初に懐に入れなきゃ終わりよ」
「……営業だから?」
「なんでも」
良輔はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、結局それ以上はなにも言わなかった。
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