vaccana。

三石一枚

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第二話 出里若菜の放課後

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 その店は、いつだって客が栄えることはない。閑古鳥が居を構えるような店。
 喫茶店、フォレスト。
 あたしの放課後の勤め先だ。


 夕方の駅前は言うまでもなく雑多だ。右も左も、上も下も視界に入うる情景すべてにヒト、ヒト、ヒト。店内の窓ガラス越しに映る駅の様子は、僅かなモザイク調の細工がしているだけあって、一枚隔てた向こう側の黒い人影がうぞうぞと壁を這っているようにすら見える。ちょうど夏場の、明かりに集る昆虫の群れのようだ。おぞ気の走る光景である。
 「……だぁれも、入店しませんよ。てんちょー……」
 あたしは両手に抱いたトレイをふりふりさせながらそうぼやいた。あたしの始業時間は十七時から。そこからやく三時間のお勤めになる。所謂ところのバイト。入学してすぐに始めたので早三か月。三か月と経つが、いまだにこの店がカフェとして大成しているところを見たことがない。従事中、店長と駄弁ることだけが仕事のようになってきてしまっている。


 「珈琲とか、ちゃんとおいしいはずなだけれどね。客足が全然伸びないのよねえ」
 と間延びするような話口が特徴の、すこし肥った店長が店の奥から現れた。当店のロゴ付きの緑生地のエプロンを着用している。言っちゃ悪いが見え方的には中華屋の料理人という方が似合っている。というか見合っている。
 何ともしまりのないその言い方には情熱というものがこもってないように思える。経営者たる態様がまるでない。
 「圧倒的に宣伝不足でしょ。ちゃんと客呼び込みとかしてます?」
 「カフェって呼び込みするものなのかなぁ。大体は雰囲気で訪れない? ここいいなーとか、そういうフィーリングで」
 「……それに関しては、あたしも同感なんですけれどもねぇ」
 店内の内外観は全然悪くはない。あたしも美的センスがピカイチというわけじゃあないけれども、通りすがりにこういった店があったならば多分に客として足を運ぶものと思えるのである。外観は西洋風漂うイタリアンな装飾を拵えていて、店内に這入れば檜の香りがほんのり漂う木造の作りを持った広い空間が待ち構えている。灯は開いた花のようなシャンデリア。設えた木目調のテーブルとイスは環境によく馴染んでいる。森林地帯で日光浴でも浴びながら、直挽きしたコーヒーに舌鼓を打つというコンセプトは素人目にしても説明を聞けば目を引くテーマな気がする。
 だからこそあたしは悲観するのだ。せっかくいい店にやとわれたわけだけれど、これを共感してくれる人がまるでいないみたいだ。


 「……あたし的には」と髪の毛をこねくり回しながら
 「静かで楽ってのは願ってもないんですけど、これでおカネもらえちゃうのは若干気が引けるというか」と本意を語ってやった。
 不当な対価問題というものがある。大抵、仕事量に対して賃金が低いことに由来を置かれることが多い。しかしこれには逆もある。仕事量の少なさの割にそこそこ懐があったかいという状況だ。まさしくあたしがそれ。この場合、経営者も納得し、従事する方も重みのある賃金袋を恭しく頂戴するだけであるのでそう表立って出てくる問題じゃあない。問題にならないというべきか。双方の理解の上成り立っているわけなので、第三者が割って入り不当だなんだと暖簾をつつく真似はできないってわけだろう。


 「業務が楽っていうのはガッツポーズものだと思うけれど?」とは店長の返答である。確かにあたしの大の親友たるラニであれば喜々としてこれを口外するだろう。高校生バイトとしてのもっともな在り方はそのようなもののはずだ。楽で高給など手放しに喜ぶべきものだ。
 だけれど、表向き不真面目を象りながら、だが根がくそほど真面目なあたしにすればこんな佇立してオーダーもとらず、ただ店内のBGMをきいて耳朶の肉厚を肥やすだけの日々で入金されると来ると何というか心痛が襲うわけだ。仕事をしていないじゃないか、という稀有な不満がある。
 そりゃ入り始めは楽さ加減に正直ウキウキしたもんだ。店長もいい人であったしキホン駄弁るだけで時間が過ぎて定刻退勤。こうまで楽でいいのかしらんと小気味よくスキップしながら帰路についたまである。


 その達観は三日と持たない。三日後にゃ途端に謎の罪悪感に見舞われたわけである。先ほど述べた対価問題が端を成してる。こうまで楽でいいのかしらんと薄気味わるくて頭を抱えた。まこと、物煩いのおおいバイトちゃんである。
 経営の危機なんざバイトが口を出す場所ではない。方針は長である店長が出すべきで、無論かじ取りも航路も店長が手ずから行うべきものである。であるからして、あたしはただのオール引き。達しの通りに船を進ませる漕ぎ手が進路を懸念するというのも端から見れば差し出がましいものではあるのだろうが。


 と、突如店の出入り口のチャイムが鳴った。
 「出里ちゃん、出番」
 囁く店長にうなづいてあたしは接客に入る。
 お客さんは上背の高いお姉さん。都合の分からない装いで入るや、おずおずとあたしの目の前に指一本立てて見せた。
 「一人でお願いします。……予約取れてなくても入れますかね?」
 昨今の店は確かに予約をとらないと入れないものが多い気がする。……こういったカフェというのはもしかしたらそういった一見さんお断りのような雰囲気を漂わせているのかもしれない、と分析しつつ、だが笑顔で
 「大丈夫ですよ。お好きな席へどうぞ」
 と促した。お客人は目元で爽やかに笑い、通り過ぎてった。
 へぇ、と思う。綺麗な人である。上背のある美人さん。といっても黒いつば広めの帽子とこれまた口元を隠した黒色のマスクがあるためにその顔の委細はわからないが、所謂目元美人ではあるようである。……人の貌の採点を行うのは接客業のあるあるもとい悪しき風流かも知らん。


 彼女が頼んだものはアイスコーヒー。透明のグラスに氷と真っ黒い液体を入れ、受け皿の端にクリープをひとつ。それを、お客人に提供した。
 軽食を挟もうというわけでもなさそうだ。出されたコーヒーを、小粒の飴でも舐めるようにくぴり、くぴりと飲んでいる。外の景色を眺め、飽きたときたら視線を腕に移している。おそらく腕に時計でも巻いているのだろう。
 「外、暑かったでしょう」と思わずあたしはお客さんに声をかけた。
 暇をつぶし損ねている、と思った。加えて、季節的に合わぬ服装をしていたがためである。季節は夏初めの七月。時期的には合わぬ服装だ。なんたって肌の露出が見られない。ガードの硬さがうかがえるのである。
 衣装はなるほどワンピースに近いが、指の先までを隠すような珍しい着方をしている。アームガードや長めのソックスの為に地肌の覗く隙間がない。あたしの、余所行きの私服のそれに近い。親近感がわいたのだ。
 「ええ、今日は特に」と彼女は返した。あまり熱気のない日頃ではあるものの、その服装なら熱いと言わざるを得ないだろう。彼女は
 「私、陽ざしが苦手なんですよ。すぐシミになっちゃったり、肌が弱くて。おかしいでしょう、この時期にこんな服なんて」
 とあたしの視線の所以を知ったように言ってくる。かぶりを振って
 「いえいえ、変なんて。あたしもほら、この見てくれですし。日差しに弱いっていうの凄いわかります」
 と答えて、血迷って前髪を掻き上げ、額を見せた。地肌を見せたかっただけだが、腕をまくるとも表皮を示するでもなく額を見せることに相成ったのは、ひとえにパニクったからだった。地雷を踏んだものと焦った。
 「珍しいわよね」と彼女はつぶやいて
 「生まれつきなの?」と訊く。
 「遺伝ですね」あたしは満面の笑みで返した。
 「母親が、この肌を持って生まれたらしくて。あたしはその二世です」
 「言ってよいのかわからないけれど、綺麗ね」
 彼女はアイスコーヒーを一口煽る。
 「……生まれつき、人が持っているそういう特徴って、触れてよいのかちょっと迷っちゃうのよね。やっぱり、気にしちゃっている人は必ずいるわけだし」
 「あー、確かに遠慮しちゃう気持ちはわかります。というか、あたしも遠慮されてきた口だし。でも意外とそういう気遣いとかをされてるな、っていう雰囲気、察せちゃうんですよね」
 「そうなの?」
 「視線や話し方とかで伝わっちゃいますね。そーいうの。たまにそんなこと微塵も気にせずに近づいてくる人もいるんですけれど、そういった人のほうが稀な気がします」
 あたしの脳裏には爪の長いツインテのシルエットが浮かんだ。
 「敏感にはなっちゃうんだ。そういうのに」
 「ええ、特に視線には」
 「……あたしもね」
 と彼女は切り出した。
 「もともと肌は弱くなかったんだけれどね。急にダメになっちゃったんだ。陽ざしに当たらないように生活するには布面積を広げるしかないじゃない。けれど今は夏に面してきた時期。どうしても目立つようになっちゃってさ。貴方の言う視線っていうの、今更気づき始めちゃった」
 「あまりいいものではないわね」と彼女は苦々しい表情をつくって小さく息を吐く。傍らで、グラスの中の氷がぱちりとはじけた。
 「その、貴方は厭じゃなかった? 一番最初、貴方に対して綺麗だっていった事。……話の流れからすると、貴方がもし肌で気にしていたのならひどい事いったことになるわよね」
 と彼女は眉を下げて言うけれど、あたしは「いえ」とまず答えて
 「うれしかったです」と続けた。
 「うれしかった?」
 「あたしは自分の身体が好きなので。勿論、変な見方とかされちゃうことも多かったんですけど、それ以上にお母さんが大好きだったんですよね。同じように真っ白で綺麗だったから。だから、母から受け継いだ血の結果をほめてもらえるとか、最高じゃありません?」
 誇りというと少し大仰だが、しかし実際のところこの異質と思われるかもしれない、自分の容姿はとてつもなく好きだった。視線という質量のない威嚇あるいは攻撃を受けることももちろんしばしばあったわけだけれど、あたしを疎むやつらにあたしを超える魅力はありえないと思っている。聞こえはナルシストのそれだが、この自己愛の根底は実の母を底の方から尊敬している点からきている。西欧でよくみられる血族に対する情熱のそれに近いかもしれない。だからこの特徴は気になりはすれど嫌いになれるわけがなかった。
 「……めちゃくちゃいい子じゃない、貴方」
 「あは、それほどでも」


 グラスの中の透明と黒が混ざり、色付きの水越しに向こうの景色が鮮明に見えるくらい時間が経った頃、彼女はすくっと立ち上がった。
 「時間ね。待ち合わせしてたの。ある人と」
 「勘定をお願い」と彼女は言うので、その足でレジスターに向かった。
 出て行かれるその瞬間、彼女は振り向いて
 「縁があれば、また逢いましょう」と口にした。
 「……いい縁であればね」人ごみの中に埋もれていく彼女は、どこか寂し気な影が在るように見えた。
 「……やに親しく話していたけれど、知り合い?」
 片付け中に店長が尋ねてきた。あたしは首をひねり
 「いーえ。初めて見る人です。何であればかなり気さくに話が続くから、ここの常連さんかと」
 「いーや。初めて見た方ね」
 「なら間違いなく新規さんですよ」
 「初めてでああまで話続くの? コミュニケーション能力高すぎない? まるで猫ね」
 「愛嬌はいい方ってよく言われますよ。年上からはね」
 「実際、そうでしょう?」と店長の方をニマつきながら言ってやると「確かにね」と得心が言ったような顔つきをした。
 「しかしまあ、ラッキーですね」とあたしは台を拭きながら言う。
 「何が?」と店長が分からぬそぶりで聞くもんだから、ついうれしくなってちょいと勝ち誇ったように言ってやる。
 「リピーター、獲得ですよ」
 「……愛嬌はあっても、薄情よね」
 何とでもいい給え。しかし讃えよ。
 あたしは招き猫だ。
 
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