猫と嫁入り

三石一枚

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十九話

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 「それこそ、この月内にでも、麗かさんを貰いたい。俺はそう思ってます」 

 今更に驚く必要はない。更に言うなら、焦る必要もなかった。
 もとよりその契が交わされていたわけで、それに対して私は肯定的に動く決断もしていた。
 最初からそうなる予定で私たち二人は顔を合わせていたわけだし、それ以外の他意はなかった。
 いつ来るかわからなかった終着点というか着地点が、今にして至った。それだけの事だ。
 それでも、当の私は彼の口から紡がれたその言葉に、どう答えていいか分からなくなってしまった。
 どう応えてやればいいのか、分からなかった。

「・・・」

 上品な静寂が店内を支配しているからこそ、私の沈黙はこと更に印象を深める。
 受け皿とカップが擦れる音。人が周囲を気にした結果と見えるヒソヒソとした話し声。果ては液体を啜る音すら、この空間の中では強調したかのように大きく反響する。少なくとも、私はそう思った。
 黙りこくったこの数秒。私は彼に対しての言葉を探していた。頭脳の海で目まぐるしく泳ぐ文字の羅列の中で、どの言葉の組み合わせがより相手に添える答えなのか、考える。
 変に黙る方が相手に失礼である事は十二分に知っている。なにか答えなくちゃならない。返事をしない所業は、相手から否定の意味合いで取られかねないのだから。

「あ、と。その、そう、ですね・・・?」

 やっとの事で口から紡げた言葉はこれだった。しどろもどろすぎる。
 動悸も落ち着かぬ私をよそに、目の前の婚約者は落ち着いた様子で飲み物に手を伸ばす。あんな事を言った矢先であるのに、まるで何も気にしてない様子だった。

「・・・俺としては、もう少しじっくり慣らしてから切り出してもよかったんですけれどね。俺はあなたと会合した時から、既に未来の嫁であるとして見てました。生涯を共にする相手であると。あなたを家族と呼べる日が何時になってもいいように、その用意をしていたというか。ですが、こればかりは俺の都合や一存のみで決めるべきことでは無い。俺が準備できたとしても、麗かさんの心の準備がまだなら、早々に取りつけるものでないと考えてました。だからこそ、こうして顔を付き合わせて時間を共有していき、ゆくゆくは許嫁の件を果たそうと思ってたんです。当初は、ですが」

 彼はそう言う。

「・・・私のことを気遣ってくれていたのは、凄く嬉しいです。・・・けれども、かなり急な気がしますが・・・」

 彼の言い分をそのままに受け取るのならば、もし、本当に彼が私を気遣ってくれる気持ちがあったとするならば、それはそれでたった今口に出された婚約の件も違和感がある。なんというか、形容しずらい部分もあるけれど、あまりにも火急ではなかろうか。
 私も私で、彼の事を理解しようと努めている。その中で分かったものがあるのだが、彼は人に対して驕った態度は決して出さず、どんな相手にも誠実に対応することが出来る人だ。重ねて、嘘を平気でつける質でもない。根っからの紳士者だ。
 だからこそ、彼の言い分を私は否定をしない。きっとそれは本心なのだから。
 とは言えども、誠実さがウリである彼が、突拍子もなく件についてを触れこむその姿は、話に片をつけようと焦っているようにも感じた。
 前回では家族になるのだからゆっくりと慣らして行ければいいとまで言ってくれた彼が、今になって私に嫁がせるのを急かせているかのように。・・・そんな変わりようがあるだろうか?

「そうですね。そう思われても仕方が無いと思われます。個人的にはまだ余裕があると見ていたのですがね、これもまた、俺の一存じゃ甲乙つけがたい問題が生じてまして」

 彼は変わらない態度でそう呟き、バツが悪そうに腕を組む。対して私は、強ばってしまった肩の力をゆっくりと抜く、

「俺たちの婚約自体が、政略的なものであることはもう既知でしょう。麗かさん。もとより俺たちは、真の意味で愛を育んで行く家庭ではなく、あくまで共同的に財源を作り出し動かすために設置された潤滑油、いわば事業に対する参画家族にすぎません。より両家が円滑に事業を進められるための楔でしかない。俺たち二人で好きに決定を下せる訳ではなく、応否の沙汰はあくまで事業の進み具合が肝であるということ。俺が婚約を急がせた訳ではなく、環境がそうせざるを得なくした」

「・・・父とはあまり仲が良い訳では無いので詳しくは聞きしに及んでませんが・・・。つまりは、私たち両家で進めてたと言われてる事業の方が、状況的には悠長にしてられるほど時間が無い・・・と?」

 私の言葉に彼は神妙に頷く。

「・・・そのようです。というのも、世界情勢で見られてもわかる通り、今の時代はどこもかしこも争いが絶えない物騒な世の中となっています。例に漏れず我が国も対立を起こす危機がない訳では無い。これより大きな戦争が起きれば、恐らくは兵役で人手が薄くなるでしょう。街を発展させるなんてものは後回し。物資は軍へ横流しとなる。故に、利得を得るには早々に事業に着手せねばならない状況であると確認されました。それに倣って、俺たちの婚約自体を早めることにした、と言うところですかね。より濃く結び付きを得るための結託なのだから、早めるに越したことはない、と」

「そう・・・ですか」

 淡々と語った彼は、残り少ない飲料を飲み干して、空になったカップを台の脇に置いた。唐突に広くなった台の面積に、私は少しばかり距離を感じた。

「・・・あくまで、事業を進めるのが優先なんですね。私たち子の思いは、二の手、三の手というか」

「政略結婚なんて、有無を言わさず嫁がせに行くのが昨今の主流です。それと比べれば、未だ良心的な域だとは思うんですがね。何はともあれ、俺たち子はそれに沿うのみです。今は親の決定に身を委ねているだけなんですが、そうすれば俺たちの未来は明るい」

「・・・本当にそうなんでしょうか」

 なんとも、胸の中にしこりを感じさせる話だった。政略婚などという物の下らなさは理解していたはずなのに、こうまで事業を先手に考えられて、人の一生を決めかねない出来事を後手に回されるのを見ると腹の底からふつふつと何かが沸きあがる感覚に苛まれる。
 あくまで私たちは人形なのか。
 いつしか考えた婚約に対する負の観点を、手にかいた嫌な汗と共に思い出す。
 婚約者は、俯いた私に対して、小気味よく「ええ」と返答をし、言葉を紡ぐ。

「麗かさんにとっては不安があるでしょうが、俺は確信してますし、麗かさんにもそれは約束しましょう。俺が当主を張れる頃には今より豊かになっていると。勿論、あとは上がるも下がるも俺の腕次第になるのでしょうが、それに関しても不安はありません。こう見えて父上からノウハウの手ほどきは受けてますから、自信の程は固いです」

 なんて言っても、この事業が成功するのが前提ですが、と彼は付け加えて口を閉じた。
 私は手元に残ったカップ内の飲料を飲み干して、彼と同様に台の脇へと置く。
 台の空きは更に開いた。

「あなたは、この結婚に対して反対とかはないんですか?・・・私みたいに、世間すらろくに見てないような小娘と契りを交わして、あなたは幸せになれるのでしょうか」

 私は問う。

「反対などは特にございません。麗かさんは充分すぎる女性です。世間などのことは気にせずに、あなたらしくあればいいんですよ。俺はそんなあなたが好きなんですから。それに、あなたと結ばれる事で、自分の家も大きなものへとする事が出来る。男子と生まれたからには、自分の姓の価値をでかいものにする目標ってのがあります。この度、その目標をより近いものにできる。これほどに嬉しいことなんてそうありません。だからこそ、絶対に成功させねばならないのです」

「では、貴方にとっての結婚というのは、あくまで家柄に対して益が湧くため、でありますか」

「・・・元より、互いに利益が上がる理由があっての契ですからね。俺はその意向に乗ったのみです。・・・もしかして、麗かさんは別の意味で結婚に対する気持ちがあるのですか?  てっきり俺は、立花電工の権利を強くするために嫁がれると思っていたんですが」

「・・・私は、どこか婚姻することに対して、幸せを探っていた節があります。人生に苦楽を共にする相手なのですから、その生涯を共にする相手とくらい、幸福を分かち合いたいと。私にとっての幸せはきっとそこで、人並みに生きていく事を望んでいたのですから。・・・立花家の人間としてではなく、麗かという私自身の生き方を」

 ・・・全て、本音であった。
 私はまだ、確固たる幸せたり得るものを掴めてはないけれど、母やおばさんの口上を受けて考えるならば、きっと幸せと呼べるそれは旦那となる人と築き上げるものだと思っていた。きっと、最後はそこに落ち着くのだろうと。
 しかし何故だろうか。彼との会話の中で、私はずっとすれ違いのようなものを感じている。彼の持つ結婚への気持ちは本物であると感じられるのに、しかしそれでも、なにか私とは根本的に捉え方が違う感じがするのだ。
 彼にある価値観はあくまで家の為。
 私にある価値観はあくまで私の人生の為。
 言うまでもなく、彼の掲げるものは、私がずっと忌避していたものに違いはない。
  それが妙な突っかかりを植え付ける。

「幸せ・・・か。考えたこともなかったですね。強いて言うなら、俺にとっての幸せとは、実家を強くする事に該当するでしょうが。麗かさんは人並みの生活と言いましたが、人並み以上ではダメなのでしょうか。俺ならそれを約束できますよ。俺は俺で幸せを手に入れることが出来るし、麗かさんも手に入れられる。お互いに良い方向へ持って行けるわけじゃないですか」

「・・・もし、私が立花家の人ではなく、ただの町娘だったなら。・・・実権のない家の出であったなら、この関係はどうなってたでしょう」

 私はかなり意地悪な質問をした。答えようによっては、それこそ関係に亀裂がはいりかねないものでは無いだろうか。
 恋愛沙汰には疎い私だけれど、普通のそこら辺にある恋人同士がこんな事を投げかけたなら、険悪な雰囲気になって解散もありえる。
 そもそも、許嫁相手にするにはあまりにも失礼なものでもあった。父がこの場にいたなら張り手でも噛まされているかもしれない。
 彼はそんな質問に物怖じ一つすらせずに、笑顔でこう答える。

「どうでしょう。家の方針で言うならば、少しばかり結果は違っていたでしょうね。麗かさんが立花家の人でなかったなら、きっと巡り会うこともなかったし、こうやって二人きりでいることもなかったかもしれません」

「・・・あなたが好いているのは、麗かではなく、『立花麗か』なのではないでしょうか」

 重ねて言うが、今更に驚く必要もなければ、焦る必要もない。
 元からそう言う意味合いでの結納であるし、私がどう思おうにしろ、私の肩には『立花家』の看板が背負わされた状態であるのは、言い逃れのできない事実。
 最初からそうなる予定で私たち二人は顔を合わせていたわけだし、それ以外の他意は清々しいほどにない。
 互いの利益のために突き出された生贄。もっと言うならば人質。端からそうだったのだから。この恋情に酸いも甘いもない。あるのは利得に対する欲求のみ。
 それでもやはり、彼に対する言葉への応えは浮かばない。
 私自身で掲げたはずの答えさえ、揺らいでしまう一方で。

「・・・俺はあなたを愛してますよ。『麗かさん』」

  彼の呈した、私への答えはこうだった。

「・・・そう、ですか」

 ついに私は押し黙る。
 少しだけ騒がしく思えた店内も、時期に静寂を取り戻していった。
 皿の擦れる音が目立つくらいには。
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