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十一話
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本日の議題は病気に関することだった。
議題というか、悩みというか相談というか。なんとも名状しがたいところだが、別に私が大病を患っていることもなければ、立花家の何れの人が困っている訳でもない。
不自由なく生活が出来ているわけだし、そもそも、健康体でいられれる私がこんな議題を出すこと自体、得体の知れない自体ではあるのだけれど、兎にも角にも、私には色々と知りたい事がこの議題に含まれていた。
聡明であり長寿、あろう事か二度目の人生を謳歌していると思しき黒猫、もとい私の最大の相談者にして愚痴係持ちの野良猫に、聞かねばならない事があった。
「相談か。いや、まあ私は聞くし、今更聞かないなんて突っぱねることはしない。言葉の責任があるからな。だが、だ。愚痴はいいにしても、相談事とは思わなかったぞ。猫の手を借りるとは言うが、知恵までは借りんだろ。猫に相談するとか聞いたことも無い。それこそ、私じゃなく人に聞いた方がいいんじゃないか? その相談とやらは」
猫は苦虫をかみ潰したかのような顔をしながらそう私に告げる。
猫ってこんな表情できるのか。
相も変わらず臙脂色の傘の奥から覗かす瞳に私はこう話す。
「いえ、実は下手な人間に相談するより、あなたの方がしやすい事でして。医術に明るいあなたならと」
黒猫は以前、夢物語のようなことを語ったのだった。猫の九生伝説。猫はその身に九回の転生を繰り返し生き、その回数にならんで知能も増えるという伝説だが、それを説いた私に、自らは二度目の人生でないかと宣った。一度目の人生では夢半ばに倒れたが、医療関係へとその身を置こうとしていた、という話だ。
なんとも現実から卓越したような話だが、ないとも言えないものでもある。言ってしまえば、人語を聞き分け使い慣らし、しかも語彙に長けた猫が眼前にあるのだから、この超常現象も正直受け入れねばならない事だった。否定は出来そうにない。猫の九生とは言いつつも、実際は彼の言い草では一回目の人生は人っぽいけど。
なんにせよ、凡庸にして普遍の人生を送っている私なんかよりも、その道の話に詳しいだろうし、それ故に慣れない相手に伝わらないようなたどたどしい口調で話すより、話慣れた者に対して砕けた口調で相談できる方がずっと気が楽でいい。
ここはある種の人生の先輩たる黒猫に知識を分けて頂きたい所存だ。
「医術に明るい・・・と言うと語弊があるぞ。確かに並の人間よりは多くの知識を学んではいたかもしれないが、しかしそれでも、結局は完徹できなかった身だ。生半可だったから、相談に対する納得のいく答えが用意できるとは思えんが」
「ええ、それでも。本音を言ってしまえば、私が騒いだところでどうともなる問題ではないのです。だけれど、どうにかしてでも助けになりたい人がいて。少しでいいから力になってあげたいんですが」
「お前の言ってる婚約者とかいうやつの事か?」
「残念ながらその方ではありません。私の幼少時代からの付き合いの方でして」
「ああ、幼なじみって事か」
猫は少しばかり唸って俯いた。
寸分ばかりの沈黙の後、ふと顔を上げて猫はこう言う。
「話してみろ。間柄的に、私にも思う所がある。先も言った通り、納得の行く答えが出せないかもしれないけれどな」
黒猫はそう言って座り直す。おなじみの香草座りから、凛と背を伸ばした忠犬座りだ。
「・・・黒猫さん。白血病というのは知っていますか?」
白血病。お世話になった相葉家の一人息子、相葉花道が、大望を捨ててまでこちらへと帰参することを余儀なくされた根っこの理由。または起因にあたる病気だった。
残念ながら私はその病気を知らない。正直、聞きしに及んですらなかった。花道の兄さんの母親、私はかのお方をおばさんと呼んでいるが、おばさんの口から告げられて、初めてそういった病気が世にあるという事を認識した程度だった。
詰まるところ、私の知る病気の情報は名前だけだ。それ以外の知識たり得るものを持ってない。白血病たるものが人の身体にどう作用して、何が理由でその身に蔓延って蝕んでいくのかなどさっぱりだった。
黒猫に相談したのも、どんな病気で、そしてそれは治るものなのかどうかをはっきりとしたかった部分が大きい。
正直なところ、不謹慎ではあるのだけれど花道の兄さんがこちらに帰ってきた時点で、どこか本能的に罹ってはいけない病気だったのではと感じるものもある。こと生涯において治癒が約束できる程度の病気であるならば、それこそ現地で、言うなれば彼のめざしていたものが医療学であるのだから、そこらの病院でみてもらえれば済む話ではないかと私は思う。
逆に考えれば、それすらせずに帰郷したのだから、なにか曰くが背に張り付いていても可笑しくはないと個人的に解釈していた。
「白血病か。・・・知ってるよ。実に大変な病気だ」
黒猫は神妙な面持ち、・・・まあ、表情はあまり変わりはないけれど、なんともやりきれないような声色でそう言う。
「ときにお前は、癌という病気を知っているか」
「がん? ・・・いえ、聞き及んだことは無いはずですが」
新たな名前が出てきた。がんである。雁では無いのか?病気だというのだから、その線は薄いか。
「明治四十一年。今から十一年前、欧州からこの国に研究の呼び掛けがあり、設立された学会がある。世界的に疾患する人間の数が多く、かなりの大病とされている病気でな。癌研究会と言われているものなのだが、その研究対象とされている病気が癌。またの名を悪性腫瘍。治療の解明もまだされておらず、それこそこんな国際情勢に不穏な風が吹きすさんでる中ですら、他国に解明の協力を擁するような病気だと思われてもいい。厄介な病気だ」
「・・・それが、白血病となんの関係が・・・?」
「白血病もその一種だってことだ。正式に言うなら恐らくは骨髄異形成症候群。恐らくは合併症として白血病に罹ったと思われる。骨髄に腫瘍物が現れ、正常な血液を造る事を阻害され、結果として正常な血液細胞の減少が起きる。白血病は血液のガンと称されているのだが、正しく血の持つ力が極端に弱くなり、免疫力が低くなるだけではなく、出血時に傷口が閉じにくくなることや、血が固まりにくい等といった症状、併用して、重度の貧血や急な発熱が多く発症される。それに正常でない血液がどんどこ生産されていくから、次第に血液の全体量は白血病に侵された血液ばかりになり、その赤色は薄まっていき白に染っていく。まあ、『白血病』、白い血の病気と呼ばれる所以だな」
「は・・・はぁ」
「血液ってのはな、存外その働きは人にとってかけがえのない仕事ぶりを見せてるんだ。例えば料理中に指を切っちまっても血液はほっときゃ凝固するし、身体はかさぶたっつう蓋を作ってその傷を治してしまう。その他にも、酸素の供給を担ってたり、めぐり方を変えられりゃ眠くなったりそうでなかったり、体調の面でも密室な関わりがある重要な機関であると断言していい。白血病ってのはその血液の病だ。健康体の人間でいう十割必要な仕事のできる血液ってのができなくなってしまう。言うまでもないが、まあ深刻な話になってくる。ようは、血液が生命維持に必要なだけの働きをしなくなっていく病気だ。言うまでもなく、進行すれば危篤に陥るものでもある」
「・・・それって、治るんですか?」
黒猫は私の問いにすぐには答えなかった。
「・・・先も言ったが、癌研究会は作られて久しい。この国には、そいつを消せるだけの医術は揃っちゃないはずだ。厳しい話だが、世界で見ても恐らくは・・・」
「・・・じゃあ」
「ああ、治らないし、治せない。現実を突きつけるようで悪いが、こればかりは自分の体の調子に委ねるしかないよ。打つ手がないのは確かだ」
「・・・」
私の嫌な予想は当たってしまったということか。花道の兄さんが戻ってきた理由。薄々そう思っていたけれど、病気に対する治療法が確立されてない難病だからだった。克服しようにも打つ手立てがない状況。孤独に病床で臥せるより、故郷でその一時を過ごそうという事なのかもしれない。
詰まるところ、花道の兄さんは・・・。
「白血病はおろか、がんに対する対抗手段もまだ見つかっちゃいない。だから、あとは神にでも仏にでも祈るしかないだろうな。できるだけ生かしてくれと、そうせっつくほかは無い」
「・・・そうですか」
「病を治すために、身体が病弱な子を守るために、理由は如何にしても、皮肉な事にそんな大望を抱いた人を射抜き殺すのもまた病だ。人より多く病と顔を合わせる機会が多いからこそ、その線の者は病に好かれやすくなる傾向もある。何れにせよ、仮にこの段階で白血病に罹ってなかったにせよ、ほかの病気でやられてたかもしれないな。私がそうだったように、人はいつか病に倒れると思っててもいいと思うが」
「黒猫さんは、なんの病気にやられてしまったんですか?」
「覚えてないよ。気づいたらこっちにいたんだ。どう帰ってきたのかすらも覚えちゃいない」
黒猫はそう言って溜め息をつく。少しずつ、水気をまとった風が周囲を包み始めていた。
「そろり雨が降る。お前ももう帰ったらどうだ。雨に濡れるからと言って、この宿を渡すわけにはいかないからな」
「そうですね。・・・ありがとうございました。相談に乗ってもらって」
「気にするな。私も暇つぶしが出来て良かったよ」
「・・・それでは」
私は、雨に怯える小さな影に一礼し、踵を返した。
「なあ、最後に一つ聞いていいかお嬢さん」
「・・・なんでしょう?」
「いや、実に下らない話だからな。そのまま振り向かずに聞いて欲しい。医療が進化し、国同士の間柄が平和になったら、この世界は皆が皆天寿を全う出来るのだろうか」
「どうでしょう。・・・少なくとも、人の一生を邪魔する存在はなくなっている、とは思われますが」
「病による干渉が滅び、人と人との争いが止む。平穏な世界だがな、私はなんとなく、その後は感情が人を殺すものだと思ってるのだよ」
「可笑しなことを。どうして感情が人を殺められるのです」
「さあてな。これから先平穏が訪れる次第に、人も少しずつ、弱くなっていくような気がしてならない」
「・・・思うのだよ。結局、人は人を殺す事に適した動物だと」
議題というか、悩みというか相談というか。なんとも名状しがたいところだが、別に私が大病を患っていることもなければ、立花家の何れの人が困っている訳でもない。
不自由なく生活が出来ているわけだし、そもそも、健康体でいられれる私がこんな議題を出すこと自体、得体の知れない自体ではあるのだけれど、兎にも角にも、私には色々と知りたい事がこの議題に含まれていた。
聡明であり長寿、あろう事か二度目の人生を謳歌していると思しき黒猫、もとい私の最大の相談者にして愚痴係持ちの野良猫に、聞かねばならない事があった。
「相談か。いや、まあ私は聞くし、今更聞かないなんて突っぱねることはしない。言葉の責任があるからな。だが、だ。愚痴はいいにしても、相談事とは思わなかったぞ。猫の手を借りるとは言うが、知恵までは借りんだろ。猫に相談するとか聞いたことも無い。それこそ、私じゃなく人に聞いた方がいいんじゃないか? その相談とやらは」
猫は苦虫をかみ潰したかのような顔をしながらそう私に告げる。
猫ってこんな表情できるのか。
相も変わらず臙脂色の傘の奥から覗かす瞳に私はこう話す。
「いえ、実は下手な人間に相談するより、あなたの方がしやすい事でして。医術に明るいあなたならと」
黒猫は以前、夢物語のようなことを語ったのだった。猫の九生伝説。猫はその身に九回の転生を繰り返し生き、その回数にならんで知能も増えるという伝説だが、それを説いた私に、自らは二度目の人生でないかと宣った。一度目の人生では夢半ばに倒れたが、医療関係へとその身を置こうとしていた、という話だ。
なんとも現実から卓越したような話だが、ないとも言えないものでもある。言ってしまえば、人語を聞き分け使い慣らし、しかも語彙に長けた猫が眼前にあるのだから、この超常現象も正直受け入れねばならない事だった。否定は出来そうにない。猫の九生とは言いつつも、実際は彼の言い草では一回目の人生は人っぽいけど。
なんにせよ、凡庸にして普遍の人生を送っている私なんかよりも、その道の話に詳しいだろうし、それ故に慣れない相手に伝わらないようなたどたどしい口調で話すより、話慣れた者に対して砕けた口調で相談できる方がずっと気が楽でいい。
ここはある種の人生の先輩たる黒猫に知識を分けて頂きたい所存だ。
「医術に明るい・・・と言うと語弊があるぞ。確かに並の人間よりは多くの知識を学んではいたかもしれないが、しかしそれでも、結局は完徹できなかった身だ。生半可だったから、相談に対する納得のいく答えが用意できるとは思えんが」
「ええ、それでも。本音を言ってしまえば、私が騒いだところでどうともなる問題ではないのです。だけれど、どうにかしてでも助けになりたい人がいて。少しでいいから力になってあげたいんですが」
「お前の言ってる婚約者とかいうやつの事か?」
「残念ながらその方ではありません。私の幼少時代からの付き合いの方でして」
「ああ、幼なじみって事か」
猫は少しばかり唸って俯いた。
寸分ばかりの沈黙の後、ふと顔を上げて猫はこう言う。
「話してみろ。間柄的に、私にも思う所がある。先も言った通り、納得の行く答えが出せないかもしれないけれどな」
黒猫はそう言って座り直す。おなじみの香草座りから、凛と背を伸ばした忠犬座りだ。
「・・・黒猫さん。白血病というのは知っていますか?」
白血病。お世話になった相葉家の一人息子、相葉花道が、大望を捨ててまでこちらへと帰参することを余儀なくされた根っこの理由。または起因にあたる病気だった。
残念ながら私はその病気を知らない。正直、聞きしに及んですらなかった。花道の兄さんの母親、私はかのお方をおばさんと呼んでいるが、おばさんの口から告げられて、初めてそういった病気が世にあるという事を認識した程度だった。
詰まるところ、私の知る病気の情報は名前だけだ。それ以外の知識たり得るものを持ってない。白血病たるものが人の身体にどう作用して、何が理由でその身に蔓延って蝕んでいくのかなどさっぱりだった。
黒猫に相談したのも、どんな病気で、そしてそれは治るものなのかどうかをはっきりとしたかった部分が大きい。
正直なところ、不謹慎ではあるのだけれど花道の兄さんがこちらに帰ってきた時点で、どこか本能的に罹ってはいけない病気だったのではと感じるものもある。こと生涯において治癒が約束できる程度の病気であるならば、それこそ現地で、言うなれば彼のめざしていたものが医療学であるのだから、そこらの病院でみてもらえれば済む話ではないかと私は思う。
逆に考えれば、それすらせずに帰郷したのだから、なにか曰くが背に張り付いていても可笑しくはないと個人的に解釈していた。
「白血病か。・・・知ってるよ。実に大変な病気だ」
黒猫は神妙な面持ち、・・・まあ、表情はあまり変わりはないけれど、なんともやりきれないような声色でそう言う。
「ときにお前は、癌という病気を知っているか」
「がん? ・・・いえ、聞き及んだことは無いはずですが」
新たな名前が出てきた。がんである。雁では無いのか?病気だというのだから、その線は薄いか。
「明治四十一年。今から十一年前、欧州からこの国に研究の呼び掛けがあり、設立された学会がある。世界的に疾患する人間の数が多く、かなりの大病とされている病気でな。癌研究会と言われているものなのだが、その研究対象とされている病気が癌。またの名を悪性腫瘍。治療の解明もまだされておらず、それこそこんな国際情勢に不穏な風が吹きすさんでる中ですら、他国に解明の協力を擁するような病気だと思われてもいい。厄介な病気だ」
「・・・それが、白血病となんの関係が・・・?」
「白血病もその一種だってことだ。正式に言うなら恐らくは骨髄異形成症候群。恐らくは合併症として白血病に罹ったと思われる。骨髄に腫瘍物が現れ、正常な血液を造る事を阻害され、結果として正常な血液細胞の減少が起きる。白血病は血液のガンと称されているのだが、正しく血の持つ力が極端に弱くなり、免疫力が低くなるだけではなく、出血時に傷口が閉じにくくなることや、血が固まりにくい等といった症状、併用して、重度の貧血や急な発熱が多く発症される。それに正常でない血液がどんどこ生産されていくから、次第に血液の全体量は白血病に侵された血液ばかりになり、その赤色は薄まっていき白に染っていく。まあ、『白血病』、白い血の病気と呼ばれる所以だな」
「は・・・はぁ」
「血液ってのはな、存外その働きは人にとってかけがえのない仕事ぶりを見せてるんだ。例えば料理中に指を切っちまっても血液はほっときゃ凝固するし、身体はかさぶたっつう蓋を作ってその傷を治してしまう。その他にも、酸素の供給を担ってたり、めぐり方を変えられりゃ眠くなったりそうでなかったり、体調の面でも密室な関わりがある重要な機関であると断言していい。白血病ってのはその血液の病だ。健康体の人間でいう十割必要な仕事のできる血液ってのができなくなってしまう。言うまでもないが、まあ深刻な話になってくる。ようは、血液が生命維持に必要なだけの働きをしなくなっていく病気だ。言うまでもなく、進行すれば危篤に陥るものでもある」
「・・・それって、治るんですか?」
黒猫は私の問いにすぐには答えなかった。
「・・・先も言ったが、癌研究会は作られて久しい。この国には、そいつを消せるだけの医術は揃っちゃないはずだ。厳しい話だが、世界で見ても恐らくは・・・」
「・・・じゃあ」
「ああ、治らないし、治せない。現実を突きつけるようで悪いが、こればかりは自分の体の調子に委ねるしかないよ。打つ手がないのは確かだ」
「・・・」
私の嫌な予想は当たってしまったということか。花道の兄さんが戻ってきた理由。薄々そう思っていたけれど、病気に対する治療法が確立されてない難病だからだった。克服しようにも打つ手立てがない状況。孤独に病床で臥せるより、故郷でその一時を過ごそうという事なのかもしれない。
詰まるところ、花道の兄さんは・・・。
「白血病はおろか、がんに対する対抗手段もまだ見つかっちゃいない。だから、あとは神にでも仏にでも祈るしかないだろうな。できるだけ生かしてくれと、そうせっつくほかは無い」
「・・・そうですか」
「病を治すために、身体が病弱な子を守るために、理由は如何にしても、皮肉な事にそんな大望を抱いた人を射抜き殺すのもまた病だ。人より多く病と顔を合わせる機会が多いからこそ、その線の者は病に好かれやすくなる傾向もある。何れにせよ、仮にこの段階で白血病に罹ってなかったにせよ、ほかの病気でやられてたかもしれないな。私がそうだったように、人はいつか病に倒れると思っててもいいと思うが」
「黒猫さんは、なんの病気にやられてしまったんですか?」
「覚えてないよ。気づいたらこっちにいたんだ。どう帰ってきたのかすらも覚えちゃいない」
黒猫はそう言って溜め息をつく。少しずつ、水気をまとった風が周囲を包み始めていた。
「そろり雨が降る。お前ももう帰ったらどうだ。雨に濡れるからと言って、この宿を渡すわけにはいかないからな」
「そうですね。・・・ありがとうございました。相談に乗ってもらって」
「気にするな。私も暇つぶしが出来て良かったよ」
「・・・それでは」
私は、雨に怯える小さな影に一礼し、踵を返した。
「なあ、最後に一つ聞いていいかお嬢さん」
「・・・なんでしょう?」
「いや、実に下らない話だからな。そのまま振り向かずに聞いて欲しい。医療が進化し、国同士の間柄が平和になったら、この世界は皆が皆天寿を全う出来るのだろうか」
「どうでしょう。・・・少なくとも、人の一生を邪魔する存在はなくなっている、とは思われますが」
「病による干渉が滅び、人と人との争いが止む。平穏な世界だがな、私はなんとなく、その後は感情が人を殺すものだと思ってるのだよ」
「可笑しなことを。どうして感情が人を殺められるのです」
「さあてな。これから先平穏が訪れる次第に、人も少しずつ、弱くなっていくような気がしてならない」
「・・・思うのだよ。結局、人は人を殺す事に適した動物だと」
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