上 下
3 / 24
いつかもらった試供品

3話

しおりを挟む
 就業時間が終わると愛沢は会議の資料を私のデスクまで持ってきて私は呆れた顔をしながらそれを受け取る。

『私、明日の会議までに仕上げておくから愛沢さんは帰って良いよ』私は皮肉たっぷりにそう言った。
だが愛沢さんはその皮肉にも気づかず両手を顔の前で合わせて
『鳴海さん助かる。お願いします』と可愛らしくそう言った。
そして何も悪びれる様子もなく他の人たちに『お疲れ様です』と言いながらオフィスを出て行った。

私はその後ろ姿を見ながら大きなため息をついた。

『さて、やりますかー』私は両手を大きく広げて伸びをしながら呟いた。

私は資料の紙を開いて愕然とする。
何これ……半分もできてない。 所々日本語も間違っているし。

あいつ……

私はため息をつきながらパソコンでファイルを開いて早速資料作りに取り掛かる。

 ふと窓の外を見るともう空は真っ暗になっていた。
オフィスの時計を見ると21時を回っていることに気付く。
集中していてオフィスがもう私一人になっていることにも気づかなかった。

『少し休憩しよう』そう言って私は椅子から立ち上がりオフィスを出て休憩室の近くの自動販売機に向かった。

変わり映えのしない自動販売機の飲み物を見てまた悩み始める私。

喉は乾いているのに何も飲みたいものがないってどういう心理なのだろう。
私は小銭を入れてランプのつく自販機の前に立ち尽くす。
私はきっと脱水症状を起こして命の危機を感じるその瞬間にも私は悩む事だろう。
そして自分は一体何を欲しているのかもわからずそのまま倒れてしまうかもしれない。

まぁそれも良いのかもしれない。
そんな事を思ってしまう私はきっとどうかしている。
生きる気力がないから食欲が湧かないのか、それとも食欲がないから気力すらもなくなってしまうのか。

『——栄養ドリンク一択でしょ』

そう言って私の背後から長い腕が伸びてきて栄養ドリンクのボタンが押されて

ガランッ!と音を立てて飲み物が取り出し口に出てくる音がする。

聴き慣れたその声に私は振り返りもせずにため息をついた。

『こんな時間に栄養ドリンクなんて仕事終わらなそうなの?』

『先輩が押したんじゃないですか……』と私は取り出し口に手を伸ばし栄養ドリンクを取ってそう言った。

『こんな時間まで鳴海が残業してるなんて珍しいじゃん。休み時間も取らないで就業時間ギリギリまで働いてるようなヤツがさ』

『明日の会議の資料作ってるんです』私は栄養ドリンクを飲みながら答える。
先輩は『明日の会議の資料って……』と目を丸くして驚いた。
『じゃあ、お疲れ様です』と私は栄養ドリンクを飲み干し先輩に頭を軽く下げオフィスの方へと向かった。


 オフィスに戻り自分のデスクへ着くと私は誰もいない静かなオフィスで『ヨシッ』と自分に気合いを入れて先程の続きに取り掛かる。

『どこまで終わってるの明日の資料?』
急に真横から声が聞こえて私驚き声を出しそうになる。

『七、八割は終わってると思いますが……まだ文字打ち込んでいるだけなので確認終わってないです……印刷もしようと思ってます』

先輩は『そっか』と言ってデスクのマウスを握って画面をスクロールしながら内容を確認しているようだった。

『さっき可愛い後輩に栄養ドリンク奢ってくれたお礼に手伝うよ』と先輩は笑って私の顔を見つめた。
あまりの顔の近さに私は少し緊張しながら下を向いて会釈した。

先輩は慣れた手つきでキーボードで文字を打ち込みながら
『全体的にグラフが少ない感じがするなぁ……これじゃ伝わりづらい』と言いながらうーん。とデスクに肘を乗せて頬杖をついた。
そして思いついたように他のファイルのデータを見ながら数字を打ち込んでササっとグラフを作っていく。
こうして隣で先輩の仕事を見ているとなんというかこの人の凄さがひしひしと伝わってくる。
頭の回転が早い。まぁ単純にそれもあるが物事を一方向からだけではなく客観的に色々な角度から見ることの出来る人だ。
この会社で働き始めてまだそんなに経っていない私でも分かる。
役員が先輩を頼りにする気持ちがわかる。
この人は口も達者だがそれに引けを劣らない行動力がある。

『すごいなぁ……』と私は画面を見つめながら呟く。
画面を見ながら先輩は『うん?』と首を傾げる。

『私が何時間もかかるようなこと先輩は息をするようにパパっと短時間で仕上げてしまうので……』

『んー、まぁ人それぞれ得手不得手《えてふえて》があるからなぁ。俺は単純作業が得意ってだけで』と画面を見つめながらそう言った。

『単純作業だなんてそんな……いつも尊敬しています。
私の得意な事かぁ……』

『鳴海は頑張り過ぎるところじゃないか? まぁ良い意味でも悪い意味でもさ。 無理はしないで欲しいけど先輩の俺としては鼻が高いよ。デキる後輩がいてくれるのはさ』

それから少し経つと先輩は『コピー機の印刷紙の予備あるか確認してきて。かなりの枚数使うだろうから』と言った。
私は『はい』と頷きオフィスを出て物品庫へ向かった。
物品庫《ぶっぴんこ》とは会社でよく使う備品を保管している場所でコピー機の用紙からホワイトボードで使う水性のマジックからボールペンまで置いてある。
ちなみに物品庫から物を持って行くときは必ず入り口のバインダーに付いている用紙に必ず記入する決まりがある。
一人で無駄に何個も持って行ったりだとかそういった無駄や盗難を防ぐ為だ。
そしてここには監視カメラがばっちりついていて24時間体制で記録されている。
入るだけで少し私はいつも緊張してしまう。
悪いことをするつもりはないが私は安全ですよと言わんとばかりにカメラにしっかりA 4用紙を1束取った事が映るように取り、そしてしっかりとバインダーにコピー機の紙を1束持っていったことを記入した。

少し小走りでオフィスに戻ると先輩は資料を作り終えデスクとは反対方向にあるコピー機の前で印刷される用紙を眺めていた。

『物品庫から用紙持ってきました』そう言って私はハサミで用紙の入った少し厚い包装紙の端を切って中身を取り出し
それをコピー機の用紙入れの中に供給した。

『ありがと』先輩は一言そう言って左手を少し伸ばし時計を見る。
『もう十時過ぎてるのか……印刷終わったらすぐ帰ろ』と先輩私の方を見て頷いて見せた。

『でも先輩が手伝ってくれていなかったら多分まだ終わっていなかったので助かりました』

『……てか、今回の資料作るの鳴海担当だったっけ?』

『いえ、私ではないんですが……愛沢さんから今朝資料がまだ出来上がっていないと聞いて』

『だから今朝、愛沢さんと話してる時浮かない顔してたのか。 協力するからさ、一人で抱え込まないで相談してよ。その時に』

『……誕生日が終わる前に帰れて良かったです』

先輩は『えっ!?』とオフィスに響く程の声を出して驚いた。

『鳴海、今日誕生日なの?』

私は少し苦笑いをして頷いた。

『ケーキは!?』

『ケーキは帰りにコンビニで小さいの買おうかと思ってました』と私は照れながら答えた。

『いや、ダメだろ誕生日なんだから……』そう言って先輩はスーツの上着のポケットからスマホを取り出し何処かに電話をかけながらオフィスの外へ出た。

口が滑ってしまったけれど今日誕生日って事言わなければ良かったかな。
変な気を使わせてしまうことになったし悪いことをしたなとコピー機を眺めながら私は自分の軽く言ってしまった言動に少し後悔した。

そして先輩はオフィスに戻ってきて
『今日が終わる前にご飯行こう、ご飯』と私の肩をトントンと叩いてそう言った。

コピー機の印刷する音が鳴り止み先輩は印刷された用紙の束を自分のデスクの上にあげ、オフィスの窓から何かを確認して
『よしっ、じゃあ行こう』と少し急ぎながらオフィスの電気を消して二人で会社を出た。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。

海月いおり
恋愛
昔からプログラミングが大好きだった黒磯由香里は、念願のプログラマーになった。しかし現実は厳しく、続く時間外勤務に翻弄される。ある日、チームメンバーの1人が鬱により退職したことによって、抱える仕事量が増えた。それが原因で今度は由香里の精神がどんどん壊れていく。 総務から産業医との面接を指示され始まる、冷酷な精神科医、日比野玲司との関わり。 日比野と関わることで、由香里は徐々に自分を取り戻す……。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

処理中です...