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2-1 噂をすれば影がさす

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俊とクレイグの後日談。
本当にいちゃついているだけです。
―――――――――――――――――――


 乳白色の壁に囲まれた書斎で、俊は資料の隅から隅まで目を通し、また最初のページから読み返す。
 誤字脱字は無い。要点もまとまっている。

「炭酸ガスのバフに入りたい……」

 俊はへろへろの手でペンを置き、倒れこむように机に覆い被さった。

 クルミ色の木製机から木の良い匂いが鼻腔に広がる。新調したばかりの机の冷たさが気持ち良く、俊はますます体を密着させた。

 三日後、俊が設立を目指す学校の概要を教会のお偉方に説明する。
 思い立ってから数ヶ月、紆余曲折を経てようやっと話し合いの場が持てるまでになった。資料作りにも気合いが入るというものだ。

 しかも内容はもちろん、枚数を抑えるのに苦慮した。羊皮紙は高価でかつ複写する魔術は高度なのだ。 闘技場でデビーが使ったような水に映写する方法で説明すればどうかとシュバイツアーに相談したが、教会は古い組織なので紙で出さなければお話にならないらしい。

 優秀な元教育係曰く、皆、老眼だからです、だそうだ。自分を棚に上げている気はしたが、突っ込まなかった。

「活版印刷の発明が待たれるな」

 凝りに凝った肩と首をもみほぐしながら体を起こし、時計を見た。

 今夜はクレイグと夕飯を食べる約束をしている。

 クレイグが有名人になってしまったため、市場の居酒屋には行きづらくなった。かといってカールにばかり作ってもらうわけにもいかない。
 そう何とはなしに零したところ、新しい部下の一人に一番街にある元王宮料理人がやっている料理店を紹介してもらったのだそうだ。

「デートっぽいよな……」

 俊はついにやついてしまう頬を押さえた。

 クレイグと仕事抜きでどこかに出かけた覚えはない。クレイグと初、どころか俊にとっては人生初のデートだ。
 良い年こいて浮かれているのは重々承知だが、嬉しいものは仕方がない。

 資料作りが予定より早く終わったため、クレイグが来るまで時間がある。資料を封筒に入れ、引き出しにしまい、片付けでもするかと立ち上がった。

 引っ越しして数ヶ月になる俊の家は、王宮と比べものにならないほどこぢんまりとしている。だが書斎に寝室、台所兼ダイニングルームの必要なものが全部揃っている一軒家だ。
 サラリーマンだったころの1DKアパ―トに比べれば破格の住居である。

 しかも暁の霧の根城にも通いやすくかつ狼国にも行きやすい。つまり俊とクレイグ双方にとって良い立地にある家を、二人で探した。

 そわそわしながら寝室の本棚から手をつけるも、昨日エバンが遊びに来た際に掃除をしたので、五分もすればやることがなくなってしまった。

 そういえばエバン以外の団員、特にギンやロイは俊の家に一人で立ち寄ろうとしないのはなぜだろうか。クレイグにその話をしたら、さあな、と流されてしまった。

 今夜の服はアリアが鼻息荒く見立ててくれたものを用意してあるので、選ぶ必要はない。
 王族でない俊の世話を焼く義務など毛頭ないのだが、アリアは服装に始まり、この世界のことをいろいろ教えてくれたりする。
 「弟が一人増えたようなものです」と彼女は言う。
 最近知ったのだが、アリアはなんと四人の弟がいるらしい。

 団員に頼むと、どの花街が良いだとか、夜遊びの方法だとか――わざと間違った情報を教えられたりもする――知識が偏るのでとても助かっている。
 侍女達の噂話のネタにされている気がしないでもないが、Win-Winだろう。

 手持ち無沙汰になった俊はベッドに背中から倒れ込んだ。

 ディートが送ってくれた異国の算数ドリルはやり終えてしまった。
 ちなみに米の苗はまだ届いていない。

 白米に焦がれつつ今夜の食事に思いを馳せていると、入り口付近に置いたままだった鞄が目に入った。

 先日、シュバイツアーとアランから返してもらった『あるもの』が入っている。
 暇だしな、と声に出さず起き上がり、それを手に取った。



「……今となってはこっちがコスプレ感があるな」

 姿見の前に立ち、首元の小さいボタンを留める。
 最後の仕上げ、紺色の何の変哲もないネクタイを締めると、鏡の中に見慣れたスーツ姿の自分が映っていた。

 どこにでもいる平凡な企業戦士。
 既に懐かしさすら覚える。

「この頃の俺に、今何してるか言っても絶対信じてくれないよな」

 若さを糧に我武者羅になれていたのは就活までで、出世欲もなかった。
 大した山も谷もない花も咲いていない人生を静かに終えていくのだと思っていた。

 それが異世界に召喚されて、男と、しかも人狼と恋仲になるとは思ってもみなかった。

 最初は嫌われてると思ってたが、満月の日に偶然狼から人に戻るところを見てしまってから――。

「…………」

 感傷に浸っていただけのはずなのに、この世界へ来てからしたあんなことやそんなことまで思い出してしまい、羞恥心に襲われた。

「…………クレイグに見られないうちに脱ご、」

 一人で赤くなってバカみたいだ。懐かしいものを着ているからこんな気分になるのだと、急いでジャケットを脱ごうと手をかけた時だった。

「俊、もういるか?」

 ガチャ、と部屋のドアを開けクレイグが入ってきた。
 
 固まった俊の視界の先で、合鍵をぶら下げたクレイグの金色の目が見開かれている。

 噂をすればなんとやらである。
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