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1-2 あの術の真相
しおりを挟む本編後の話です。
俊視点。
―――――――――――――――――
三日ぶりに暁の霧の事務所に行くと、エバンが唸りながら薄めの本を読んでいるところだった。
「久しぶり。頑張ってるな」
「おう、まーなー」
俊の声にエバンは目の下にクマを作った酷い顔で力なく手を挙げた。
彼は本を読んでいるのではなく、字を読む訓練をしているのだ。
幼少期に親に捨てられた彼は、初等教育の初期の初期の学修処を卒業することもできなかった。
カロリアの花屋を手伝うにあたり、字を読むのはもちろん計算もできなければならない。最近はクレイグが貸してくれた本を一日一冊は読むようにしているし、勉強がてら俊の帳簿作成の手伝いもしてくれる。
俊は机の上に重ねられている帳簿をパラパラとめくった。物覚えの良い彼に、簡単な収支の計算を任せてみたのだ。
「俺の学校の第一期生になるとか言ってくれてたけど、すぐに卒業しちゃうかもな」
「その時は教師として雇ってくれ。用心棒もやってやるよ」
ざっと暗算してみたが、間違いはなさそうで俊は感嘆した。エバンは冗談のつもりだろうが、このまま成長するのなら正直欲しい人材だ。
ところでエバンに関し、俊にはとてつもなく気になっていることがある。だがノート片手に必死で文字を追っている彼の邪魔をするのは憚られる。
三時のおやつの時間にでも聞こうと、机に座り、俊も帳簿に手を付けた。
その時、どやどやと部屋に入ってきたのは、ギンだった。
「あ! エバン! こないだのカロリアとのデートどうだったんだ?」
俊の気づかいが無に帰した。
後ろからロイやカール達も入ってきて、俺も聞きたい! とエバンを取り囲んだ。
ほくほくした顔をしているところを見ると、どうやら相当な賞金首を引き渡して懸賞金をもらってきたところらしい。
彼らの顔はほくほくからニヤニヤと下世話なものに変わり、本から顔を上げたエバンを凝視する。
放心したまま帰ってきたエバンが「家に誘われた……」とつぶやいたのは一週間前。夕飯を食べに家に来ないかとカロリアに誘われたというのだ。
俊含め、その場にいた団員たちは興奮に沸き立った。
王宮に婚姻の後ろ盾までもらっておいてこの進行度合い。じれったいやら愛おしいやらというのが団員たちの胸の内だった。
「ついに……」とディアンが冗談抜きで涙ぐみ、そっとカールが刺繍入りのハンカチを差し出した。
どうなったのか俊も聞きたかった。エバンを囲む輪に俊もそっと混ざった。
だが、この世の不幸を全て背負ったようにエバンが頭を抱えてソファに沈んだ。
「……カロリアの家に行く途中、前に捕まえた賞金首の仲間が襲ってきて」
「え、不穏な出だし」
ギンの突っ込みに皆が同意する。珍しくぼそぼそと話すエバンの言葉を聞き逃すまいと、誰もが身を乗り出した。
「しかも汚ねぇ路地裏で! もちろん返り討ちにしてやったけど、服も髪もどろどろ。風呂ももう閉まってたし、替えの服も乾いてねぇし!」
がば! と顔を上げたエバンがままならない社会に咆哮を上げた。
運悪くその日は、シャワーがある事務所も閉まっていた。流石に泥だらけで女性の家を訪問するわけにはいかず、延期にした。
カロリアは勿論怒っていなかったが、彼女的にも一世一代のお誘いだったらしい。それから少しよそよそしくなってしまい、エバンから誘うも躱され、次の予定も決まっていないとのことだ。
団員が代わる代わる年少者に暖かい声をかけ、これも食えとお菓子をあげた。
ギンも「俺の時よりみんな語彙力凄くない?」と不満を漏らしながら、自分の失敗談を語り慰めた。
「本当、風呂さえ開いてればな」
誰かが言い、エバン含め皆が悲しく頷いた。
「クレイグがいれば清めの術かけてもらえたのにな」
仮の話をしてもどうしようもないが、眉根を下げながら俊が口を開くと、皆の動きが止まった。打ちひしがれていたエバンすらこちらを向いた。
「え? 俺なんか変なこと言った?」
困惑している俊へギンが糞が付くほど真面目な顔で近づいてきた。
俊は思わず後ずさった。だいたいにおいてギンの真面目な顔は凶兆だからだ。
「クレイグの清めの術ってどんな感じ?」
「は?」
ずい、とクレイグとは系統の違う端正な顔が迫ってくる。それどころか皆の注目が俊に集まっている。なぜいきなりエバンの恋事情から俊に飛び火したのか分からない。
「全部綺麗になんの? 隅から隅まで?」
「え、うん」
「どこもかしこも? 余すところなく?」
「え、う、うん」
肯定すると両肩を掴まれがくがくと揺すられた。ギンの目がなぜこんなに輝いているのか分からない。
「もうやめてやれ!」
脳挫傷になると俊が抵抗する前に、エバンがギンを引っぺがした。勢い余って床に転がったギンに代わり、今度はエバンが何故か真っ赤な顔で俊の肩を掴んでくる。
「今後一切その話を外でするんじゃないぞ! いいな!?」
「え? な、なんで?」
困惑したまま俊が問い返すとエバンはますます真っ赤な顔をしてヘーゼルナッツの瞳を眇めた。ぎりぎりと肩に爪が食い込んで痛い。
起き上がったギンはロイに「お前、勇者だな。いやバカなの?」と感心されている。
エバンが横にいたディアンに許可を求めるよう目配せし、彼は重々しく頷いた。
状況が全くわからない。だが嫌な予感に俊の喉が鳴る。
「清めの術は、術者が触ったことのある場所にしか効果が出ないんだ……」
「へー触った場所にしか……」
……。
……………ん?
俊が前を向くと居たたまれない表情をしている十代の少年と目が合う。その後ろでわざとらしい慈愛の眼差しを向けてくるギンとロイとも。
ぶわ、と一気に俊の頬が真っ赤になった。エバンもつられたように更に目じりを染めた。
ぷは! とギンとロイが同時に噴き出した。
「うわあああ!」
絶望だか羞恥だか無知を罵る感情だとかがないまぜになり、俊はそばにあったソファに倒れ込んだ。
「なんでもっと早く教えてくれないんだよ!!」
意味が無いのは重々承知だが、両手で顔面を覆う。
清めの術は高度な上、魔力の消費量がかなり多い。それなのに効果は風呂に入った時とさして変わりないという費用対効果の低さだ。水が豊富で風呂が習慣化しているここで修得している一般人は少ない。俊も多分に漏れず、優先度が低い術として読み飛ばしていた。
せめて発動条件くらい目を通しておくんだった。俊は当時の自分を呪った。
ギンとロイの笑い声が聞こえる。
唯一の良心、エバンの顔は見えないがきっと憐憫の視線を送っている。
いくら公然の仲とはいえ、この羞恥は耐え難い。
「お前らはなんで知ってたの? 普通読み飛ばさない??」
恥ずかしさを誤魔化すため叫べば、ぴたりとギン達の笑い声が止んだ。ソファの背もたれから顔を出すと、エバンも何か悪夢を思い出したような悲惨な顔をしている。
「……いや、俺たちもこないだまで知らなかった」
「こないだ?」
日付を聞いてますます俊は頬を赤らめた。
忘れもしない、東屋ではじめてクレイグと体をつなげた翌朝だ。
なぜ全部クレイグとのアレコレにつながっていくのか。
「クレイグが何か言ってた……?」
うう、と唸っていると、まだ赤みが引かない頬のエバンが俊の肩をポンと叩いた。
何故か神妙な顔で、目を逸らされる。
「知らなくて良いことが世の中にはあるんだ。……お互い強く生きような」
先ほどまで打ちひしがれていた年下に諭された。呆けている俊の横で、ギンまでもがもう片方の肩にそっと手を置いた。
ギンも俊の顔は見なかった。
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