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01:『金魚はドアを叩く』(約30分)

前半パート

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※登場キャラクター:少花、万希、赤衣



○蝶子の絵本・「金魚とねこのおはなし」

少花(しょうか):あるところに、赤い着物を纏って水の中をゆらゆらと舞い踊っているような、それはそれは愛らしい一匹の金魚がおりました。
 窓辺に置かれた小さな金魚鉢の中。金魚はいつもひとりぼっちで外の景色を眺めては、「ぼくも外に出てみたいなぁ」と、消え入りそうな声で呟くのでした。
 そんなある日。金魚の前に一匹の猫が現れました。金魚の飼い主が、うっかり窓を開けたまま出かけてしまったのです。
 猫は金魚に言いました。「ねえキミ、外に出てみたくはないかい?」。金魚はとても驚きました。「え? ぼくが外に出られるだって?」。もちろんそれは金魚にとって願ってもないこと。金魚は真剣に猫の話に耳を傾けました。
 猫は言います。「外に出たいのなら、わたしがこの金魚鉢を少しだけ傾けてあげるから、キミは勢いよくそこから飛び出してくるといいよ!」。
 ……さて。この哀れな金魚はどうなってしまうのでしょう? …彼は知らないのです。猫が彼を食べようとたくらんでいることを。
 金魚は外に出たいという一心で、金魚鉢の外へ…猫の口の中へ、今にも飛び込もうとしています。……ここで、このお話はおしまい。あなたはきっと、この哀れな金魚のことなどすぐに忘れてしまいます。だって、部屋の片隅の小さな金魚鉢から、金魚が一匹消えるだけ。それ以外何一つ、この景色は変わらないのですから。


○カフェArcadia・店内(夜)

万希(まき):「あぁ~疲れた~っと! 今日も無事閉店! おつかれ俺!」
少花(しょうか):「万希くん、お疲れ様。きみは本当によく働いてくれるから助かるよ」
万希(まき):「好きでこんなに働かされてるわけじゃなんいスけどぉ? ねー、この店バイト俺ひとりなのに、毎日毎日客多すぎでしょ!」
少花(しょうか):「お客様が多いから、きみのバイト代もこんなにたくさん出してあげられるんだよ?」
万希(まき):「……たくさん…ってほどたくさんは貰ってない気がするけどなぁ」
少花(しょうか):「そうかい? 夢のような大金をあげているつもりだけれど」
万希(まき):「………。…とにかく、そろそろ俺の時給アップも考えてよね? それが嫌ならちょっとはホールに出てきてよ! ウチに来るお客さんなんてみんな少花さんの顔見に来てるんだから、『またアンタしかいないの?』って言われ続ける俺の身にもなってほしいよ!」
少花(しょうか):「そうか……それは少し考え直さないといけないかもしれないね」
万希(まき):「お! やっと時給アップ!?」
少花(しょうか):「僕の顔にも値段を付けることにしたらどうだろう? そうしたら売上もうなぎのぼりになるんじゃないかい!?」
万希(まき):「………アンタ、自分の容姿に無頓着なくせに、金に結びつける時だけはちゃっかり利用しようとするの悪い癖だぞ」
少花(しょうか):「だって、お金は大事だよ? このカフェで充分な稼ぎができないと、…【地下の本業】が、資金不足で廃業してしまうかもしれない」
万希(まき):「あんなもんがそんなことで廃業すんのか!?」
少花(しょうか):「あんなもんなんて酷いなぁ。あれが僕らの生業(なりわい)じゃないか」
万希(まき):「……俺に何の得があるのか、いまだにわからないんだけどな」
少花(しょうか):「そんなこと言ってるけど、だんだんやりがいを感じてきてるんじゃないのかい?」
万希(まき):「さあなー」
少花(しょうか):「ふふ。……おや?」
万希(まき):「ん?」
少花(しょうか):「窓の外に、なにか揺れているね」
万希(まき):「あー?」
少花(しょうか):「ほら、あれ」

 少花の指差す方を凝視する万希

万希(まき):「あ……なんだあれ?」
少花(しょうか):「あれは……猫のしっぽ?」
万希(まき):「ん? あー、そうかも。なんで猫がここに?」
少花(しょうか):「さては……金魚を狙いに来たんだね」
万希(まき):「はぁ? 金魚って、あそこにある金魚鉢の?」
少花(しょうか):「そう。…ちょうど今日届いた新作の物語と同じシチュエーションだ」
万希(まき):「あ! また先に読んでる! もぉ~。一緒に読もうっていつも言ってるのに!」
少花(しょうか):「ごめんごめん。……ここに届けられる蝶子(ちょうこ)さんの絵本は、どうしても僕が一番に読みたくてね」
万希(まき):「……結末を放棄した絵本………なんでいつも、ここに届けられて来るんだろうな?」
少花(しょうか):「さてねぇ?」
万希(まき):「………アンタ絶対知ってるだろ」
少花(しょうか):「ふふ。はい、どうぞ。僕はもう読み終わったから、ゆっくり読んでいいよ」
万希(まき):「これだよ…。もうそのマイペースにも慣れたけどさ。(絵本をめくりながら)……へぇ~、今度は金魚の話か」
少花(しょうか):「よーく読み込んでおいてね。きっとこれも【上演】することになるだろうから」
万希(まき):「へいへい」
少花(しょうか):「あ。しっぽがいなくなってる。お家に帰ったのかな」
万希(まき):「(めくりながら)うーわー。窓辺に金魚鉢があって、中に赤い金魚が一匹って、うちのこれとまんま一緒じゃん。こんなのすぐ何かあるに決まってるよ」
少花(しょうか):「そうだね。発声練習でもしておきなさい」
万希(まき):「そこ? また厄介事だったら嫌だよ~?」
少花(しょうか):「僕らは良い【朗読劇】を行って、【彼ら】を在るべき場所に戻す。それが役目だからね」
万希(まき):「真面目なんだか不真面目なんだか」
少花(しょうか):「……あれ? まだ誰かいる?」
万希(まき):「あ? また猫のしっぽか?」
少花(しょうか):「いや、さっきのは人影だったような気がするけれど……まぁ、いいか」
万希(まき):「また嫌なこと言う」
少花(しょうか):「さてと、店じまいだ。明日もよろしくね、バイトくん」
万希(まき):「はいはい、店長サン」


○翌・カフェArcadia(夜)

万希(まき):「ありがとうございましたぁ! またお越しくださいませぇ!」

 最後の客が帰る

少花(しょうか):「お疲れ様」
万希(まき):「あぁ~、今日は一段とエグい混みようだった…」
少花(しょうか):「仕方ないねぇ。今日は特別に残業手当をあげよう」
万希(まき):「まじ!? 定時越えた分はプラス10パー?」
少花(しょうか):「はい、どうぞ」
万希(まき):「………トマトゼリーかよ!!」
少花(しょうか):「綺麗でしょう? 赤く透き通って、……ほら、あの金魚みたいだ」
万希(まき):「しかもまた嫌なこと言う…。金魚食ってる気分になるじゃん」
少花(しょうか):「………ん?」
万希(まき):「あ?」
少花(しょうか):「窓のところ。また猫が覗いている」
万希(まき):「あ、ほんとだ。(笑いながら)アイツ店に入りたいのかな」
少花(しょうか):「………おや? 本当に店に入りたそうなお客様が、ドアの方にいらっしゃるようだ」
万希(まき):「は? ………うわ! 誰だよ! ドアばんばん叩いてやがる! 閉店だっつってんのに!」
少花(しょうか):「ごめん万希くん、見てきて」
万希(まき):「しゃーねぇなあ~!」


○同・ドア前(夜)

万希(まき):「あのねぇもう閉店なの! クローズって書いてあるっしょ?」
赤衣(あかえ):「蓋を閉めなよ」
万希(まき):「……はい?」
赤衣(あかえ):「…あの金魚、大事じゃないわけ?」
万希(まき):「は? 金魚?」
赤衣(あかえ):「こんなふうに無防備にしてたら………猫に取られちゃうんだから!」
万希(まき):「は? …っおい!? どこ行くんだよ!」

 赤衣、走り去る

万希(まき):「(去ってゆく背中を呆然と見つめる)」
少花(しょうか):「どうしました?」
万希(まき):「なんか、叫んで帰って行った」
少花(しょうか):「?」
万希(まき):「何だったんだアイツ………」


○翌・カフェArcadia店内(夜)

万希(まき):「(伸びをしながら)あぁ~今日も終了っと」
少花(しょうか):「お疲れ様」
万希(まき):「………」
少花(しょうか):「あれ? いつもの文句は言わないの?」
万希(まき):「………アイツ、どうしたかな?」
少花(しょうか):「アイツ? ……あぁ。あの子ですか?」
万希(まき):「へ? …あ。また猫のしっぽが覗いてる。いや、そっちじゃなくてさ、…人間のほうの」
少花(しょうか):「あぁ、昨日いらっしゃってたドアばんばんの」
万希(まき):「そう。アイツ、なんか変なこと言ってたんだよな」
少花(しょうか):「変なこと?」
万希(まき):「何だっけ……えぇと、確か…」
ドアが叩かれる
万希(まき):「うわっ! また来やがった! だから~! ドアを叩くなっつうの!」
少花(しょうか):「………」


○同・ドア前(夜)

万希(まき):「お客さん! 閉店だから! これ以上ばんばんしたら出禁にするよ!」
赤衣(あかえ):「(万希を睨みつける)」
万希(まき):「…なっ、何だよ?」
赤衣(あかえ):「蓋閉めろって言ったのに、まだあんな飼い方してる」
万希(まき):「はぁ?」
赤衣(あかえ):「だから! 金魚だよ!!」
万希(まき):「いや、金魚って……昨日からお前、何の話…」
少花(しょうか):「これは金魚みたいなお客さんだ」
赤衣(あかえ):「…!?」
少花(しょうか):「赤いお召し物がよく似合って、とても愛らしい」
赤衣(あかえ):「………」
万希(まき):「少花さん、コイツどうする? もう閉店してるけど」
少花(しょうか):「入れてあげたいのかい?」
万希(まき):「いや、俺は別に…」
少花(しょうか):「きみがそう言うのなら、特別に入れてあげよう」
万希(まき):「言ってねぇっつってんのに」
赤衣(あかえ):「あ……」


○同・店内(夜)

少花(しょうか):「お待たせ致しました。もうラストオーダー終わっちゃったから、コーヒーしかお出しできないですが」
赤衣(あかえ):「………………いただきます」
万希(まき):「(赤衣の様子をじーっと見つめる)」
赤衣(あかえ):「………にがっ」
万希(まき):「(笑いながら)だろうな」
赤衣(あかえ):「………」
少花(しょうか):「それで。当店にどのようなご用件でしょう?」
赤衣(あかえ):「………猫が」
少花(しょうか):「…」
赤衣(あかえ):「…猫が、金魚を狙ってる。なのにあんな、無防備に窓辺に置いて……あんなの、簡単に取られちゃう」
万希(まき):「………」
赤衣(あかえ):「アンタたち、あの子を大事にしてるの?」
少花(しょうか):「………」
赤衣(あかえ):「大事なら……せめて蓋ぐらいしめておかなきゃ……ちゃんと守っておかなきゃ、いつか猫に取られちゃうんだから!!」
万希(まき):「…なぁ、オマエ、昨日からなんでそんなに……」
赤衣(あかえ):「………」
少花(しょうか):「…なるほど。あなたはカフェではなく、【劇場】の方のお客様ですね」
赤衣(あかえ):「……え?」
万希(まき):「うぁ~、やっぱりそうか」
少花(しょうか):「つまり……あなたはヒトではない。そうでしょう?」
赤衣(あかえ):「は? 何だよそれ……ぼくが、ヒトじゃないだって? それじゃ、ぼくは一体何だっていうんだよ…?」
少花(しょうか):「そうですねぇ……見たところ、………あの絵本の主人公の、金魚さんでしょう」
赤衣(あかえ):「は……? 絵本……? 金魚………?」
万希(まき):「へぇ~、オマエ、金魚だったんだ」
赤衣(あかえ):「そんなわけないだろ!? ぼくが人間以外に見えるっていうの!?」
万希(まき):「いや? 俺には人間に見えてるよ。俺は『そういう力』、持ってないから。でも、この人がそう言ってるなら、そうなんだよ」
赤衣(あかえ):「………」
少花(しょうか):「御自身でも、思い当たるところがあるのでしょう?」
赤衣(あかえ):「ぼくは………」
少花(しょうか):「………」
赤衣(あかえ):「………」

 少し間

万希(まき):「話してみろよ」
赤衣(あかえ):「…ぁ………」
万希(まき):「ゆっくりでいいから、今考えてること、俺に話してみな。そしたら、オマエが何を『知りたがっているのか』も、きっとわかる」
赤衣(あかえ):「………」
少花(しょうか):「ふふ。彼になら話せそうでしょう? この子は僕なんかよりも、ずっと凄い力を持っているんですから」
赤衣(あかえ):「………」
万希(まき):「オマエの身の上話で、コーヒー代ってことにしてやる。(笑いながら)どうせ金持ってないんだろ?」
赤衣(あかえ):「あ……」
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