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追憶
しおりを挟む「そこでなにしてるの?」
家から少し離れたサディル川の河川敷で流れる水を座って眺めていると、自分より少し年上の、夜空を写し取ったような髪色の少年が話しかけてきた。
「ここにずっとしずんだらしあわせになれるかかんがえてたの」
そう答えると、少年は隣にしゃがんだ。
「しあわせにはなれないとおもう。くるしくはないかもしれないけど」
「そうかなあ。ルシアはいまよりずっとしあわせになれるとおもったんだけど」
季節は雪が降ってもおかしくないほど寒い冬。川の水は透き通っているが大変冷たそうに見える。
「いまはしあわせじゃないの?」
「うん」
「なんで?」
「ルシアはへんなんだって。まりょくがおおいのはわるいことなんだって。まりょくがね、でちゃうとママがおこるの」
「それでそのあざ?」
彼はこちらの青紫色になっている足首を指さした。
「そう」
「あざは、ひやさなきゃだめだよ」
彼はそう言うと川の水を掬い、足にかけてきた。
「ひゃぁ!つめたい!!」
「んふ、ちょうどいいとおもって」
「もう!おかえし!!…あはは!」
「けっこうつめたいな、これ。ほら!」
二人で笑いながら川の水を掬ってお互いにかけて遊んでいたが、手が冷えて赤くなり、全身がびしょびしょになった頃、「坊っちゃま~、坊っちゃま~!」と誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。
その声は隣の彼を呼んでいるようだった。
「そろそろかえらなくちゃ」
独り言のように聞こえたそれは、明らかに自分に聞こえるように発せられた言葉だった。
「あしたもここにくるね。きみがどうやったらしあわせになれるか、かんがえてくるから」
少年は立ち上がって、こちらを見下ろした。
太陽に照らされたさらさらの髪が輝きながら揺れていた。
「またね、ルシア」
彼は自分のことを呼んでいる男性のもとへ走っていった。
その次の日、昨日と同じくらいの時間に河川敷に行くと少年が既にしゃがんで水を掬って遊んでいた。
近付くと、彼は足音に気づいたのか顔を上げた。
「ルシア」
少年はこちらに手招きをしてきたので、昨日と同じように彼の隣に座った。
「ぼくね、ルシアがたくさんしあわせになれるほうほうをかんがえてきた」
「たくさんしあわせになれる?」
「うん。みずにしずむよりもずっと」
「どうしたらいいの?」
首をかしげると、彼はこちらの両手を彼の両手で包んで言った。
「おおきくなったら、ルシアはぼくのおよめさんになればいいんだよ」
「およめさん?」
「そう。けっこんしたら、ぼくがいっぱいルシアのことをしあわせにするの」
「でも、まだルシアはけっこんできないよ、8さいだもん」
そう言うと彼はうーん、と考えてこう言った。
「けっこんできるとしになったら、ぼくがまたルシアにあいにくるよ。それまで、まってて」
「わかった。ぜったいだよ?」
「うん、ぜったい、むかえにくる」
にっこりと笑って彼は小指を差し出してきた。
「ゆびきりげんまん」
「ゆびきりげんまん」
「いまからルシアはぼくのこんやくしゃだね」
「こんやくしゃ?」
「けっこんをやくそくしてるひとってことだよ」
こんやくしゃ。素敵な言葉に不思議と胸に広がる暖かさを感じた。
そして、彼と出会ってからずっと気になっていたことを聞いた。
「ねえねえ、きみはなんてなまえなの?」
すると彼は眉毛を下げて困ったような顔をした。
「ぼくのなまえは…いえない。ごめんね、ははうえにいっちゃだめだっていわれてるんだ」
彼はごめんね、ともう一度謝って頭を撫でてくれた。
「ルシアとけっこんするときにおしえるよ。ヒントはほしのなまえ、かな。それまでかんがえててよ。こんどあったときにこたえあわせしよう」
「うん」
「そろそろかえらなきゃ。おこられちゃう。じゃあ、またね。ルシア。ぜったいあいにくるから」
彼は、こちらの左手をとって薬指に口づけた。
そんなことをされるとは思っていなかったから、手を振って去っていく彼に、顔を真っ赤にして手を振り返すことしかできなかった。
それが、僕の15年前の記憶。
新月で、星がいつもより美しく輝く夜。そんな遠い昔の夢を見た。
あのときの彼はただ純粋に、家での暴力に苦しみ自殺しようとする僕を助けたい一心でそう言ってくれたんだろう。子供ながらに一生懸命考えて。
ありがとう。あのときの星の名前を持つ優しい彼。
きっと高貴な家の人だったから名前を言えなかったんだろうけれど。
君はずっと僕の支えだった。そして僕の初恋だった。
この国で結婚出来るようになる18歳をとうに過ぎて。
明日、僕は昔出会った彼のことを忘れられないまま、彼とは別の人と結婚する。
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