月華後宮伝

織部ソマリ

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虎猫姫は冷徹皇帝と琥珀に惑う

虎猫姫は冷徹皇帝と琥珀に惑う-3

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(しばらく抱き枕はおあずけになりそうだもの)

 月華宮にはこれから、嵐とまではいかなくとも大風が吹く。また忙しさと心労で眠れぬ夜が続くかもしれない。

(だから、せめて今夜くらいはぐっすり眠ってほしい)

 紫曄はぎゅうっと凛花の丸い体を抱きしめる。凛花も紫曄を抱きしめ返してやりたいが、子虎のようなこの体は手足が短くて、腕にしがみつくのが精一杯だ。

(ん?)

 凛花は自身の丸く白い手を見てふと思った。

(なんだか、少し大きくなったような……?)

 凛花が首を傾げると、肌をかすめる毛がくすぐったかったのか、紫曄が益々がっちり虎猫を抱きしめる。

「ふにゃ」

 もう少し手加減をしてほしいけど、紫曄とぴったり密着するのは気持ちがいい。凛花は伝わる鼓動と熱に頬を寄せ、ゆるゆると心地のいい眠りに落ちていった。


 そして、明けて翌朝。
 随分と早い時刻に月官げっかんに起こされた。
 寝ぼけまなこで紫曄が扉を開くと、そこに跪いた月官げっかんが「新たな神託が下されました」と、そう言った。


 ◆


「こちらが新たな神託でございます」

 神妙な顔つきの神月殿長が、まだすみの匂いも濃い、神託がしたためられた紙を差し出した。

『琥珀の月が、白銀の背に迫る。古き杯を掲げ、月と銀桂花の結実を成せ』
「神託が下されたのは昨夜、月祭の夜でございます。主上と朔月妃さまにおかれましては、早朝よりお呼び立てしてしまい誠に申し訳ございません。ですが、少しでも早くお知らせしたほうがよいと判断いたしました」

 この神月殿長は『かく派』――暁月妃・朱歌の実家で、月官げっかんの名門である赫家に属する者。朱歌は幼馴染みである紫曄を助けるために後宮に入った。ということは、神月殿長は紫曄の味方であり、たぶん凛花の味方でもある。

「いい判断だ。神月殿長、感謝する。私がいち早く知ることができたのは幸いだった。この神託は非公開とする」
「かしこまりました。それでは主上、礼部れいぶへのお知らせはいかがいたしましょう」
「必要ない。神託を知るべき上層部には、私が直接知らせよう」

 紫曄は『月』という、皇帝を指す文言が含まれた神託を厳しい顔で見つめ、神月殿長を労う。
 今日ここに紫曄がいなければ、この神託は神月殿から月華宮の礼部れいぶ、祭礼を司る部署に上げられ、そこから決められた手順を経てやっと紫曄のもとへ届くもの。

(紫曄が神月殿にいて、この神託が月華宮に上がる前に知れたのはよかったけど……)

 月祭の夜に出た神託を知れたのは、月祭の儀式でここにいたからだ。時機が良かったのか悪かったのか、不幸中の幸いなのか。
 そして凛花はふと、遠くから聞こえる月官げっかんたちの声に耳を傾けた。虎の聡耳さとみみだから聞こえるそれは、神託について興奮ぎみに語り合っている。

「有り難いお言葉です。主上。しかし……月官げっかんたちの高揚を抑えきれず、申し訳ございません」

 神月殿長は、はっきりとは口にしないが、神託がこの神月殿中に広まってしまったことを謝罪しているのだろう。凛花の耳に届く声は、一ヶ所からではない。四方八方、どこの部署でも神託について議論がされているようだ。
 月祭の夜に出た神託に、特別な意味を感じないわけがない。

(信仰心の強い月官げっかんたちだもの。月の神聖性が最大に高まる夜に、女神からの言葉である神託が下されたら、大騒ぎになって当然でしょうね)

 神託は本来、神月殿内で公表されたり、共有されたりするものではない。しかし昨夜は月祭という、普段は節制している月官げっかんといえども浮かれる特別な夜だった。
 銀桂花酒が振る舞われる中、月華宮での儀式に参加した月官げっかんが「琥国の王太子を見た」「後宮に迎えたのかもしれない」と話したのだろう。
 そこに新たな神託の知らせが届けば、あっという間に広まってしまう。
 しかも神託に含まれた『琥珀の月』『白銀』の文言が、皆の好奇心を掻き立てた。それはまさに今、面白おかしく噂していた人物たちのことでは? と。
『琥珀』といえば、月祭に出席していた琥国の王太子の名。『白銀』といえば朔月妃・凛花を連想させる。そこに皇帝を意味する『月』の文言が二つも入っており、銀桂花は皇后こうごうを象徴する花だ。
 これは皇帝の妃に関する神託だと気付けば、高揚感は更に高まる。どんなに清められた場所であっても、貴人の噂話は密かな娯楽ごらくというもの。こうして、神月殿では一晩かけて、一つの解釈が導き出されていったのだ。

「それで、神月殿長。この神託の解釈をお前はどう考える?」
「はい。神月殿としましては――」
『琥珀の月が、白銀の背に迫る。古き杯を掲げ、月と銀桂花の結実を成せ』

『琥珀の月』とは、琥珀王女を示し、『月』は琥国の次期王という意味か、『月』――皇帝のものとなった琥珀王女のことを指す。
『白銀の背に迫る』は、前文を踏まえると、銀髪の朔月妃・凛花の背に迫ると読める。
『古き杯』は、神託が下されたのは月祭の夜であることを考えると、皇帝が月に捧げ飲む、金桂花酒のことが連想される。ということは、『古き杯』は先代皇帝のこと。
『月と銀桂花』は、皇帝と皇后こうごう。『結実の実』は、皇帝と皇后こうごうを意味する『月と銀桂花』に掛かっている。皇帝と皇后こうごうが成すものは、子だ。
 そして、この神託が月祭の夜に下されたことから、この神託の内容を正しく遂行することが、月の祝福を授かるのに必要だとも考えられた。
 それらから解釈される神託の意味は、このようになる。


 琥珀王女は月妃となり、朔月妃と並びちょうを受ける。
 しかし朔月妃・凛花は、やはり先代皇帝の神託の妃である。
 皇帝は正統な皇后こうごうと子を成せ。


「――神月殿としましては、現時点ではこのように解釈しております」

 神月殿長は深々と頭を下げて言った。
 この神託の解釈を分かりやすく言うと、“現皇帝・紫曄は、琥珀王女を皇后こうごうとすべし。朔月妃・凛花は先代皇帝の妃となるべきだった。月に祝福された妃・琥珀王女と世継ぎを成すことが国の繁栄に繋がる”そういう意味だ。
 紫曄は更にも増して険しい顔をしている。紙に書かれた神託を見た時から、紫曄にも予想できていた解釈だったからであろう。

(私にだって連想できるような文言ばかりだったもの)

 しかし神月殿長が、紫曄が気に入らないだろうこの解釈を導き出した上で、朔月妃・凛花を連れた紫曄に報告した。その意味はなんだ? と凛花は考える。

(紫曄の味方だからこそ、私の目の前でこの解釈を伝えた?)

 月に祝福された子を成せるのは、先代皇帝の時代に『神託の妃』とされた凛花ではないと、分をわきまえろと言っている? それとも、そう言われるのを覚悟して隣に立てと凛花を叱咤激励しったげきれいしているのか。凛花はそっと神月殿長を窺う。

「ですが、主上。これは神月殿としての解釈でございます。私個人としては、何か違う解釈があるのではないかと感じております」

 どういうことだ? と紫曄が片眉を上げ、先を促す。
 琥珀王女を後宮に迎え、皇后こうごうとして子を成せなどという神託は、紫曄にとっては厄介なもの。別の解釈ができるのなら、そのほうがいいに決まっている。

「今回の解釈が、あまりにも安直だからです。この神託にある文言は、誰にでも意味を連想できるような文言ばかりです。そして解釈も、素直すぎるものになっているように思えます」
「真の意味があると?」
「はい。神託は元々、いくつもの意味に取れるものです。この解釈もまた、正しいのかもしれませんし、やはりこれは正しくなく、真の意味を隠すため、わざと分かりやすい文言でくだされたのかもしれません。これほど分かりやすい神託は、月が必ず知らせたいことだからと解釈する一派もございますが……」

 神月殿長は一度言葉を区切り、紫曄を見つめた。神月殿長という責任ある立場でありながら、神月殿としての解釈をやんわり否定した。これは、紫曄を支える朱歌の仲間である、個人としての言葉だ。

「主上。今の私には、この神託に秘められた解釈を見出せません。正しく解釈するためには、何か情報が足りていないのではと愚考ぐこういたします」

 皇帝だけが知り得る情報があれば、真の意味が分かるのでは。神月殿長はそう言っている。

月官げっかんは知らなくて、皇帝だけが知っていること)

 紫曄と凛花は顔を見合わせる。
 皇帝でなければ知り得なかった情報は、『虎』だ。
 この神託に出てくる『琥珀』の琥珀王女、『白銀』の凛花、『月』の紫曄。三者に共通しているのは、人虎の血を持っていること。虎化の秘密だ。

「神月殿長。個人的な見解まで聞かせてくれたことに感謝する。それと一つ頼みがある。薬院やくいんの碧にも意見を聞きたい」

 紫曄は、を持つ唯一の月官げっかんを呼んだ。


 これから神託についての話し合いがあると、神月殿長が退席すると、入れ替わりで碧が現れた。碧は寝ていないのか、目の下にうっすらくまを滲ませている。
 が、凛花を見た瞬間、パッと顔を輝かせその場に跪いた。

「朔月妃さま! 僕を呼んだのはあなた様でしたか!」
「……碧。あなたを呼んだのは、ここにいらっしゃる主上です。ご挨拶あいさつを」
「お呼びと伺い参上しました。主上」

 言えばできるのに、この月官げっかんは相変わらずだ。
 凛花は自分――人虎に執着する碧にうんざりしつつ、「挨拶あいさつしましたよ!」と、褒美ほうびを欲しがる犬のような視線をくれる碧に頷いてやる。

「凛花、構わん。碧はこういう奴だともう理解している。碧。呼び出した用件は神託の件だ。お前の意見を聞きたい」

 紫曄がそう言うと、碧は笑顔から真顔へと表情を変えた。

遺憾いかんに思っております。三年前、朔月妃さまに下された神託を塗り替えるような内容です。今回の神託は胡散臭うさんくさい」

 嫌悪感を隠しもしない碧の言葉に、凛花だけでなく紫曄も面喰らう。
 これでも碧は薬院の筆頭月官げっかんという立場だ。崇拝すうはいする凛花の不利になりそうな内容だとはいえ、あからさまに神託への不快感を口にするとは。

「主上、朔月妃さま。三年前の神託を出したのは朱歌殿です。彼女ほどの力を持つ月官げっかんは現在おりません。今回の神託そのものも、解釈も正しいとは思えません」

 神託とは、月の女神から授かるもの。その方法がどのようなものなのかは、月官げっかん以外には秘されている。しかしというからには、何か特殊な能力が必要なのだろう。

(そういえば朱歌さまは、占いが得意だと耳にしたことがある)

 神月殿では月や星、気象など、天文てんもんの観測、それらを使った占いをしていると聞く。

(神託はその延長線上にあるものなのかもしれない?)
「あの解釈はおかしい。主上。どうか慎重に行動なさってください」
「お前が俺の身を案じるとは珍しいな、碧」

 凛花を心配するなら分かるが、紫曄へそんな言葉を言うとは。興味があること以外には、鈍感どころか冷徹れいてつなのが碧だというのに。

「あ、申し訳ございません。主上ではなく朔月妃さまを心配しております」

 だろうなと紫曄は大きく頷いた。ここまではっきりしていると、逆に信用できるくらいだ。

「あの神託は、現在の解釈では琥国の王太子に有利。朔月妃さまが害されたり、排除されたりするのではないかと心配なのです! ……まさかとは思いますが、琥国の王太子が月官げっかんを買収し、新たな神託を捏造ねつぞうした可能性もあるのでは?」

 月官げっかんとして、さすがにそれはないと信じたいのか碧は声をひそめ言う。だが、そう思ってしまうくらい今回の神託は、琥珀王女が後宮に潜り込むのに、あまりに有利な文言ばかりだ。
 その場がしんと静まり返る。すると、その時。窓の外から凛花の耳に、聞き覚えのある足音が届いた。

「琥珀殿?」

 呟き窓に目をやると、黒づくめの琥珀が露台ろだいにひゅっと跳び乗り姿を見せた。紫曄は驚き、碧は「僕が呼びました!」と言った。
 たしかに琥珀王女と琥国をよく知る琥珀は、この場にいるに相応しい。


 ◆


「オレも神託のことは聞いた。警戒するべきは琥国の王太子だ。後宮へ潜り込むのとは別に、白虎である凛殿を琥国へさらう者がいてもおかしくない」
「お前はどうなんだ、琥珀。お前がそのさらう者でないと言えるのか」

 紫曄は低い声で、あの王女と同じ名を持つ琥珀に問う。そもそも、この琥珀は白虎を手に入れるために月魄国に来たのだ。意に沿わない命令だといってもだ。

「黒虎にはなんの力も、協力者もいない」

 琥珀は、ハッと鼻で笑い言葉を続ける。

「それとも後宮は、たった一人の黒虎が寵姫ちょうきさらえる程度の警備なのか?」

 挑むような瞳で紫曄へと逆に問う。紫曄も琥珀も、互いに窺うような視線を向け合っている。

(そうか。王女の狙いは、もしかしたら後宮に入ることだけじゃない? 私を連れ帰るつもりが……?)

 いや、それは無理がある。凛花はそう思うが、だが何があってもおかしくない気もする。

(神託が出た時機も内容も、あまりにも王女に有利すぎるもの)

 琥珀王女が後宮に滞在する、この時を狙ったように下された月からの『皇帝と皇后こうごう』についてのお言葉だ。月官げっかんを買収していなくとも、月が味方に付いているのは確か。
 紫曄には琥珀王女。凛花には先代皇帝。その解釈は、凛花と紫曄にとっては大風どころか逆風だ。
 三年前に出た『白銀の虎が膝から下りる時、月が満ちる』の神託か、今回の『琥珀の月が、白銀の背に迫る。古き杯を掲げ、月と銀桂花の結実を成せ』の神託。
 月華宮はどちらを信じ、優先するのか。
 この神託は凛花の後宮入りだけでなく、最下位の朔月妃でありながら、寵姫ちょうきでいられる根拠そのものをひっくり返すかもしれない。それに下手をすれば、皇帝の首まですげ替わり兼ねない。
 解釈とその扱いを間違えたなら、相当に危険な神託だ。

「碧、神月殿内を観察しておいてほしい。神託の解釈がどう決着するか注視してくれ。お前の大切な白虎のためだぞ」
「かしこまりました! 薬院にはお偉方もよくいらっしゃるんです。凛さまをお守りするため、僕が情報を集めましょう!」

 胸を張った碧がチラッチラッと凛花を窺う。犬だ。

「……頼りにしています。碧」

 凛花は少し考えて、「よろしく頼みます」より喜びそうだとその言葉を選んだが、どうやら正解だったらしい。
 碧は嬉しそうに「はい!」と言い、見えない尻尾をブンブン振った。


 ◆


「ところで主上。しばらくゆっくりお話ができそうにないので、迎えの馬車が来る前にお話ししておきたいことがあります。小花園にかんすることなので、碧も聞いて」

 凛花は少し前に、書庫の倉庫にあったふみや書き付けの束を手に入れたことを話す。
 そのふみの受取人で、書き付けと共に残した人物は、その月妃の下で働いていた者だったこと、ふみの差出人は、小花園を作ったと思われる月妃だったことも伝えた。

「その月妃は琥国の者でした。小花園の薬草は虎化を抑えるためではなく、他の妃に白虎を与えないために使ったと思われます」

 その言葉に、紫曄は不快を覚え眉根を寄せ、碧は涼しい顔でうんうんと頷いた。
 この月妃がいた時代は遠い昔。きっとまだ、胡家にも虎の血が濃かった頃。他の妃にとは、皇帝の子を産ませないということだ。
 後宮の存在を無意味にするだけでなく、その残酷な仕打ちに紫曄は眉をひそめたのだろう。自分も皇帝であり、皇帝の子であるが故に。

「その妃は、琥国へ白虎の血筋を戻す使命を帯びていたようです。実際にどうなったかまでは調査できておりませんが……」

 月妃の中には胡一族だけでなく、虞一族の娘もいたと考えるのが自然。まだ関係が深かった琥国出身の妃も複数いてもおかしくない。小花園の月妃は、自分以外に子ができれば計画を遂行し難くなると、そう思ったのだろう。

(……ん? 違う、そうじゃない)

 凛花はチリ、と脳裏によぎった違和感を追いかけ、考える。

(あのふみを残した妃は、自分だけが皇帝の子を産み、『白虎の生母』という立場と、『琥国に白虎をもたらした者』という二つの手柄を独占したかったんじゃ?)

 あの文を見た時、凛花は白虎を確実に独占するため、他の妃に子を産ませぬようにしていたと思った。だけどよく考えてみれば、白虎を琥国へ連れ帰る使命を第一にするなら、他の妃にも子を産ませ、白虎が生まれる確率を増やすべきだ。

さらうのではなく、よめ婿むことして琥国に渡すとしても同じ。皇帝唯一の子を、他国に出すなんてあり得ないもの)

 だけど小花園の妃は、そうはせず子を独占しようとした。あの所業は利己的な理由からだったとのだと気付き、凛花はやるせない気持ちで歯噛みをする。
 目的と行動が捻じれている。使命を重く受け止めすぎた故に、こじらせてしまったのだろうか。

「……いかにも後宮らしい、妃の悲哀ひあいだな」

 紫曄もその捻じれに気付いたのだろう。嫌そうな顔で大きな溜息を吐く。

「古くから、琥国から来た妃も、とついでいった公主こうしゅも少なくない。だが人虎の子にかんする話は聞いたことがない。輝月宮きげつきゅうの書庫にもそれらしい記録はなかったが……」
「処分されたのかもしれないし、オレと同じように隠されたのかもしれない」

 ここまで黙って聞いていた琥珀がぽつりと言った。すると、ずっと興味なさそうな顔をしていた碧が「あっ」と声を漏らした。

「もしくは雲蛍州に託されていた可能性もあるのでは? 雲蛍州には人虎の逸話いつわも多く残ってますし」
「あるかもしれんな」

 皇帝・胡家は野心を抱き、周辺国に手を伸ばしてきた。その周辺国には人虎などいない。普通の人間は人虎を恐れ、排除しようとする。人虎の一族を王とし、畏れたてまつることができるのは神話の時代か、古い価値観のまま閉ざされた国だけだ。

「月魄国が人虎の王だったら、こんな大きな国にはなっていないでしょうね。ただでさえ違う文化を持つ他国を呑み込むんです。最低限、同じ『人』でなければこうべを垂れるのは無理というものです」

 碧はそう言い頷き、自分の思い付きと言葉に納得している。が、凛花は胸に溜まる重いものを感じていた。

(ああ、いやだ。高貴な者の都合で隠したり処分したり、くれたりさらったり……虎の子は不憫ふびんだ)

 自分が産むかもしれない子は、どんな運命を辿るのだろう。

(虎の子でなければいいのに)

 凛花はそう思った。


 ◆


 そろそろ神月殿に、月華宮から迎えの馬車が到着する頃だ。
 凛花と紫曄は一旦奥宮へ戻り、決められた手順で帰路につく。帰るまでが月祭の儀式だそうだ。護衛代わりにと琥珀を付けられ、二人は奥宮へ続く金桂花の道を歩く。と、琥珀が凛花に包みを差し出した。

「凛殿。これを」

 月妃に直接手渡すなど麗麗がいたなら許されないことだが、ここに麗麗はいないし人目もない。紫曄が許せば凛花は受け取れるのだが……。凛花はちらりと紫曄を窺う。

「……構わん。見たところ贈り物ではなさそうだしな」
「贈り物といえば贈り物だが? 凛殿が喜ぶものだ」

 紫曄が面白くなさそうに紫色の目をすがめ、琥珀は顎先を上げ金色の目で不敵に笑う。

(あ、やっぱり似てる)

 琥珀の珍しい微笑み顔が、あのつややかな王女と重なった。あおるような笑みが重なるというのもどうかと思うが、やはり二人は兄妹なのだと凛花は思う。

「頂きます。琥珀殿」
三青楼さんせいろうで採取したものだ。碧先生から、書庫の老師ろうしに調べてもらってほしいと頼まれた」

 包みの中身は満薬草まんやくそう。先日、碧に連れていかれた畑のものだろう。

「琥珀殿はこれが何か知っているの?」
「満薬草だと聞いている。琥王宮では、『虎の秘庭ひてい』と呼ばれる場所で栽培されていた」
「そうなのね」

 驚いた。
 月魄国では伝説上のものだった満薬草が、琥国では栽培までされていたとは。
 満薬草が実在していることに、薬草姫としてはワクワクしてしまう。早く老師に調べてもらいたい。だが人虎としては、『虎の秘庭ひてい』なんて場所で栽培されていることが気になる。満薬草は、人虎にとってどんな薬草なのだろうか。

「凛殿。王太子には気を付けたほうがいい。あれは手段を選ばないし、オレよりも性格が悪い」
「分かりました……」

 性格が悪いってどういう意味? 凛花は内心で大きく首を傾げつつ、奥宮の入り口で琥珀を見送った。


 到着した迎えの馬車は一台。
 神月殿へ向かう時は別々の馬車だったが帰りは一緒だ。
 皇帝と月妃が、月祭の夜を仲睦まじく過ごした……と示すためだったりして。そんなふうに思ってしまった凛花は、見送りで並ぶ月官げっかんの視線を避けるよう、さっさと馬車に乗り込んだ。
 ゆっくりと進む馬車の中。たぶんこれを最後に、凛花と紫曄が共に過ごす時間はしばらくお預けとなる。

「ところで凛花。先ほどの『満薬草』とはなんだ?」
「伝説の万能薬草です。共に調合する薬草の効果を高める作用があるようで、今のところ小花園と三青楼で見つかっています」

 じきに神月殿でも見つかるだろう。小花園の隠し庭とよく似た庭があるのだから。

「隠し庭には琥国由来の薬草が多い気がします。なんだか、全てが琥国の掌の上のようです……」

 人虎の起源が琥国にあるのだから当然なのかもしれない。
 けれど、調べれば調べるほど謎が湧きで、炙り出されてくる。大昔に小花園を作った月妃。琥珀と琥珀王女。満薬草。そして新たな神託。
 神月殿の解釈では、琥珀王女が紫曄と結ばれることがとされている。この神託を知った琥珀王女はどう動くのか。
 凛花は気になって――いや、強がりをやめて言えば、凛花は不安だった。
 凛花は月の力を知っている。虎化は琥国では祝福かもしれないが、凛花にしてみれば呪いのようなもの。月の女神の威光からは逃れられない。

「凛花。掌の上だとしても、飛び込み踊ってみなければ分からないこともある」

 紫曄は凛花の肩を抱き、コツリと頭を寄せる。

「あの神託の解釈はきっと違う。もし、あの解釈が真実だったとしても、俺は神託の言いなりにはならない」

 紫曄はそう言い笑って、今は一旦、踊らされてみようじゃないかと凛花の手を握る。

「……ふふっ。そうですね」
「そうだ。さあ、時間が惜しい。もっと他の話をしよう」
「はい。えーっと……あ、雲蛍州から届いた家系図を見ていて、気付いたことがあったんです。うちの家系には『花』がつく名の女性が多かったんです」

『花』か……と紫曄も呟く。凛の『花』だけに気にはなる。

「人虎、『虎』の名を持つ者の母親は皆、名に『花』が付いていました。だから人虎を産んだ女性に後々『花』が付けられたのかと思ったのですが……」

 未婚と思われる人虎の女性にも『花』の名はあった。ならば人虎の女性に『花』の名が付けられるのか? と思ったが、家系図だけではよく分からない。
『虎』が付く、人虎と思われる名の兄弟の並びに、『花』が付いていない女性がいる場合もあったのだ。父親は『虎』、母親には『花』が付く家族だ。兄と弟は異母兄弟のようだったが、それでも『花』の付かない女性は、人虎の妹か姉になる。家族全員が人虎であるのに、彼女一人だけ人虎でないのはどういうことだろう。
 虎の血は、代を経て、凛花にまで伝わるほど濃いものだというのに。

(『花』の名はどういう意味なの……?)

 凛花は自分にも付く『花』がどうにも気になってしまう。これが虎化の謎を解く手掛かりになるかもしれない。でも、気にするほどの意味はないのかもしれない。
 雲蛍州は昔から薬草の産地だ。良い花が咲き、良い種が採れますように。一族の娘にそんなゲン担ぎの名を付けていただけかもしれない。
 ただ、『花』の名が減るにつれ、系図に書かれた人虎の数も少なくなっていた。
 それが少し凛花には引っ掛っているのだが……


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