月華後宮伝

織部ソマリ

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虎猫姫は冷徹皇帝と花に酔う

虎猫姫は冷徹皇帝と花に酔う-1

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   第一章 金桂花きんけいかの蕾と銀の虎猫姫


 夏の盛りも過ぎ秋の足音が聞こえはじめてきた頃。
 小花園しょうかえんは朝早くから賑やかだった。

朔月妃さくげつひさま、こちらの収穫は済みました!」
「ありがとう。さっそく洗っておいてくれる?」
「朔月妃さま~! こちらは全て刈ってよろしいのでしょうか?」
「ええ! 少し増え過ぎているから、半分くらい根こそぎいってしまって!」

 あちらこちらから凛花りんかに指示を仰ぐ声が飛ぶ。
 本日は、小花園の雑草取りと夏の収穫仕舞い、それから秋に向けての準備を一気にやってしまおう! という会。略して『仕舞い準備会』だ。
 とにかく人手が必要なので、今日は凛花の朔月宮さくげつきゅうだけでなく、朱歌しゅか暁月宮ぎょうげつきゅう霜珠そうじゅ薄月宮はくげつきゅうからも助っ人が参加している。もちろん、主である朱歌と霜珠も参加だ。
 ――この月華後宮げっかこうきゅうには、現在、凛花を含め四人の月妃げっぴがいる。
 上から順に、宦官かんがんの長を祖父に持つ、弦月妃げんげつひ董白春とうはくしゅん。元高位月官げっかん紫曄しゆうや側近である双嵐そうらんの幼馴染み、暁月妃の赫朱歌かくしゅか。武の名門の娘だが柔らかな気質を持つ、薄月妃・陸霜珠りくそうじゅ。そして、『神託しんたくの妃』である朔月妃・虞凛花ぐりんか
 本来、月妃は皇后こうごう望月妃ぼうげつひを含め九人揃っているもの。即位から三年が経過した皇帝の妃としては異例の少なさだ。
 それが許容されているのも、『白銀の虎が膝から下りる時、月が満ちる』という、月――皇帝を“満たす”という神託が下った『神託の妃』、凛花がいるからだ。

(後宮入り早々、主上に虎化の秘密を知られて、どうなることかと思ったけど……)

 凛花は紫曄との出会いを思い出し苦笑する。
 寵愛を勝ち取る気などさらさらなかった凛花が、眠れない紫曄の『抱き枕』として秘密と夜を共有するうちに、まさか寵姫ちょうきと呼ばれるようになるとは。

(虎化する体質のことを調べたくて、月華宮に来たはずだったのにね)

 神託によって後宮入りせざるを得なかったが、凛花には密かな目的があったのだ。
 国一番の所蔵数を誇る、月華宮の大書庫で『虎化』について調べたい。あわよくば、ずっと隠してきたこの体質を治したい。そう思ってきたけど――
 凛花は小花園を見回す。ここは紫曄と心を通わせ、寵姫ちょうきとなった凛花に贈られた薬草畑だ。薬草姫とも呼ばれる凛花にとって心安らぐ場所であり、虎化の謎を解明するためにも重要な場所だ。大きな声では言えないが、後宮では禁止とされている希少な薬草が生育している。

「調査を進めるには、まずは手入れをしなくちゃね」

 夏の間に茂ってしまった雑草というものは、なかなかに手強い。
 まだ完璧に整備されていなかった小花園では更に重要な作業で、人手はいくらあっても足りないくらいだ。

「朱歌さまと霜珠さまの参加は本当に有り難いわね!」

 後宮の妃といえば、皇帝のちょうを競い合うのが当たり前の姿だ。
 しかし暁月妃・朱歌は、人数合わせのために後宮へ入ったようなものだし、霜珠は父や兄たちが『皇帝に懸想けそうしている』と勘違いをし、後宮へ入れられてしまっただけ。二人とも寵姫ちょうきの座も皇后こうごう・望月妃の座も狙っていないし、欲していない。
 だから馬が合った者同士、閉ざされた場所で友人として仲良く付き合っている。

「でも二人とも、畑仕事なんて初めてだろうしちょっと心配ね」

 昨日から楽しみにしていたと張り切ってくれていたが……。そんなふうに凛花が思っていると、向こうから霜珠の声が聞こえてきた。

「凛花さま~! 花摘みが終わりましたわ。いい香りです!」
「霜珠さま! 皆さんもありがとうございます」

 霜珠と薄月宮の侍女じじょたちには花の収穫をお願いした。護衛兼侍女じじょである彼女たちは、野外での活動も体を動かすことも得意なようで、皆が楽しそうな顔をしている。霜珠も同じく満足そうで、指導役の明明めいめいも笑顔だ。元は弦月宮に仕えていた明明だが、すっかり朔月宮にも馴染み、薬屋の娘として小花園でも大きな役割を果たしている。

「凛花さま。皆様すごく手際がよくて、作業を分担したらあっという間に終わっちゃったんですよ」
「まあ。さすが武の名門、陸家ね! 明明。今後の作業の参考になるんじゃない? 筆頭侍女じじょに話しを聞けないか、霜珠さまにお願いしてみるわ」
「はい、ぜひに!」

 軍は規律が厳しい。霜珠も含め、薄月宮の面々は幼い頃から鍛え上げられている。仲はよくとも、上下関係も命令系統もしっかりしたものがある。
 凛花も故郷で薬草園を運営していたが、元から畑で働いていた雲蛍州うんけいしゅうの民たちと、後宮に仕える宮女は違う。

(今はできるだけ、薬草や畑仕事に従事したことのある宮女を選んでいるけど、人を増やすなら全員そうとはいかない)

 人を増やし、本格的に小花園を運営していくなら、薄月宮の陸家式はきっとためになる。

(暁月宮の、神月殿しんげつでん式も参考になりそうよね?)

 そんなふうに思う凛花の耳にまた、賑やかな声が届いた。

「凛花さま! 実の収穫を終えたぞー!」

 今度は朱歌と暁月宮の侍女じじょたちだ。畑に点在している樹木から様々な実を収穫してきてくれた。こちらの指導役である麗麗れいれいも一緒だ。
 花園といってもそれなりに広く、高さのある木も多い。そんな収穫は万が一の怪我が心配で、不慣れな宮女にはお願いし辛かった作業だ。
 しかし、それを本当に、暁月宮の侍女じじょたちにお願いしていいものかと凛花は迷ったのだが……麗麗がこう言い笑い飛ばした。「あの方たちは皆、元神月殿衛士えじですよ? 体力もありますし、梯子はしごも木登りも問題ありません」と。
 どうやら元同僚、麗麗の言葉の通り、無用の心配だったようだ。
 それによく聞いてみれば、朱歌は月官げっかん見習いの時分に、神月殿の薬草園で収穫をしたことがあるというし、侍女じじょたちは月官げっかん衛士えじの訓練で山にこもった経験があるらしい。食べられる植物や毒についての知識も一通りあるとか。体力自慢の上に、土に親しんだ経験があるのは有り難い。

「皆様、ありがとうございます! お怪我などありませんか?」
「あはは! あるわけないよ、凛花さま」

 朱歌だけでなく、侍女じじょたちも呵々と笑う。すると小花園付きの宮女たちから、きらきら輝く憧れの眼差しが向けられた。
 なんといっても、今日の暁月宮の面々は男装姿なのだ。快活な笑顔と光る汗に、「お姐様ねえさま……!」の声がささやかれている。どうやら小花園のお姐様ねえさまは、麗麗だけではなかったようだ。この様子を見るに、きっと薄月宮の侍女じじょたちも、すぐに宮女たちからお姐様ねえさまと呼ばれるようになるのだろう。

(本当に、後宮入りしたばかりの頃は、まさか月妃同士でこんな交流ができるようになるとは思わなかったわ)

 自分も含め、少々変わった妃が揃った結果だ。これは紫曄に感謝するべきか? と、凛花は互いの仕事を褒め合い、笑い合う女たちを眺め微笑む。

「凛花さま。ついでに天星花てんせいかつるも伐採してきました。材料として使えそうでしょうか」
「ありがとう、麗麗! ちょっとよく見せてくれる?」

 夏に星型の花を咲かせる天星花てんせいかは、星祭ほしまつりでその花が飾りとして使われる。花が落ちたその後は、旺盛おうせいに伸びたつるかごなど日用工芸品の材料となる。凛花はこのつるを、ただ処分するのではなく、後宮でも利用できないかと考えていたのだ。
 星祭で朔月妃である凛花の評価が上がったとはいえ、今年度の朔月宮の予算は既に割り振られている。
 最下位の月妃らしく、利用できるものは利用し、上手く宮を運営しなければ。

(それにしても、星祭も終わってしまえばあっという間ね)

 ――星祭の後、『皇帝の寵姫ちょうき・朔月妃』の名は月華宮だけでなく、皇都天満こうとてんまんでも更に広く知られ、高まった。
 その理由はいくつかある。ひとつ目は、奉納ほうのうする花輪が準備されていなかったにも関わらず、機転を利かせて乗り切ったことだ。
 凛花は舞台を降り、民から天星花てんせいかを譲り受け、自ら花輪を編み事なきを得た。
 民にとって後宮の月妃というものは、年に数度、祭りの時に遠目で姿を拝むだけの雲の上の存在だ。その顔を見ることなど決して叶わない。そんな月妃が、民と同じ場所へ降りてきて直に言葉を交わしたのだ。彼らが感動したことは言うまでもない。
 その後に奏上そうじょうした祝詞のりとも、凛花はただ読み上げるのではなく歌い上げた。
 初めて間近で目にした月妃、初めて耳にする祝詞のりと歌。更に祝詞のりと奏上そうじょうに合わせたかのように雲が晴れ、月の光が凛花に降り注いだ。
 あの時、凛花が身にまとっていたのは、月の光で輝く『輝青絹きせいけん』で仕立てた衣装だ。月光を浴び煌めく凛花の姿は、まるでこの国が奉ずる月の女神が、新たな望月妃の誕生を祝福しているかのように見え、皆が息を呑んだ。
 そして皇帝・紫曄も、凛花と同じ輝青絹きせいけんで紡いだ髪紐を使っていたことから、『冷徹な皇帝』という評判を一夜にして変えることとなった。
 揃いのものを身に着けるほど寵愛している月妃が、民に顔を晒し触れあうことを許した紫曄は、『寛容な皇帝』だと囁かれるようになった。
 星祭をきっかけに、凛花は『月に祝福された寵姫ちょうき』となり、紫曄もまた『月に祝福された皇帝』と呼ばれ、街では今、二人の人気が高まっている。

(でも、星祭の裏側は本当に大変だったわー……)

 困難に見舞われたのは、星祭当日だけではなかった。
 最上位の妃で、皇后こうごう・望月妃の位を狙っている弦月妃に『祈念舞きねんまい』を譲ることになった時には、『やはり最下位の朔月妃など寵姫ちょうきの器ではない』という声も官から出た。だが終わってみれば、格上の弦月妃に『祈念舞きねんまい』を譲ったことは、寵姫ちょうきであっても、朔月妃という最下位の立場をわきまえていると評価された。
 対して弦月妃には、派手な音楽と豪華すぎる衣装が、祈りを捧げる星祭には相応しくなかったと否定的な声が挙がった。
 特に花輪の件は、正式に調査が行われ、弦月妃に非があることが明らかにされた。
 祝詞のりと歌や輝青絹きせいけんという目を惹くものがあり、更に凛花の機転もあって祭りは問題なく済んだ。しかし何かひとつでも欠けていれば、星祭は花輪を奉納ほうのうできずに失敗。皇帝の面子めんつを潰し、威信を汚すことになっていたと、弦月妃は宮廷で非難された。
 そんな弦月妃は現在謹慎中だ。
 処分自体は甘いが、『皇帝より謹慎を命じる』と公の場で決定が下されたことは、その内容よりも大きな意味を持つ。それに気位の高い弦月妃にとって、下位の者が持ち上げられ、自分が処分を受けるこの状況は屈辱だろう。
 それでも、この程度の処分で済んだのは、弦月妃を推す董家派の宦官たちの介入があったからだ。その影響力は強く、表側――政の世界にも及んでいる。
 弦月妃があのような浅慮を犯したのは、最下位の朔月妃だけを寵愛する皇帝に問題があると、そう囁く声もあるくらいだ。たしかに、それも後宮の価値観として間違っていない。だからこそ耳が痛い紫曄は、甘い処分を下すしかなかったのだ。
 そして、その微妙な力関係を崩さないためか、または崩せないからか、星祭で評価を上げた凛花もいまだ朔月妃のままでいる。
 けれども朔月宮に仕える者から、不満の声は聞かれない。
 それどころか、これまで何かと不遇ふぐうを強いられてきたので、朔月宮の皆は機嫌がいい。主が褒められ評価されることは、仕える者たちの評価にも繋がるからだ。それと、自分たちを大事にしてくれる凛花を慕っているから、弦月妃が処分を受けたことで『ざまあみろ』と留飲りゅういんが下がったこともある。

(でも、皆に負担を掛けているのは変わらないのよね。なんとか朔月妃に与えられる予算が増えて、人を増やせたらいいんだけど……)

 朔月宮もだが、小花園に回す専任の宮女もほしいところだ。今年は既に配属が決まり、新たに雇い入れる予算もないので増やせるとしたら来年だ。期待したい。

(――だから天星花てんせいかつるだって、利用できるものは使って節約したいのよね!)

 凛花は思案を止め、手にしたつるの検分をはじめた。
 かごは後宮でも市街でも、日常生活のあちらこちらで使われるものだ。厨房ちゅうぼうで、針子部屋で、掃除や庭の手入れ、小花園でも様々な場面で使用され、古くなったものは新しいものに取り換えられていく。

「うん。これならいいかごが作れそう」

 故郷の雲蛍州でも同じようにかごを使っていた。
 簡単なものなら編める凛花は、かごを作る上で適しているつるのことも分かる。畑仲間だったかご作り名人に教わったことは忘れていない。

「よかったです! それでは荷車に載せ、朔月宮に運ぶ手配をいたしますね」
「ええ。よろしくね、麗麗。約束した通り、報酬も出すからって伝えてね」
「かしこまりました。現物支給でも皆よろこぶと思います!」

 周りの宮女たちも嬉しそうな顔を見せる。小花園担当の彼女たちも、つる細工ができる者が多いからだ。

「凛花さま。現物支給とはどういうことだ?」

 話を聞いていた朱歌が不思議そうな顔をした。

「ここで収穫した薬草で作るものを、手伝ってくれた宮女たちに渡すのです。お茶や手荒れ用の軟膏なんこう、美容液、入浴剤などですね」

 薬はやはり診察しなければ簡単には渡せない。薬は毒にもなり得るものだからだ。
 今回の現物支給は、栽培、収穫したのはいいが、譲る先のない薬草のいい使い道になる。それに凛花はこの先、後宮の医局か、神月殿へおろす交渉をしたいと思っている。
 薬草の品質も確かめたいし、様々な利用方法を探っていきたい。今回の支給は、使い道の具体案として、いい実績作りにもなるだろう。じつは一石二鳥だ。

「まあ。わたくしも自分が摘んだ花から作られるものに興味がありますわ。凛花さま。よろしければ、わたくしにも分けてください。ああ、それならもっと沢山摘まなければなりませんね!」
「私も興味があるな。よし、うちの者たちはまず麗麗を手伝おう。一人であのつるを運ぶのは大変だ」

 霜珠も朱歌もそんなことを言い、疲れを見せずワクワクした顔で次の仕事を探す。

「ええ。作ったものは本日のお礼として、後日お持ちしますね!」

 後宮は広いが、月妃は基本的に出歩かないもの。普段訪れることのない小花園での土仕事が、二人とも楽しくて仕方ないという感じだ。

「えっと、それでは――」
「凛花!」

 小花園の入り口に人影が見える。紫曄たちだ。

「えっ、もういらっしゃったんですか!?」
「おお、紫曄さまか」
「まあ、本当に主上まで」

 朱歌はにっかり笑い、霜珠は驚きで目を瞬いた。本来ならば、紫曄以外の男性は入ることができない後宮だが本日は特別だ。朔月宮への出入りを許されている、雪嵐せつらん晴嵐せいらん黄老師こうろうし兎杜ととも小花園へ立ち入る許可が出た。というか、紫曄が出した。
「小花園は朔月妃、凛花が管理する場所だ。ということは、朔月宮の延長のようなもの」と言い、彼らも小花園の『仕舞い準備会』に参加することになったのだ。

「待たせたな。凛花」
「いいえ、主上。早いくらいです! あの、皆様お仕事は大丈夫なのですか……?」

 紫曄たち男性陣は、朝議を終え、急ぎの仕事を片付けてから来ると言っていた。
 きっと昼頃からの参加になると思っていたのだが、まだ午前中もいいところ。凛花が紫曄の後ろを窺うと、苦笑しつつ双嵐が頷いた。
 老師と兎杜は既に辺りに生えている薬草を観察している。
 紫曄をはじめ、双嵐も今日はいつもと違う装いだ。小花園での作業用に装飾を廃した気軽な衣装で、彼らにしてみれば部屋着以下の装いだろうが、畑仕事にはぴったりだ。老師と兎杜も、山歩きをする曽祖父と曽孫といった出で立ちで、兎杜はなんだかいつもより可愛らしい。
 とはいえ、皇帝は皇帝。紫曄の来訪に、小花園付きの宮女たちは作業を止めてひざまずいた。皆は紫曄を間近にするのは初めてのこと。
 しかも、側近付きだ。通常であれば同じ空間にいるはずのない男性たちを前にして、伏せた顔が強張ってしまっている。

「よい。皆、顔を上げて仕事を続けてくれ」

 そう言われても、宮女たちは顔を上げるどころか立ち上がることもできない。
 だが、紫曄にある程度慣れている麗麗、明明、朱歌の侍女じじょたちは瞬時に立ち顔を上げた。霜珠と侍女じじょたちは恐る恐る続く。

「皆、主上のおっしゃる通りにしてください」
「そうだぞ。今日の我らは皆似たような格好だ。皇帝も月妃も区別などつかないさ。私が暁月妃に見えるか?」

 朱歌は無造作に結い上げた赤金色の髪を揺らし告げる。
 細袴の足下はすでに泥だらけだ。

「うふふ! そうですわね。さあさあ、凛花さま。次の仕事をくださいませ」

 霜珠はかぶった笠の顎紐をきゅっと結び直す。色の白い彼女は日に当たりすぎると肌が真っ赤になってしまうらしい。

「ええ。それでは麗麗、明明、『仕舞い準備会』の作業計画図を頂戴!」
「はいっ! こちらです」

 男手も加われば更に作業は捗る。手を付けられていなかった箇所も、きっと今日中に目途がつくまでにはなるはずだ。理想の小花園に早く近付けたい。凛花も意気込み日除けの笠をかぶり直すと、大きな作業計画図を広げた。

「それでは主上、皆さま。こちらをご覧ください。収穫、準備が済んだ区画には朱で丸を付けてあります」

 以前、弦月妃から植栽図しょくさいずを参考にして、『朔月妃・凛花の小花園』の植栽図しょくさいずを新たに作った。この作業図は、大まかな畑の形、区画を描いた基本図だ。同じものを何枚も作ってあるので、これから季節ごと、その時々の畑の様子を記録していく予定になっている。

(手に入れたあの植栽図しょくさいずは、大昔の望月妃が残したものだった。あれがなかったら、まだ小花園は調査中で、私は手掛かりの一つも手にしていなかったかもしれない)

 だから、凛花は思ったのだ。
 もしも先の世に、この植栽図しょくさいずを必要とする公子や公主が生まれた時のため、『雲蛍州の薬草姫』『朔月妃・虞凛花』の名で新たに書き残しておかなければならないと。

(同じ虎化に悩む者じゃなくても、薬草を必要とする人々や、後宮の薬師が役立ててくれてもいい。だって、この小花園は立派な薬草園だもの)

 商売人ではない、後宮の月妃だからこそ、できることがあるのではとも思うのだ。

「――さま、凛花さま! 大丈夫ですか? 日差しがお強かったのではありませんか?」
「あっ、ごめんなさい。ちょっと考えてしまっただけよ」

 麗麗が心配そうに凛花を覗き込み、さりげなくその体で日陰を作る。

「ありがとう、麗麗」

 説明途中でつい思いにふけってしまった。沢山の人手があると言っても、今日中にやってしまいたいことはまだまだ残っている。

「まずは麗麗と暁月宮の皆様にはつるの片付けをお願いします。それが済んだら、こちらの剪定せんていをお願いいたします。細かい棘があるので気を付けてくださいね」
「任せてくれ。うちの子たちならあっという間だよ」

 頷いた朱歌と侍女じじょたちは、露出している首に手拭いを巻き、革手袋をはめ手際よく準備を始める。

「次に明明と薄月宮の皆様は、こちらの畑の植え替えをお願いいたします。肥料や苗の場所は明明が存じております。あ、球根はあちらの小屋に運び入れておいてください」
「承知しました。うふふ! まずは掘り返して耕さなければいけませんわね。皆、頑張りましょう!」

 霜珠は侍女じじょたちを振り返り見上げる。さっそく倉庫に向かう侍女じじょもいて頼もしい限りだ。

「小花園付きの皆は残っている草刈りと、毒草区画をお願い」
「はい! お任せくださいませ」
「特に危険な薬草は、いつもお世話してくれている皆にしかお願いできないわ。くれぐれも肌の露出には気を付けてね。口覆いも忘れずに。あと何かあったら遠慮せず、すぐに私を呼ぶのよ?」
「かしこまりました。朔月妃さま」

 上手く使えば毒は薬になり、逆に薬も毒になる。
 凛花には、昔から薬草を特産としてきた雲蛍州の知識がある。そして今は、薬草と神仙の研究者である黄という師もいる。だから、小花園に残されていた毒草も活用しようと決めた。幸いここには、正しい知識と目的、意欲のある者が揃っている。明明を筆頭に、小花園付きの宮女たちは随分と薬草に詳しくなった。希少な毒草の世話は、様々な意味で信頼しているからこそ頼める仕事だ。
 そして毒草も扱える資質を備えた彼女たちもまた、凛花にとって希少な人材。
 だから毒草区画の作業前には、凛花は毎回、こうして念を押し注意を伝えている。彼女たちに事故や怪我がありませんように、そんな祈りも籠めて。

「それでは最後……水路の手入れをしたい方はいらっしゃいますか?」

 凛花はちらりと男性陣を見た。
「水遊びか!」と喜び手を上げたのは、予想通り晴嵐だった。雪嵐の手も掴み、一緒に上げている。秋の訪れを感じるといっても、昼間の日差しはまだ強い。しかも遮るもののない畑は想像以上に暑い。水路と聞いて、畑にいるよりも涼しいと踏んだのだろう。
 だが水路はなかなかの曲者くせものだ。水量が豊富なので、流れが強い場所もあり、手入れは大変な作業になるだろう。少なくとも、水遊びを楽しみながらとはいかないはずだ。道連れにされた雪嵐は気の毒に……と凛花はこっそり思う。

「ふふ! では晴嵐さまと雪嵐さまにお願いいたします。水路は小花園をぐるっと一周し、各区画に流れ込むようになっております。手入れのやり方は――麗麗! つるの片付けが済んだら、双嵐のお二人に水路の手入れ手順を教えてあげてくれる? 朱歌さま、申し訳ないのですが……」
「心配いらないよ。つる剪定せんていも我らだけで大丈夫だ。麗麗は双嵐に貸してやろう」

 ふふん、と笑う朱歌と双子たちは幼馴染らしい空気だ。

「ありがとうございます。朱歌」
「あっという間に済ませてやるぜ」


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