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笑うウイルス
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20XX年、元日の早朝。
西園寺は、民自党内の年始挨拶の原稿を見直すため、大晦日の党内納会を早々に切り上げ、官邸に泊まり込んでいた。
昨年の夏ごろから始まった国内の異常な状況に振り回されていたのだ。
激しいドアノックと同時に、総理執務室へ秘書官が駆け込んできた。
「西園寺総理、大変です。また新たな変異ウイルスが発見されました」
「なんだなんだ、早朝から騒がしいな、なに?また変異ウイルスだと?今度はいったいどんな症状だというのだ」
「このウイルスに感染すると笑いが止まらなくなるそうです」
「笑いが止まらないだと?全くふざけたウイルスだな。正月早々いったいどうなっているのだ…」
このことは、またもや全てのTV局、ラジオ局を通し、緊急速報として一斉に放送された。
今回の発見で、変異ウイルス数は12種となっていた。
この奇妙な症状を示すウイルス騒動は、西園寺が半年前に総理に就任後、暫くして始まったが、原因が皆目見当つかず対策も全く見出せていなかった。
また、感染者数は、なんと国内総人口の5%にも達していた。
この数は、総人口が1億2000万人とすると、600万人が感染したことになる。
対策が見出せないまま、このままの勢いが続けば、やがて1000万人、2000万人と増え、西園寺政権が音を立てて崩れ去るのは火を見るより明らかだった。
いや、どんな政権が立とうがこのままではどうにもならないのだ。
とにかく早急な対策と原因を見つけ出すことが急務であった。
遡ること半年前。
街を歩けば高齢者に当たると言われるこの時代、少子高齢化にも歯止めがかからず、経済回復策は万作尽きて、国民の不満は与党である民自党政権に向いていた。
民自党はまさにそのあおりを受け、時の総裁は任期を残したまま失脚したため、解散総選挙へと追い込まれた。
しかしながら、野党もこの機会を逃さず、なんとか与党になるべく画策はしたものの、野党全体をまとめる求心力のある強い勢力がなく、ばらばらに蠢いたため、結局は民自党が再び政権を立て直して、半世紀以上保った政権を交代という屈辱から免れることができた。
だが、なんとか保てた民自党内でも、次期総理総裁選びは困難を極めていた。各派閥の長老たちは、なんとか派閥争いを避け、国民受けする候補に一本化し、この難局を乗り切るべく裏工作に没頭していた。
そんな折、同党内で無派閥ながら、とても国民に人気のある若手の西園寺が、『日本を大改革しよう!その実現に向けては国民のアイデアを全て採用します』と、耳触りの良い公約を掲げ立候補したものだから、国民は西園寺支持で沸き立っていた。
候補者の一本化案を反故にされた派閥の長老達の怒りは収まらず、調子に乗った若造に飴でも与えて、幕引きを図ろうと西園寺を呼び出した。
だが、西園寺は、用意された幹事長のポストを蹴り、逆に「国民の不満が渦巻く中で、この国を引っ張るのに国民からの支持の高い私以外に誰がいるのですか。私以外に候補がいるなら、今すぐここに連れてきて下さい」と強気に捲し立てた。
長老達は、勢いのある西園寺を外すことは得策ではないと判断し、苦々しく思いながらも新総理として指名せざるを得なかった。
新総理誕生の1ヶ月後、国会中に奇妙な行動で審議を惑わす議員が現れ始めていた。
TV中継中にも係わらず、国会の場で急に身体が楽になったと大あくびを繰り返し、無気力感を漂わせたり、更には突然立ち上がり歌いだすという奇行に走る議員も出始め、国会は空転状態となっていた。
当然ながら、国民の新政権への風当たりは相当に強く、西園寺総理の評価は止めどなく下がる一方だった。
そもそもこの騒動は、『富士の樹海の湧水で点てた美味い珈琲をあなたに!』と謳った都内のコーヒーチェーン店に端を発していた。
その水で煎れたコーヒーを飲むと、なぜか身体が『楽になる』というので、この奇妙な症状の噂がSNS等で拡散し、一度体験してみたいと日本中から男女を問わずお年寄り達が押し寄せ、都内には好景気の兆しすらみられた。
国会議員達がよく行く永田町界隈のコーヒー店でも同じ様相を呈していた。
やがてニュースで取り上げられると、怪しげな学者やどこからともなく突然現れた専門家と称する輩たちが、温暖化による極地氷解説、某大国の細菌兵器説、果ては宇宙人襲来説、地底人陰謀説などを唱え、世の中は大いに盛り上がっていた。
西園寺は焦っていた。このままでは、やっと手に入れた総理の座を失いかねないからだ。
頭を抱える西園寺に、補佐官らが助言した。最先端のAIに、原因を推論させてはどうかと。
藁にも縋りたい西園寺としては、さっそく某国立大学が誇る最新のAIに推論させた結果、なんとウイルス説を強く示唆したではないか。
「なんだこれは!そんな馬鹿な…ウイルスだと?熱や咳も無いというのにか」
西園寺の読みは大きく外れた。
この事象が新種の覚醒剤などによるテロなら、我政権は決してテロに屈しないことを強くアピールし、国民の評価を変える大きなチャンスと考えていたからだ。
思惑は外れたが、すぐに、新型ウイルス対策本部を立上げ、対応の早さを国民にアピールすることには成功したのだった。
「それにしても奇妙だな。いいか、ほんとにウイルスなら、なんとしても発生源を早急にみつけ、感染拡大を抑え込むのだ」
対策本部から次々と指示を出す西園寺をTV局は一斉に報じた。
そのニュースを見ながら秘書官がほくそ笑んだ。
「西園寺総理、早い対応でテキパキと指示する姿は、かなりの高ポイントですよ。国民の支持率をなんとか回復させることができそうですな」
「ふん、そうか。これで上手く収まれば、新政権は長期安泰なんだがな」と、余裕のある笑いを浮かべ、久しぶりにシガーケースから葉巻を取り出し、美味そうに煙を燻らせた。
だが、このウイルス騒動はそんな甘いものではなかった。
『楽になる、歌いたくなる』症状を皮切りに、新たに『回転したくなる』、『怒鳴りたくなる』、『逃げたくなる』、『走りたくなる』、『不満を言いたくなる』、『苦言を言いたくなる』、『緊張する』、『食べたくなる』、『ルンルン気分になる』といった奇妙な症状が、関東から日本中に拡がり日本各地から次々と報告されていたのだ。
一方、国立感染症センターでも昼夜問わずの早急な調査を行った結果、AI推論を裏付ける未知のウイルスが遂に発見されたのだった。
感染方法は飛沫感染、口や鼻のみならず目からも感染することが分かった。症状は現在11種の奇妙な症状のみで、命に別条はなく、熱、咳、痛み等もなく、再感染を防ぐ抗体が作られないことも分かった。
また、日本医師会でも対応策を検討したが、命に別状がなく、奇妙な行動のみでは病気とは言い難く、しかも飲む薬も付ける薬もない現状では、残念ながら医療としての対応策は何もないと結論づけた。
更には、感染は日本人のみ、症状は同時多発的に出現することも分かってきた。
つまり、回転しつつ怒鳴りながら歌う、不満を言いつつルンルン気分になるといった、全く奇妙奇天烈な行動をとるといったような、複数のウイルスに同時感染したとしか思えない複合的なパターンが増え続けていた。
そして困ったことに、この奇妙な行動が増えるに連れ、この面白行動を積極的に見世物にして儲けようとする人々が現れ始めていたのだ。
その様子がTVやネット等で紹介されると、自分達には感染しないと知った外国人観光客が押し寄せ、皮肉なことに日本は空前の好景気を迎えることとなったのだった。
思わぬ好景気は西園寺政権にとっては棚からボタ餅的な大きなプラス要因だが、悲壮感が無いとはいえ、発生源も対応策も不明では喜ぶわけにはいかなかった。
また、有識者に検討させていた感染拡大防止策についても結論が出た。
浮上した防止策案は3つ。
①全国民外出禁止令案
二度と無い好景気の今、強行すれば暴動が起きることは明らかで没。
②目、口、鼻からの感染を防止する本人の顔型で作ったお面型のマスク案
老若男女問わず短期間の実証実験を行ったところ、下記のような問題点続出のため没
・お面の方がちょっと美形なため、お面を一生つけたままにしたい(女性)
・ほんとの顔とお面の顔とどっちが本物か区別がつかず精神に異常(幼児)
・他人のお面を被ったなりすまし犯罪多発
・何が真実か分からなくなった(出会い系サイト)
・このマスクが出回ったら倒産するとのクレーム(全ての化粧品メーカー)
③懸賞金付きワクチン開発案
弱みに付け込み、裏から懸賞金値上げを要求する国や製薬会社が多すぎて没。
正月が間近に迫る中、効果的な感染防止策を見出すことはできていなかった。
西園寺は、総理執務室で肘掛椅子に深く座り、大都会に沈む夕日を焦点の合わない虚ろな目で静かに見詰め呟いた。
「ふう…疲れた。…政権どころではないな。日本はいったい…どうなっていくのだ」
秘書官は押し黙り、うつむいたままそっと総理執務室を後にした。
ここは、富士山麓にある廃墟と化した某製薬会社の跡地。
元日の朝、ニュースで、新たに『笑う』ウイルス発見の速報が流れていた。
大角は、ソファにもたれ煙草をくゆらせながら、満足げな笑いを浮かべた。
「ふっ、思いどおりの展開になったな」
「大角博士、おめでとうございます。遂に望みが叶うときがきましたな」と、助手の栄田が色めきたっていた。
大角は、遺伝子工学界の天才と謳われながら、奇天烈なウイルス論を発表したため、学会内から白い目で見られ、いつしか世間からも忘れ去られ、この地にいたのだった。
その論文とは、忌み嫌われるウイルスも使いようによっては、国を救うことができるという、突拍子もないことを論じたものだった。
「私達は、救世主として歴史に名を残すことになるのですね。しかも一人の命も落とすこと無く…素晴らしい!」
「そういうことだ。しかも世界には迷惑をかけずに、私の読みどおり国内では好景気を迎えたのだから、誰にも文句を言わせない」
「博士、それにしても、ウイルスを富士山麓の湧水に混入させるとは良いアイデアを考えましたな」
「皆が勝手に湧水を持帰るのだから、手間が省けるというものだよ。さてと『笑う』ウイルスもそろそろ広まったころだな。よし、TVで発表するぞ」
「お任せ下さい。準備は万端です。西園寺は私達にひれ伏しますよ、ひっひっひっ」
「ふっふっふっ、はっはっはっ」
大角は、世間を見返すことができる喜びに笑いを抑えきれなかった。
栄田は、TV局に潜伏させている同志に、予定どおり、お昼のニュース番組に電波ジャックするよう打診した。
国民は、突然の電波ジャックに驚愕しつつも、TV画面に釘付けとなった。
大角は、マイクを片手に淡々と語った。
①不景気な日本を救うため、半年前から11種の特殊なウイルスをばら撒いてきた結果、日本は好景気を迎えていること。
②本日、これらのウイルスを消滅させる『笑う』ウイルスをばら撒き、この壮大な計画を終焉させること。
③今後は、このウイルスを国の為に使えるよう西園寺政権は公約どおり採用し、それに値する報酬を私に払うこと。
目と耳を疑うような内容だった。
発表後、TV局や政府、警察に問合せや苦情の電話が殺到したことは言うまでもないだろう。
元日の夕刻、総理執務室に秘書官が駆け込んできた。
「総理、総理、大変です!」
「なんだなんだ、今度は、どうしたというのだ」
「感染者が…感染者が減っているんです」
「なんだと、それじゃ『笑う』ウイルスの話は本当だったというのか」
「はい、笑った後、全ての症状が嘘のように消えていっています。ですが、…ですが、何か変なんです」
― エピローグ ―
なぜ、大角はこのような暴挙に走ったのか。
それは、小手先の政策では、もはやどうにもならないこの国の現状を憂い、学会は認めなかったが、西園寺政権なら国を改革するのに公約どおり使ってくれると信じ、このウイルス計画を提案したのだった。
だが、西園寺政権は、何度も打診し資料を送りつけても、話すら聞いてはくれなかった。
大角の怒りは頂点に達し、それならと、ウイルスを自由に操れる技術を誇示せんがため、この計画を実行したのだった。
前述した11種の症状の頭文字を並べると、実は「らうかどにはふくきたる」となる。
そしてそこに『笑う』の『わ』を付けると『笑う門には福来る』となるのだ。
正月早々、この語呂合わせを使い、笑いで経済を回復させようと大いに洒落たつもりだったが、神はそんな暴挙をお許しにはなるはずがなかった。
大角が密かに行った実験では、11種の症状を示すウイルスの中の一つ、または複数のウイルスで感染させ増殖したヒトの細胞に、『笑う』ウイルスを混入させると、感染していた細胞が全て正常に戻り、11種のウイルスは予定どおり全て死滅していた。
更に、感染後に作られた抗体により、一度感染したヒト細胞には再感染せず、また、日本人特有の遺伝子を持つ細胞にしか感染しないことも確認していた。
だが、自然界に放たれたウイルスは、実験とは異なる振る舞いを見せたのだ。
なんと、ウイルスたちは自ら生き残る道を探り、細胞内に抗体を作らせないウイルスを登場させたのだ。
つまり抗体を作らない『笑う』ウイルスに感染したヒト細胞を持つ身体は、何度でも何種類でも際限なく感染するため、感染者数は減少どころか逆に増加の一途をたどっていた。
その結果、ウイルス由来ではなく、異常な行動による交通事故や転落事故、暴動などで亡くなるケースが増えていたのだ。
更にまずいことには、日本人以外にも感染するよう変異しており、じわじわと海外へも拡がり始めていた…。
「栄田君、どうも昨日から、肩が楽になったかと思うと、急に緊張して痛くなったりするのだが、変だな。それはそうと、最近、君の煎れる珈琲は格別に旨いな。豆を変えたのかね」
「そんなに旨いですか。そりゃあ良かった。いえね、気分転換にこの製薬跡地にある井戸の湧水を使ってみたのですよ。ルンルン」
「…栄田君」
「えっ?…あああああっ」
完
西園寺は、民自党内の年始挨拶の原稿を見直すため、大晦日の党内納会を早々に切り上げ、官邸に泊まり込んでいた。
昨年の夏ごろから始まった国内の異常な状況に振り回されていたのだ。
激しいドアノックと同時に、総理執務室へ秘書官が駆け込んできた。
「西園寺総理、大変です。また新たな変異ウイルスが発見されました」
「なんだなんだ、早朝から騒がしいな、なに?また変異ウイルスだと?今度はいったいどんな症状だというのだ」
「このウイルスに感染すると笑いが止まらなくなるそうです」
「笑いが止まらないだと?全くふざけたウイルスだな。正月早々いったいどうなっているのだ…」
このことは、またもや全てのTV局、ラジオ局を通し、緊急速報として一斉に放送された。
今回の発見で、変異ウイルス数は12種となっていた。
この奇妙な症状を示すウイルス騒動は、西園寺が半年前に総理に就任後、暫くして始まったが、原因が皆目見当つかず対策も全く見出せていなかった。
また、感染者数は、なんと国内総人口の5%にも達していた。
この数は、総人口が1億2000万人とすると、600万人が感染したことになる。
対策が見出せないまま、このままの勢いが続けば、やがて1000万人、2000万人と増え、西園寺政権が音を立てて崩れ去るのは火を見るより明らかだった。
いや、どんな政権が立とうがこのままではどうにもならないのだ。
とにかく早急な対策と原因を見つけ出すことが急務であった。
遡ること半年前。
街を歩けば高齢者に当たると言われるこの時代、少子高齢化にも歯止めがかからず、経済回復策は万作尽きて、国民の不満は与党である民自党政権に向いていた。
民自党はまさにそのあおりを受け、時の総裁は任期を残したまま失脚したため、解散総選挙へと追い込まれた。
しかしながら、野党もこの機会を逃さず、なんとか与党になるべく画策はしたものの、野党全体をまとめる求心力のある強い勢力がなく、ばらばらに蠢いたため、結局は民自党が再び政権を立て直して、半世紀以上保った政権を交代という屈辱から免れることができた。
だが、なんとか保てた民自党内でも、次期総理総裁選びは困難を極めていた。各派閥の長老たちは、なんとか派閥争いを避け、国民受けする候補に一本化し、この難局を乗り切るべく裏工作に没頭していた。
そんな折、同党内で無派閥ながら、とても国民に人気のある若手の西園寺が、『日本を大改革しよう!その実現に向けては国民のアイデアを全て採用します』と、耳触りの良い公約を掲げ立候補したものだから、国民は西園寺支持で沸き立っていた。
候補者の一本化案を反故にされた派閥の長老達の怒りは収まらず、調子に乗った若造に飴でも与えて、幕引きを図ろうと西園寺を呼び出した。
だが、西園寺は、用意された幹事長のポストを蹴り、逆に「国民の不満が渦巻く中で、この国を引っ張るのに国民からの支持の高い私以外に誰がいるのですか。私以外に候補がいるなら、今すぐここに連れてきて下さい」と強気に捲し立てた。
長老達は、勢いのある西園寺を外すことは得策ではないと判断し、苦々しく思いながらも新総理として指名せざるを得なかった。
新総理誕生の1ヶ月後、国会中に奇妙な行動で審議を惑わす議員が現れ始めていた。
TV中継中にも係わらず、国会の場で急に身体が楽になったと大あくびを繰り返し、無気力感を漂わせたり、更には突然立ち上がり歌いだすという奇行に走る議員も出始め、国会は空転状態となっていた。
当然ながら、国民の新政権への風当たりは相当に強く、西園寺総理の評価は止めどなく下がる一方だった。
そもそもこの騒動は、『富士の樹海の湧水で点てた美味い珈琲をあなたに!』と謳った都内のコーヒーチェーン店に端を発していた。
その水で煎れたコーヒーを飲むと、なぜか身体が『楽になる』というので、この奇妙な症状の噂がSNS等で拡散し、一度体験してみたいと日本中から男女を問わずお年寄り達が押し寄せ、都内には好景気の兆しすらみられた。
国会議員達がよく行く永田町界隈のコーヒー店でも同じ様相を呈していた。
やがてニュースで取り上げられると、怪しげな学者やどこからともなく突然現れた専門家と称する輩たちが、温暖化による極地氷解説、某大国の細菌兵器説、果ては宇宙人襲来説、地底人陰謀説などを唱え、世の中は大いに盛り上がっていた。
西園寺は焦っていた。このままでは、やっと手に入れた総理の座を失いかねないからだ。
頭を抱える西園寺に、補佐官らが助言した。最先端のAIに、原因を推論させてはどうかと。
藁にも縋りたい西園寺としては、さっそく某国立大学が誇る最新のAIに推論させた結果、なんとウイルス説を強く示唆したではないか。
「なんだこれは!そんな馬鹿な…ウイルスだと?熱や咳も無いというのにか」
西園寺の読みは大きく外れた。
この事象が新種の覚醒剤などによるテロなら、我政権は決してテロに屈しないことを強くアピールし、国民の評価を変える大きなチャンスと考えていたからだ。
思惑は外れたが、すぐに、新型ウイルス対策本部を立上げ、対応の早さを国民にアピールすることには成功したのだった。
「それにしても奇妙だな。いいか、ほんとにウイルスなら、なんとしても発生源を早急にみつけ、感染拡大を抑え込むのだ」
対策本部から次々と指示を出す西園寺をTV局は一斉に報じた。
そのニュースを見ながら秘書官がほくそ笑んだ。
「西園寺総理、早い対応でテキパキと指示する姿は、かなりの高ポイントですよ。国民の支持率をなんとか回復させることができそうですな」
「ふん、そうか。これで上手く収まれば、新政権は長期安泰なんだがな」と、余裕のある笑いを浮かべ、久しぶりにシガーケースから葉巻を取り出し、美味そうに煙を燻らせた。
だが、このウイルス騒動はそんな甘いものではなかった。
『楽になる、歌いたくなる』症状を皮切りに、新たに『回転したくなる』、『怒鳴りたくなる』、『逃げたくなる』、『走りたくなる』、『不満を言いたくなる』、『苦言を言いたくなる』、『緊張する』、『食べたくなる』、『ルンルン気分になる』といった奇妙な症状が、関東から日本中に拡がり日本各地から次々と報告されていたのだ。
一方、国立感染症センターでも昼夜問わずの早急な調査を行った結果、AI推論を裏付ける未知のウイルスが遂に発見されたのだった。
感染方法は飛沫感染、口や鼻のみならず目からも感染することが分かった。症状は現在11種の奇妙な症状のみで、命に別条はなく、熱、咳、痛み等もなく、再感染を防ぐ抗体が作られないことも分かった。
また、日本医師会でも対応策を検討したが、命に別状がなく、奇妙な行動のみでは病気とは言い難く、しかも飲む薬も付ける薬もない現状では、残念ながら医療としての対応策は何もないと結論づけた。
更には、感染は日本人のみ、症状は同時多発的に出現することも分かってきた。
つまり、回転しつつ怒鳴りながら歌う、不満を言いつつルンルン気分になるといった、全く奇妙奇天烈な行動をとるといったような、複数のウイルスに同時感染したとしか思えない複合的なパターンが増え続けていた。
そして困ったことに、この奇妙な行動が増えるに連れ、この面白行動を積極的に見世物にして儲けようとする人々が現れ始めていたのだ。
その様子がTVやネット等で紹介されると、自分達には感染しないと知った外国人観光客が押し寄せ、皮肉なことに日本は空前の好景気を迎えることとなったのだった。
思わぬ好景気は西園寺政権にとっては棚からボタ餅的な大きなプラス要因だが、悲壮感が無いとはいえ、発生源も対応策も不明では喜ぶわけにはいかなかった。
また、有識者に検討させていた感染拡大防止策についても結論が出た。
浮上した防止策案は3つ。
①全国民外出禁止令案
二度と無い好景気の今、強行すれば暴動が起きることは明らかで没。
②目、口、鼻からの感染を防止する本人の顔型で作ったお面型のマスク案
老若男女問わず短期間の実証実験を行ったところ、下記のような問題点続出のため没
・お面の方がちょっと美形なため、お面を一生つけたままにしたい(女性)
・ほんとの顔とお面の顔とどっちが本物か区別がつかず精神に異常(幼児)
・他人のお面を被ったなりすまし犯罪多発
・何が真実か分からなくなった(出会い系サイト)
・このマスクが出回ったら倒産するとのクレーム(全ての化粧品メーカー)
③懸賞金付きワクチン開発案
弱みに付け込み、裏から懸賞金値上げを要求する国や製薬会社が多すぎて没。
正月が間近に迫る中、効果的な感染防止策を見出すことはできていなかった。
西園寺は、総理執務室で肘掛椅子に深く座り、大都会に沈む夕日を焦点の合わない虚ろな目で静かに見詰め呟いた。
「ふう…疲れた。…政権どころではないな。日本はいったい…どうなっていくのだ」
秘書官は押し黙り、うつむいたままそっと総理執務室を後にした。
ここは、富士山麓にある廃墟と化した某製薬会社の跡地。
元日の朝、ニュースで、新たに『笑う』ウイルス発見の速報が流れていた。
大角は、ソファにもたれ煙草をくゆらせながら、満足げな笑いを浮かべた。
「ふっ、思いどおりの展開になったな」
「大角博士、おめでとうございます。遂に望みが叶うときがきましたな」と、助手の栄田が色めきたっていた。
大角は、遺伝子工学界の天才と謳われながら、奇天烈なウイルス論を発表したため、学会内から白い目で見られ、いつしか世間からも忘れ去られ、この地にいたのだった。
その論文とは、忌み嫌われるウイルスも使いようによっては、国を救うことができるという、突拍子もないことを論じたものだった。
「私達は、救世主として歴史に名を残すことになるのですね。しかも一人の命も落とすこと無く…素晴らしい!」
「そういうことだ。しかも世界には迷惑をかけずに、私の読みどおり国内では好景気を迎えたのだから、誰にも文句を言わせない」
「博士、それにしても、ウイルスを富士山麓の湧水に混入させるとは良いアイデアを考えましたな」
「皆が勝手に湧水を持帰るのだから、手間が省けるというものだよ。さてと『笑う』ウイルスもそろそろ広まったころだな。よし、TVで発表するぞ」
「お任せ下さい。準備は万端です。西園寺は私達にひれ伏しますよ、ひっひっひっ」
「ふっふっふっ、はっはっはっ」
大角は、世間を見返すことができる喜びに笑いを抑えきれなかった。
栄田は、TV局に潜伏させている同志に、予定どおり、お昼のニュース番組に電波ジャックするよう打診した。
国民は、突然の電波ジャックに驚愕しつつも、TV画面に釘付けとなった。
大角は、マイクを片手に淡々と語った。
①不景気な日本を救うため、半年前から11種の特殊なウイルスをばら撒いてきた結果、日本は好景気を迎えていること。
②本日、これらのウイルスを消滅させる『笑う』ウイルスをばら撒き、この壮大な計画を終焉させること。
③今後は、このウイルスを国の為に使えるよう西園寺政権は公約どおり採用し、それに値する報酬を私に払うこと。
目と耳を疑うような内容だった。
発表後、TV局や政府、警察に問合せや苦情の電話が殺到したことは言うまでもないだろう。
元日の夕刻、総理執務室に秘書官が駆け込んできた。
「総理、総理、大変です!」
「なんだなんだ、今度は、どうしたというのだ」
「感染者が…感染者が減っているんです」
「なんだと、それじゃ『笑う』ウイルスの話は本当だったというのか」
「はい、笑った後、全ての症状が嘘のように消えていっています。ですが、…ですが、何か変なんです」
― エピローグ ―
なぜ、大角はこのような暴挙に走ったのか。
それは、小手先の政策では、もはやどうにもならないこの国の現状を憂い、学会は認めなかったが、西園寺政権なら国を改革するのに公約どおり使ってくれると信じ、このウイルス計画を提案したのだった。
だが、西園寺政権は、何度も打診し資料を送りつけても、話すら聞いてはくれなかった。
大角の怒りは頂点に達し、それならと、ウイルスを自由に操れる技術を誇示せんがため、この計画を実行したのだった。
前述した11種の症状の頭文字を並べると、実は「らうかどにはふくきたる」となる。
そしてそこに『笑う』の『わ』を付けると『笑う門には福来る』となるのだ。
正月早々、この語呂合わせを使い、笑いで経済を回復させようと大いに洒落たつもりだったが、神はそんな暴挙をお許しにはなるはずがなかった。
大角が密かに行った実験では、11種の症状を示すウイルスの中の一つ、または複数のウイルスで感染させ増殖したヒトの細胞に、『笑う』ウイルスを混入させると、感染していた細胞が全て正常に戻り、11種のウイルスは予定どおり全て死滅していた。
更に、感染後に作られた抗体により、一度感染したヒト細胞には再感染せず、また、日本人特有の遺伝子を持つ細胞にしか感染しないことも確認していた。
だが、自然界に放たれたウイルスは、実験とは異なる振る舞いを見せたのだ。
なんと、ウイルスたちは自ら生き残る道を探り、細胞内に抗体を作らせないウイルスを登場させたのだ。
つまり抗体を作らない『笑う』ウイルスに感染したヒト細胞を持つ身体は、何度でも何種類でも際限なく感染するため、感染者数は減少どころか逆に増加の一途をたどっていた。
その結果、ウイルス由来ではなく、異常な行動による交通事故や転落事故、暴動などで亡くなるケースが増えていたのだ。
更にまずいことには、日本人以外にも感染するよう変異しており、じわじわと海外へも拡がり始めていた…。
「栄田君、どうも昨日から、肩が楽になったかと思うと、急に緊張して痛くなったりするのだが、変だな。それはそうと、最近、君の煎れる珈琲は格別に旨いな。豆を変えたのかね」
「そんなに旨いですか。そりゃあ良かった。いえね、気分転換にこの製薬跡地にある井戸の湧水を使ってみたのですよ。ルンルン」
「…栄田君」
「えっ?…あああああっ」
完
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同作者の『コペルニクスサークル』のスピンオフ作品。
一輪の廃墟好き 第一部
流川おるたな
ミステリー
僕の名前は荒木咲一輪(あらきざきいちりん)。
単に好きなのか因縁か、僕には廃墟探索という変わった趣味がある。
年齢25歳と社会的には完全な若造であるけれど、希少な探偵家業を生業としている歴とした個人事業者だ。
こんな風変わりな僕が廃墟を探索したり事件を追ったりするわけだが、何を隠そう犯人の特定率は今のところ百発百中100%なのである。
年齢からして担当した事件の数こそ少ないものの、特定率100%という素晴らしい実績を残せた秘密は僕の持つ特別な能力にあった...
SCHRÖ,DINGER
空色フロンティア
ミステリー
何も変わらぬ友との日常。なんの変哲もないいつも通りの日々。だが、キッカケはほんの些細なことであった。唐突に同じ日に閉じ込められる事になってしまった。そのループを抜け出す為の条件はただ一つ【全員生還する事】。俺は、運命に抗い、あの楽しかった日々を取り戻す為の試練を受ける事になる。
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コ○ナは人災だけど、この作品のように楽しいウィルスにしてくれたら日本の景気も上がって良いのに。
コ○ナはつまらないウィルスな上に、世界中がすっかり騙された。そう思うと、もっと残虐なウィルスも作れるわけで、そんなものがばら蒔かれなくて良かったけど。
次回はどうせ作るならこんな楽しいウィルスにして欲しい。