6 / 62
かつて天才と呼ばれたスター
有休制度?
しおりを挟む
その夜、鬼束は榊の部屋を訪ねた。
「おう、どうした珍しいな」
意外な訪問に榊は一瞬戸惑う。
しかも思い詰めた表情をしている。
「まぁ、とにかく中に入れ」
「…失礼します」
蚊の鳴くような声で鬼束は部屋に入った。
「ところで、メシはもう食ったのか?」
「えぇ…まぁ一応」
そうは言ったが、実際は食欲が無い程沈んでいる。
「食ってねぇだろ、その様子じゃ」
榊は鬼束の表情で見抜いた。
「その、なんと言うか…とてもじゃないけど、食事が喉を通らないです」
「…とりあえず座れよ」
ソファーに座るよう促す。
「失礼します」
「どうしたんだ?」
榊はテーブルに置いてあったタバコに火をつけた。
「実はお願いがありまして…」
「お願い?」
プカプカと紫煙を燻らせながら耳を傾ける。
「オレを4番から…いや、スタメンから外してください」
今のままじゃチームに迷惑が掛るだけ…それならばいっそ、スタメンから外れた方がチームにも影響を及ぼす事は無い、そう思って榊に直訴した。
「まだシーズン始まったばかりだろ?そんなに焦る事は無いじゃん」
「でも、このままじゃ」
責任感が強いせいか、不調になると自分のせいだと思い込んでしまう。
「ウーン…なぁ、鬼束。
お前、真面目過ぎるんじゃないのか?」
「真面目…ですか?」
根がチャランポランな榊からすれば、鬼束いや、今の選手は生真面目に見える。
「優等生もいいけどな、たまにはいい加減な面も持ち合わせてないと、パンクするぞ」
現役時代の榊は、スランプに陥ると一切の練習を止め、身体の奥底から勝ちたいという気持ちが渇望するまで、ひたすらどんちゃん騒ぎした。
中途半端な気持ちで練習しても意味が無い。
遊んで遊びまくっているうちに、プロとしてのプライドが芽生える。
極限までその気持ちを高めてMAXに達した時、狂ったように練習をする。
そこでスランプを脱出するきっかけを掴んだ。
と言っても、あくまでも榊の例であって、それを他の選手に強いても効果は無いどころか、余計スランプに陥ってしまうだろう。
「…監督はそうやってスランプを脱出したってワケですか」
信じられないと言った表情で榊を見た。
「あくまでもオレの方法だけどな。
それをやれって言ってるワケじゃない。
人にはそれぞれ色んなやり方があるんだし、オレの真似して却って逆効果なんて事もあるしな。
でも、気分転換に他の事をやってみたらどうだ?
お前だって、野球以外の趣味はあるだろ?」
趣味か…
鬼束はしばし考えた。
そう言えば、プロに入ってから趣味らしい事をした記憶が無い。
やってみたい事はあるんだが、野球漬けの日々で趣味に費やす時間は殆ど無いに等しい。
「趣味というか…やってみたい事はありますけど」
「だったら、それをやればいいんだよ」
「エッ…それを今やるって事ですか?」
「勿論だよ、今やらないでいつやるんだよ?」
今でしょ!と言いたいところだが、それを言ったらこの場が凍りついてしまうだろうと思い、言うのを止めた。
「ですが、やってみたい事というのは、実は釣りなんです」
鬼束は以前から釣りに興味を持っていた。
シーズンオフになったら釣りをやってみようと思うのだが、オフは1年間の疲れを癒し、年が明けると自主トレを開始して2月になればキャンプインという流れの為、後回しにしていた。
「なる程ね、オフにやろうと思ってるけど、結局は行かずじまいになるってワケか」
「はい…」
榊は次のタバコに火をつけた。
僅かな期間だが、櫻井ヘッドコーチと水卜投手コーチに禁煙しろと言われ、吸わなかった時もあったが、ニコチンの誘惑には勝てず、結局吸ってしまった。
「よし、じゃあこうしよう!」
何かを思いついたみたいだ。
「えっ?」
「明日からお前を登録抹消する。その間、釣りに専念しろ!
それでお前は初心者だから、経験者の中ちゃんと一緒に色んな所で釣りをして来い」
釣りの為に登録抹消…この監督、やっぱりバカだ!
「な…えーっ?」
鬼束の開いた口が塞がらない。
「登録抹消したら、10日間は登録出来ないからその間はひたすら釣って釣って釣りまくれ!
そして、気分転換したら一軍に戻ってくれればいい」
「あの、その…そんな理由で登録抹消ですか?」
こんな監督は初めてだ。
「何でだよ?いいか、鬼束。
世の中には有給休暇ってもんがあるんだ。
プロ野球選手には有給休暇なんて無いが、これは有休みたいなもんだ。
プロ野球選手だって、有休消化したっていいじゃないか?
だって、オレも休みたいもん。
監督が必ずしも毎試合ベンチに居なきゃいけないなんて理由は無いしな」
このぐらいいい加減じゃなきゃ、プロは務まらないという事なのか…
「ハハッ…それって、スゴい事やってるような気がするんですけど」
「大した事ねぇよ。
誰だって、休みたいと思う時はあるだろ?
その時に登録抹消を利用すりゃいいんだよ」
「でも…例えば優勝がかかってる大事な時にそんな事をしたら」
「あー、そういう時にそんな事思いつくヤツはいないだろ。
そんなヤツはプロ野球選手じゃねぇな」
「有給休暇…でも、それなんか面白そう」
心の中のモヤが少し晴れた様な気分になった。
「明日、試合前のミーティングでこの事を発表してみようと思うんだ。
有休取りたいヤツがいたら、事前に申し出てくれってな」
この制度は果たしてどう影響するのか。
翌日、球団は鬼束の登録抹消を発表した。
理由はコンディション不足という事で、休養を兼ねたファーム落ちという名目だった。
同時に中田野手総合コーチも家庭の事情という理由でベンチを離れた。
二人は釣り人スタイルに扮して、日本海の魚をゲットしにチームを離れた。
ちなみにミーティングでは、榊が有休制度を設けたと説明。
戸惑う選手も多かったが、いち早く申請したのは監督の榊だった…
「おう、どうした珍しいな」
意外な訪問に榊は一瞬戸惑う。
しかも思い詰めた表情をしている。
「まぁ、とにかく中に入れ」
「…失礼します」
蚊の鳴くような声で鬼束は部屋に入った。
「ところで、メシはもう食ったのか?」
「えぇ…まぁ一応」
そうは言ったが、実際は食欲が無い程沈んでいる。
「食ってねぇだろ、その様子じゃ」
榊は鬼束の表情で見抜いた。
「その、なんと言うか…とてもじゃないけど、食事が喉を通らないです」
「…とりあえず座れよ」
ソファーに座るよう促す。
「失礼します」
「どうしたんだ?」
榊はテーブルに置いてあったタバコに火をつけた。
「実はお願いがありまして…」
「お願い?」
プカプカと紫煙を燻らせながら耳を傾ける。
「オレを4番から…いや、スタメンから外してください」
今のままじゃチームに迷惑が掛るだけ…それならばいっそ、スタメンから外れた方がチームにも影響を及ぼす事は無い、そう思って榊に直訴した。
「まだシーズン始まったばかりだろ?そんなに焦る事は無いじゃん」
「でも、このままじゃ」
責任感が強いせいか、不調になると自分のせいだと思い込んでしまう。
「ウーン…なぁ、鬼束。
お前、真面目過ぎるんじゃないのか?」
「真面目…ですか?」
根がチャランポランな榊からすれば、鬼束いや、今の選手は生真面目に見える。
「優等生もいいけどな、たまにはいい加減な面も持ち合わせてないと、パンクするぞ」
現役時代の榊は、スランプに陥ると一切の練習を止め、身体の奥底から勝ちたいという気持ちが渇望するまで、ひたすらどんちゃん騒ぎした。
中途半端な気持ちで練習しても意味が無い。
遊んで遊びまくっているうちに、プロとしてのプライドが芽生える。
極限までその気持ちを高めてMAXに達した時、狂ったように練習をする。
そこでスランプを脱出するきっかけを掴んだ。
と言っても、あくまでも榊の例であって、それを他の選手に強いても効果は無いどころか、余計スランプに陥ってしまうだろう。
「…監督はそうやってスランプを脱出したってワケですか」
信じられないと言った表情で榊を見た。
「あくまでもオレの方法だけどな。
それをやれって言ってるワケじゃない。
人にはそれぞれ色んなやり方があるんだし、オレの真似して却って逆効果なんて事もあるしな。
でも、気分転換に他の事をやってみたらどうだ?
お前だって、野球以外の趣味はあるだろ?」
趣味か…
鬼束はしばし考えた。
そう言えば、プロに入ってから趣味らしい事をした記憶が無い。
やってみたい事はあるんだが、野球漬けの日々で趣味に費やす時間は殆ど無いに等しい。
「趣味というか…やってみたい事はありますけど」
「だったら、それをやればいいんだよ」
「エッ…それを今やるって事ですか?」
「勿論だよ、今やらないでいつやるんだよ?」
今でしょ!と言いたいところだが、それを言ったらこの場が凍りついてしまうだろうと思い、言うのを止めた。
「ですが、やってみたい事というのは、実は釣りなんです」
鬼束は以前から釣りに興味を持っていた。
シーズンオフになったら釣りをやってみようと思うのだが、オフは1年間の疲れを癒し、年が明けると自主トレを開始して2月になればキャンプインという流れの為、後回しにしていた。
「なる程ね、オフにやろうと思ってるけど、結局は行かずじまいになるってワケか」
「はい…」
榊は次のタバコに火をつけた。
僅かな期間だが、櫻井ヘッドコーチと水卜投手コーチに禁煙しろと言われ、吸わなかった時もあったが、ニコチンの誘惑には勝てず、結局吸ってしまった。
「よし、じゃあこうしよう!」
何かを思いついたみたいだ。
「えっ?」
「明日からお前を登録抹消する。その間、釣りに専念しろ!
それでお前は初心者だから、経験者の中ちゃんと一緒に色んな所で釣りをして来い」
釣りの為に登録抹消…この監督、やっぱりバカだ!
「な…えーっ?」
鬼束の開いた口が塞がらない。
「登録抹消したら、10日間は登録出来ないからその間はひたすら釣って釣って釣りまくれ!
そして、気分転換したら一軍に戻ってくれればいい」
「あの、その…そんな理由で登録抹消ですか?」
こんな監督は初めてだ。
「何でだよ?いいか、鬼束。
世の中には有給休暇ってもんがあるんだ。
プロ野球選手には有給休暇なんて無いが、これは有休みたいなもんだ。
プロ野球選手だって、有休消化したっていいじゃないか?
だって、オレも休みたいもん。
監督が必ずしも毎試合ベンチに居なきゃいけないなんて理由は無いしな」
このぐらいいい加減じゃなきゃ、プロは務まらないという事なのか…
「ハハッ…それって、スゴい事やってるような気がするんですけど」
「大した事ねぇよ。
誰だって、休みたいと思う時はあるだろ?
その時に登録抹消を利用すりゃいいんだよ」
「でも…例えば優勝がかかってる大事な時にそんな事をしたら」
「あー、そういう時にそんな事思いつくヤツはいないだろ。
そんなヤツはプロ野球選手じゃねぇな」
「有給休暇…でも、それなんか面白そう」
心の中のモヤが少し晴れた様な気分になった。
「明日、試合前のミーティングでこの事を発表してみようと思うんだ。
有休取りたいヤツがいたら、事前に申し出てくれってな」
この制度は果たしてどう影響するのか。
翌日、球団は鬼束の登録抹消を発表した。
理由はコンディション不足という事で、休養を兼ねたファーム落ちという名目だった。
同時に中田野手総合コーチも家庭の事情という理由でベンチを離れた。
二人は釣り人スタイルに扮して、日本海の魚をゲットしにチームを離れた。
ちなみにミーティングでは、榊が有休制度を設けたと説明。
戸惑う選手も多かったが、いち早く申請したのは監督の榊だった…
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
ヤマネ姫の幸福論
ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。
一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。
彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。
しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。
主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます!
どうぞ、よろしくお願いいたします!
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる