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かつて天才と呼ばれたスター
有休制度?
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その夜、鬼束は榊の部屋を訪ねた。
「おう、どうした珍しいな」
意外な訪問に榊は一瞬戸惑う。
しかも思い詰めた表情をしている。
「まぁ、とにかく中に入れ」
「…失礼します」
蚊の鳴くような声で鬼束は部屋に入った。
「ところで、メシはもう食ったのか?」
「えぇ…まぁ一応」
そうは言ったが、実際は食欲が無い程沈んでいる。
「食ってねぇだろ、その様子じゃ」
榊は鬼束の表情で見抜いた。
「その、なんと言うか…とてもじゃないけど、食事が喉を通らないです」
「…とりあえず座れよ」
ソファーに座るよう促す。
「失礼します」
「どうしたんだ?」
榊はテーブルに置いてあったタバコに火をつけた。
「実はお願いがありまして…」
「お願い?」
プカプカと紫煙を燻らせながら耳を傾ける。
「オレを4番から…いや、スタメンから外してください」
今のままじゃチームに迷惑が掛るだけ…それならばいっそ、スタメンから外れた方がチームにも影響を及ぼす事は無い、そう思って榊に直訴した。
「まだシーズン始まったばかりだろ?そんなに焦る事は無いじゃん」
「でも、このままじゃ」
責任感が強いせいか、不調になると自分のせいだと思い込んでしまう。
「ウーン…なぁ、鬼束。
お前、真面目過ぎるんじゃないのか?」
「真面目…ですか?」
根がチャランポランな榊からすれば、鬼束いや、今の選手は生真面目に見える。
「優等生もいいけどな、たまにはいい加減な面も持ち合わせてないと、パンクするぞ」
現役時代の榊は、スランプに陥ると一切の練習を止め、身体の奥底から勝ちたいという気持ちが渇望するまで、ひたすらどんちゃん騒ぎした。
中途半端な気持ちで練習しても意味が無い。
遊んで遊びまくっているうちに、プロとしてのプライドが芽生える。
極限までその気持ちを高めてMAXに達した時、狂ったように練習をする。
そこでスランプを脱出するきっかけを掴んだ。
と言っても、あくまでも榊の例であって、それを他の選手に強いても効果は無いどころか、余計スランプに陥ってしまうだろう。
「…監督はそうやってスランプを脱出したってワケですか」
信じられないと言った表情で榊を見た。
「あくまでもオレの方法だけどな。
それをやれって言ってるワケじゃない。
人にはそれぞれ色んなやり方があるんだし、オレの真似して却って逆効果なんて事もあるしな。
でも、気分転換に他の事をやってみたらどうだ?
お前だって、野球以外の趣味はあるだろ?」
趣味か…
鬼束はしばし考えた。
そう言えば、プロに入ってから趣味らしい事をした記憶が無い。
やってみたい事はあるんだが、野球漬けの日々で趣味に費やす時間は殆ど無いに等しい。
「趣味というか…やってみたい事はありますけど」
「だったら、それをやればいいんだよ」
「エッ…それを今やるって事ですか?」
「勿論だよ、今やらないでいつやるんだよ?」
今でしょ!と言いたいところだが、それを言ったらこの場が凍りついてしまうだろうと思い、言うのを止めた。
「ですが、やってみたい事というのは、実は釣りなんです」
鬼束は以前から釣りに興味を持っていた。
シーズンオフになったら釣りをやってみようと思うのだが、オフは1年間の疲れを癒し、年が明けると自主トレを開始して2月になればキャンプインという流れの為、後回しにしていた。
「なる程ね、オフにやろうと思ってるけど、結局は行かずじまいになるってワケか」
「はい…」
榊は次のタバコに火をつけた。
僅かな期間だが、櫻井ヘッドコーチと水卜投手コーチに禁煙しろと言われ、吸わなかった時もあったが、ニコチンの誘惑には勝てず、結局吸ってしまった。
「よし、じゃあこうしよう!」
何かを思いついたみたいだ。
「えっ?」
「明日からお前を登録抹消する。その間、釣りに専念しろ!
それでお前は初心者だから、経験者の中ちゃんと一緒に色んな所で釣りをして来い」
釣りの為に登録抹消…この監督、やっぱりバカだ!
「な…えーっ?」
鬼束の開いた口が塞がらない。
「登録抹消したら、10日間は登録出来ないからその間はひたすら釣って釣って釣りまくれ!
そして、気分転換したら一軍に戻ってくれればいい」
「あの、その…そんな理由で登録抹消ですか?」
こんな監督は初めてだ。
「何でだよ?いいか、鬼束。
世の中には有給休暇ってもんがあるんだ。
プロ野球選手には有給休暇なんて無いが、これは有休みたいなもんだ。
プロ野球選手だって、有休消化したっていいじゃないか?
だって、オレも休みたいもん。
監督が必ずしも毎試合ベンチに居なきゃいけないなんて理由は無いしな」
このぐらいいい加減じゃなきゃ、プロは務まらないという事なのか…
「ハハッ…それって、スゴい事やってるような気がするんですけど」
「大した事ねぇよ。
誰だって、休みたいと思う時はあるだろ?
その時に登録抹消を利用すりゃいいんだよ」
「でも…例えば優勝がかかってる大事な時にそんな事をしたら」
「あー、そういう時にそんな事思いつくヤツはいないだろ。
そんなヤツはプロ野球選手じゃねぇな」
「有給休暇…でも、それなんか面白そう」
心の中のモヤが少し晴れた様な気分になった。
「明日、試合前のミーティングでこの事を発表してみようと思うんだ。
有休取りたいヤツがいたら、事前に申し出てくれってな」
この制度は果たしてどう影響するのか。
翌日、球団は鬼束の登録抹消を発表した。
理由はコンディション不足という事で、休養を兼ねたファーム落ちという名目だった。
同時に中田野手総合コーチも家庭の事情という理由でベンチを離れた。
二人は釣り人スタイルに扮して、日本海の魚をゲットしにチームを離れた。
ちなみにミーティングでは、榊が有休制度を設けたと説明。
戸惑う選手も多かったが、いち早く申請したのは監督の榊だった…
「おう、どうした珍しいな」
意外な訪問に榊は一瞬戸惑う。
しかも思い詰めた表情をしている。
「まぁ、とにかく中に入れ」
「…失礼します」
蚊の鳴くような声で鬼束は部屋に入った。
「ところで、メシはもう食ったのか?」
「えぇ…まぁ一応」
そうは言ったが、実際は食欲が無い程沈んでいる。
「食ってねぇだろ、その様子じゃ」
榊は鬼束の表情で見抜いた。
「その、なんと言うか…とてもじゃないけど、食事が喉を通らないです」
「…とりあえず座れよ」
ソファーに座るよう促す。
「失礼します」
「どうしたんだ?」
榊はテーブルに置いてあったタバコに火をつけた。
「実はお願いがありまして…」
「お願い?」
プカプカと紫煙を燻らせながら耳を傾ける。
「オレを4番から…いや、スタメンから外してください」
今のままじゃチームに迷惑が掛るだけ…それならばいっそ、スタメンから外れた方がチームにも影響を及ぼす事は無い、そう思って榊に直訴した。
「まだシーズン始まったばかりだろ?そんなに焦る事は無いじゃん」
「でも、このままじゃ」
責任感が強いせいか、不調になると自分のせいだと思い込んでしまう。
「ウーン…なぁ、鬼束。
お前、真面目過ぎるんじゃないのか?」
「真面目…ですか?」
根がチャランポランな榊からすれば、鬼束いや、今の選手は生真面目に見える。
「優等生もいいけどな、たまにはいい加減な面も持ち合わせてないと、パンクするぞ」
現役時代の榊は、スランプに陥ると一切の練習を止め、身体の奥底から勝ちたいという気持ちが渇望するまで、ひたすらどんちゃん騒ぎした。
中途半端な気持ちで練習しても意味が無い。
遊んで遊びまくっているうちに、プロとしてのプライドが芽生える。
極限までその気持ちを高めてMAXに達した時、狂ったように練習をする。
そこでスランプを脱出するきっかけを掴んだ。
と言っても、あくまでも榊の例であって、それを他の選手に強いても効果は無いどころか、余計スランプに陥ってしまうだろう。
「…監督はそうやってスランプを脱出したってワケですか」
信じられないと言った表情で榊を見た。
「あくまでもオレの方法だけどな。
それをやれって言ってるワケじゃない。
人にはそれぞれ色んなやり方があるんだし、オレの真似して却って逆効果なんて事もあるしな。
でも、気分転換に他の事をやってみたらどうだ?
お前だって、野球以外の趣味はあるだろ?」
趣味か…
鬼束はしばし考えた。
そう言えば、プロに入ってから趣味らしい事をした記憶が無い。
やってみたい事はあるんだが、野球漬けの日々で趣味に費やす時間は殆ど無いに等しい。
「趣味というか…やってみたい事はありますけど」
「だったら、それをやればいいんだよ」
「エッ…それを今やるって事ですか?」
「勿論だよ、今やらないでいつやるんだよ?」
今でしょ!と言いたいところだが、それを言ったらこの場が凍りついてしまうだろうと思い、言うのを止めた。
「ですが、やってみたい事というのは、実は釣りなんです」
鬼束は以前から釣りに興味を持っていた。
シーズンオフになったら釣りをやってみようと思うのだが、オフは1年間の疲れを癒し、年が明けると自主トレを開始して2月になればキャンプインという流れの為、後回しにしていた。
「なる程ね、オフにやろうと思ってるけど、結局は行かずじまいになるってワケか」
「はい…」
榊は次のタバコに火をつけた。
僅かな期間だが、櫻井ヘッドコーチと水卜投手コーチに禁煙しろと言われ、吸わなかった時もあったが、ニコチンの誘惑には勝てず、結局吸ってしまった。
「よし、じゃあこうしよう!」
何かを思いついたみたいだ。
「えっ?」
「明日からお前を登録抹消する。その間、釣りに専念しろ!
それでお前は初心者だから、経験者の中ちゃんと一緒に色んな所で釣りをして来い」
釣りの為に登録抹消…この監督、やっぱりバカだ!
「な…えーっ?」
鬼束の開いた口が塞がらない。
「登録抹消したら、10日間は登録出来ないからその間はひたすら釣って釣って釣りまくれ!
そして、気分転換したら一軍に戻ってくれればいい」
「あの、その…そんな理由で登録抹消ですか?」
こんな監督は初めてだ。
「何でだよ?いいか、鬼束。
世の中には有給休暇ってもんがあるんだ。
プロ野球選手には有給休暇なんて無いが、これは有休みたいなもんだ。
プロ野球選手だって、有休消化したっていいじゃないか?
だって、オレも休みたいもん。
監督が必ずしも毎試合ベンチに居なきゃいけないなんて理由は無いしな」
このぐらいいい加減じゃなきゃ、プロは務まらないという事なのか…
「ハハッ…それって、スゴい事やってるような気がするんですけど」
「大した事ねぇよ。
誰だって、休みたいと思う時はあるだろ?
その時に登録抹消を利用すりゃいいんだよ」
「でも…例えば優勝がかかってる大事な時にそんな事をしたら」
「あー、そういう時にそんな事思いつくヤツはいないだろ。
そんなヤツはプロ野球選手じゃねぇな」
「有給休暇…でも、それなんか面白そう」
心の中のモヤが少し晴れた様な気分になった。
「明日、試合前のミーティングでこの事を発表してみようと思うんだ。
有休取りたいヤツがいたら、事前に申し出てくれってな」
この制度は果たしてどう影響するのか。
翌日、球団は鬼束の登録抹消を発表した。
理由はコンディション不足という事で、休養を兼ねたファーム落ちという名目だった。
同時に中田野手総合コーチも家庭の事情という理由でベンチを離れた。
二人は釣り人スタイルに扮して、日本海の魚をゲットしにチームを離れた。
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