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第三十四話
しおりを挟むベクターの後ろから、這いつくばってトマスと教会のタキ司祭が近づいてくるのが見えた。
小声でトマスが囁いた。
「リチャード様、タキ司祭がリチャード様に重要な話があると」
私の横でしゃがんでいるルシアも心配そうな顔で立っている。
「これはどこで?」
タキ司祭がポケットからパンフレットのような紙を出してきた。
将棋の赤月龍王戦の対局場である船とスケジュール、それに対局者である滝宗因棋士と王飛マリナの写真と名前にふりがなが打ってあるパンフレットだ。
「あのマリナを教会から再び追い出したときに入口に落ちていたものだ」
「知っています。タキ司祭」
(赤月竜王戦のパンフレットだからな)
「リチャード、東方の国ジパンから旅人がやってきてラピスラズリの実を私に見せてくれたときに、その旅人であるセイント カノンが『この実はどんな極悪でも救われる魔法の実だ。』と言っていたのだよ」
「そうですか。さきほどベクターからその実について聞いたところです。ルシアが持っていますよ」
「セイント カノンはその実について『すべての生けとし生けるものに善を与える』と言っていたのだが、『天上界を照らす全能の神の秩序を壊す冥界の悪魔であるオーフィ・アポフィスについてはその限りではない』とも言っていたのだよ」
「そうですか、タキ司祭。今何故その話を」
滝司祭は将棋の赤月龍王戦のパンフレットを手にしている。
「この紙には、私によく似た人物と女性が描かれてある。
まるでチェスの対局のような絵だが、私によく似た人物と対峙している女性の名前はオウヒ マリナ。
オーフィは、オウヒ。
オーフィ・アポフィスは、オウヒ・アポフィスと同じ発音だ」
私が教会から追い出した女であるマリナのことに違いない。
そしてお前の兄やトマスから、この地に冥界の悪魔アポフィスがやってくるかもしれないという話は内密に聞いている」
「何が言いたいのですか」
私はタキ司祭に確認した。
「私が正しければ今にわかる。恐ろしい。
私はルシアが教会を出るときに『あのマリナに気を付けろ』と警告したのだ」
タキ司祭はそのあと押し黙ってベクターの横にしゃがみ込んだ。
夜が明けそうだ。
ブームスランと言っている女が天を指して、咆哮を上げた。
ブームスランと言っている女が、覆いを付けている女にペンダントをかけた。
女の周りに紫の霧が発生し、身体が上に伸びて行く。凶悪な爬虫類のような咆哮がして、女の首が鎌首に変わった。
そして、アリシア、いやブームスランという女は、両手、両足が生えている全身が黒色の蛇のような黒龍の魔物に変身した。
夜が明けた。
陽の光が差してきた。
この森の四角形に東の地平線から一条の陽の光が照らし出された。
「アポフィス様、私の役目は終わりました」
黒龍の魔物がそう叫んだように聞こえた。
黒龍の魔物が四角形の真ん中の奥に立っている女の横で、とぐろを巻いている。
森は急に紫の霧に包まれた。
天空も晴れていたはずだったが、いつのまにか紫の雲に覆われた。
晴れていたのは一瞬だった。
四角形の真ん中の奥に立っていた覆いを被さっていた女が覆いを取った。
艶やかで黒いツインテールの髪型の女性だ。
頭にはティアラを付けている。
右手にはムラマサの剣を持っている。
横の黒龍の魔物をちらりと見たとき横顔が露わになった。
「マリナ!」
思わず声が出そうになって口を押えた。
マリナは何も衣装を着けていなかった。
かつて喫茶店でよからぬ想像した以上に、二つの丸みとその先の突起がツンと突き出していて、表現に困るくらい美しく白い背中であった。それでいて卑猥ではなく神々しく感じる魅力的な曲線だ。
背中の痣になっている部分を見ると赤い龍のような紋章に見える。
(ベクターやタキ司祭にマリナを見られるのはまずい)
「マリナ。今、助けるぞ」
私は兵士から貰ったロングソードを手にして、臨戦態勢に入り飛び出す準備をして思わず立ち上がった。
「マリナ様が...」
ルシアも動揺している。
マリナは私をちらりと見たような気がした。
マリナの八重歯が大きくなってくる。
美少女の澄んだ目がだんだん冷たい邪悪なまなざしに変わってくる。
マリナは天を仰ぐと右手を天に突き出した。
紫色の雲から大きな音が鳴り響く。
雷鳴なのか。
その後すぐに稲光が走った。
紫色の稲光だ。
空が雲の天空も紫色一色に染まっていく。
紫色の天空からとてつもない大きな雷鳴と稲光が走った。
そのあと空中が裂けたようになり、天の裂け目から紫色の一条のビームが降りてくる。
その紫色のビームはマリナの頭上に届き、マリナの全身が赤く輝き始めた。
背中の赤い龍の紋章に見える痣も輝いている。
横のとぐろを巻いているアリシアだった黒龍の咆哮が私の心の中で
「アポフィス様の封印が解けた。
魔界がこのアーカートを征服する」
と言っているような気がした。
マリナの全身が大きくなっていく。
人間の女性の身体が跡形も無く皮膚には赤い鱗が広がっていく。
顔の八重歯が4つの牙になり、大きく愛らしい瞳が不気味で冷たいまなざしにかわっていき、森の木の頭上まで背が伸びて行った。
(信じられない)
(マリナが赤い龍の魔物だとは)
タキ司祭がおびえて叫んでいる。
「オウヒ マリナが人間界を滅ぼしこのアーカートの地を魔界にする悪魔アポフィスなのだ」
「マリナ!」
私は立ち上がって赤い龍に姿を変えた魔物に声をかけた。
魔物は立ち止まって私を見た。
(気持ちが通じ合えたのか。
あの指導対局のときの真剣ながら魅力的な笑顔、
喫茶店で出された詰将棋で悩んでいるとヒントを出してくれた満面の笑み、
そして、男性の棋士に勝利して女流棋士初のタイトルを取ったときの嬉しそうな顔)
(もうすぐ告白しようとしていたときのドキドキが通じたような気がしたとき。
想い出してくれ。私との楽しかったあの時を)
しかし、赤い龍の魔物アポフィスはさきほどの黒龍の声の数十倍の気味の悪い咆哮を上げて、口から氷雪を吹いた。
尾を振り回すと突風が起き、私の身体は地面に投げ出された。
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