世界の十字路

時雨青葉

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第2章 蝕まれる心

もう、あんな夢……

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「―――っ!!」


 実の微笑みを見た瞬間、拓也の中で何かが盛大に弾けた。
 勢いよく実に駆け寄り、その肩を強く掴む。


「なんで……なんで、こんなになってまで助けを求めない!! なんのために、おれらがいるんだよ!?」


 叫んだ。
 それと同時に、乱暴に実の肩を揺さぶる。


 実は下をうつむいて、うつろだがしっかりとした声でこう言った。


「なんで来たの?」
「―――っ! こっちの質問に答えろっ!!」


 拓也が怒鳴るが、実は強く口を引き結んで頭を横に振る。


「別に、助けなんていらない。これは……あくまでも俺の問題、だから。だから……誰にも、頼らない。だい…じょう、ぶ……だから……」


 実の言葉が、徐々に途切れ途切れになっていく。
 薄いその肩が、拓也の手の中で何度も危なげに揺れた。


 拓也は慌てて実を支え、実の顔を覗き込む。


 実の顔色は、病的なまでに青白かった。
 表情に全く生気がない。
 そして、目の下にはうっすらとくまができている。


 それが何を意味するのか分かって、無意識のうちに手に力がこもる。


「実……お前、寝てないのか?」


 鋭く問うも、実は答えない。


 だが、実が答えずとも、この見解が間違っていないことは明らか。
 激情が引いていって、思わず溜め息をつく拓也。


「分かった。話は後でにしよう。今はとりあえず眠って―――」


 その瞬間、拓也の言葉を遮るように実が拓也の手を振り払った。
 予期していなかったその展開に、拓也は思わず固まってしまう。


 そんな拓也のことなど眼中にない様子で、実は自分の肩を抱いて小さく震え出した。


「嫌だ。眠りたくない。」


 放たれたのは、拒絶の言葉。
 それにカッと血がのぼって、拓也はさっきよりも激しく実の肩を掴む。


「馬鹿言うなっ! お前 、今どんな状態だからそんなことが言えるんだ!!」
「嫌だっ……嫌だ嫌だ嫌だ!」


「実!!」
「嫌だっ!!」


「―――っ」


 とうとう、拓也の堪忍袋の緒が音を立てて切れた。
 その目が厳しくすっと細められ―――


「そうかよ。」


 次の瞬間、拓也は実の額を前髪ごと掴んで乱暴に実をベッドに叩きつけた。
 目を丸くする実を見下ろすその表情は、強い怒りに染まっている。


「ふざけるなよ。今までは実が自分でケリをつけられてたから、何も言わなかったんだ。でも、もう好き勝手はさせないからな。今回のことで、どんだけの人がお前を心配してると思ってんだ。どうしても嫌だって言うなら、無理にでも眠ってもらう。」


 拓也のすごみのきいた声とその言葉の内容に、息を飲んで肩を震わせる実。


 実が抵抗するように両手で拓也の腕を掴んで、その腕を引き剥がそうともがく。
 しかし睡眠不足と疲れがたたってか、拓也の力には到底敵わなかった。


 拓也は無言で魔力を込める。


「――――――っ!!」


 実は声にならない悲鳴をあげた。


 拓也の魔法が浸食してきて、だんだんと体から力が抜けていく。
 抗いがたい睡魔が、意識をさらおうとする。


 焦る実。
 睡魔に対する恐怖が火事場の馬鹿力を生み、拓也の腕を掴む力が尋常じゃないほどに強くなった。


 その勢いが余って、実の爪が拓也の皮膚を突き破る。
 拓也は痛みに顔をしかめたが、魔法に込める力をむしろどんどん強くする。


 だが―――


「………?」


 拓也はそこで、怪訝けげんそうに眉を寄せた。


 急に、実からの抵抗がなくなったのだ。
 爪でこちらの皮膚を突き破ったのを最後に、実の両手から力が抜ける。


 そしてそれと引き換えに、実は激しく震え出してしまった。


「………嫌だ……」


 今にも泣き出してしまいそうな声。
 拓也は思わず、手に込めた力を緩めかけた。


 そんな拓也の変化になど気付く余裕もなく、実は己の内側から滾々こんこんと湧き出してくる恐怖に体を震わせていた。


「嫌だ…嫌だ……もう、あんな夢……見たくない。」


 絞り出すような声と共に、実の両目から涙があふれ出す。
 それに、拓也が驚愕して目を見開いた。


「……夢?」


 訊ねる。
 しかし、実はもう質問に答えられるような状態ではなかった。


「嫌だ……怖い、怖いんだ……」


 実はただ、機械のようにそう繰り返すだけ。
 拓也が何度も声をかけるも、一度として会話が成り立つことはなかった。


 拓也はどうしたもんかと逡巡しゅんじゅんする。


 ここまで怖がられると、さすがに無理に眠らせることへの抵抗が出てくる。
 しかし体のことを考えると、眠ってもらわないと困るのが現実。


 確かに、魔法で実の体調を治すことは可能だ。
 しかし、それは一時的なものでしかない。


 体調を戻すとはいっても、やることは単に体の機能を強化するだけ。
 結局はいつか限界が来て、また元の状態に逆戻りしてしまう。
 どちらにしろ、行き着く先は同じなのだ。


 拓也は一度、肺が空になるまで息を吐き出した。


「実。大丈夫だから。夢を見るのが怖いなら、夢を見ないくらい深い眠りに落としてやる。だから、怖がらなくていい。」


 意識して優しく、実の神経を刺激しないように注意を払って語りかけた。
 しかし、実はゆるゆると首を振る。


「……嫌だ。」


 やはり、今の実にはこちらの言葉が届かないようだ。
 拓也は聞くのをやめ、魔法に集中する。


「怖い…嫌だ……」


 拓也はもう、一切答えない。


「怖い…怖い……」
「………」


「嫌だ……」
「………」


「嫌…だ……こわ―――」


 言葉が途切れた。
 実の手が完全に力を失って、ベッドに落ちる。


 拓也は油断せずに、ゆっくりと慎重に実の額から手を離した。


 穏やかに眠った実の顔が目に入る。
 呼吸も落ち着いていて、規則正しい呼吸も確認できた。


「―――はあ…」


 疲労困憊こんぱいの溜め息を盛大に漏らす拓也。
 ふと手首を見ると、実の爪が食い込んだ傷跡から血が流れていた。
 それに、思わず眉をひそめる。


 なんとも言えない、複雑な後味だ。


 拓也はベッドの上で眠る実を見下ろす。


「………っ」


 引いていたはずの怒りが、じわじわと戻ってきた。


(まったく…。どうしてこいつはいつも……)


 そのままぐるぐると思考が巡りそうになり、らちが明かないと気付いて考えることをやめる。


 拓也は制服のポケットから携帯電話を取り出した。
 何度かボタンを操作して、それを耳に当てる。


「あ、尚希? ……うん、今実の家。それはそうとさ、少し相談があるんだけど、今大丈夫か?」

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