世界の十字路

時雨青葉

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第3章 こじれ

すがりついたのは―――

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 シェイラは深い落胆の中にいた。
 その落胆とは裏腹に、急く足はせわしなく地を蹴る。


 グランと決別することもできず、フェンと理解し合うこともできない。
 自分がどんなに行動して意思表示をしても、あの二人は分かってくれない。
 どう動いても、どう考えても、八方塞がりでお手上げ状態なのだ。


 どうにかしたい。
 この胸の内を誰かに聞いてほしい。
 助けてほしい。


 そんな追い詰められた気持ちに背中を押されて、シェイラはある家の門をくぐった。


「あら、シェイラさん。」


 突然の来客に、屋敷の使用人であるサラは驚きの声をあげた。


「申し訳ありません。エーリリテ様は今……」
「あ、いいんです!」


 シェイラはサラの顔を見ないようにうつむいて、彼女の言葉を遮る。


「その……今日は、えっと……み、実さんに用があって。」
「実様に?」


 サラの声に、ますます不思議そうな響きが混じる。
 シェイラが実に用があって訪ねてきたことは、サラの知る限りでは一度もなかったからだ。


 サラは目をしばたたかせながらも、何かを考えるように虚空を見上げる。


「少々お待ちくださいね。実様って、いつどこにいるのか分からない方なので。今捜してきますわ。」
「は、はい。すみません。」


「いいよ。捜さなくて。」


 突然割り込んできた声に、シェイラとサラの心臓がどきりと跳ねる。


 シェイラの後ろ。
 開かれた扉を支えて、いつの間にか実が立っていたのだ。


「みっ、実様!? いつ屋敷から出ていかれたのですか?」
「ん? ハエルと一緒に、一時間くらい前に出たよ。」


「そんな…。私、全然気付きませんでしたわ。」
「そりゃそうだよ。窓から出ていったもん。」


「……やはりそうですか。」


 さらりと言う実に、がっくりとサラは肩を落とす。


「実様。お願いですから、出かける時は玄関から出ていってください。こういう時に困るのは、私たちなのですよ?」


「へーい。」


 軽い返事には、反省の色は全く見受けられない。
 実は玄関に入りながら、シェイラの腕を無言で掴んで引っ張った。


「きゃっ…」


 突然のことにシェイラが短い悲鳴をあげるも、実は気にしてもいない。


「サラ。お茶とかいらないから。」
「しかし、実様……」


「いいのいいの。そんなに長くならないし。」
「……分かりました。」


 サラとのやり取りを終えた実はシェイラの腕を引いたまま、上へと続く階段をのぼる。


「あ、あの、実さん…っ」


 シェイラが呼びかけると、実は歩みを止めないまま、顔だけをシェイラに向ける。


 その表情は、穏やかながらも怜悧れいりさを含んだもの。
 それに、シェイラは思わず息を飲んでしまった。


「話があるんでしょ? 俺に。」
「え…」


 全てを見抜かれている。
 そう気付いた瞬間、シェイラは言葉を紡ぐすべを失ってしまった。


 実が顔を前へと戻す。
 その後の実は、自分の部屋に着くまで一度もシェイラを振り返ることはなかった。


「知っていたんですか? 私がここに来るって。」


 部屋に入ると腕を解放されたので、シェイラは思いきって訊いてみた。
 部屋の鍵をかけて室内を移動しながら、実は口を開く。


「まあね。昨日、よりによってシェイラの前で、あんなことを言っちゃったし。家に帰ってから、自分の失言に気付いたよ。シェイラが食いつかないわけがない。」


 窓枠にもたれかかり、実は深く息を吐き出す。
 それにシェイラは、ぎゅっと服の裾を握り締めた。


「随分……分かったような口をくんですね。まるで、私のことなんて全部理解しているみたいに。」
「現に、シェイラはここにいるじゃん。」


「それは……実さんが、私と同じだからですか?」


 訊ねる。
 数秒の間、沈黙が降りた。


「………そうだね。」


 くすりと微笑む実。


「近からず、遠からずってとこかな。」
「そうですか…。なら、実さんには私がこれから何を訊こうとしているのかも、分かっているんですか?」


「完全に当たっているとは言えないけど、大方察しはついてるよ。」
「じゃあ、単刀直入に言います。」


 シェイラは深く息を吸った。


 心臓が早鐘を打ち始める。
 言葉が上手く出てこない。


 それでも、シェイラは意を決して口を開いた。




「あなたは……力が、嫌いなんですか?」




 昨日から、訊きたくて仕方がなかった。
 実のあの言葉を聞いてから。


『力だけが全てとは、よく言ったもんだ。』


 ただでさえその言葉を聞く前から、実に関しては気になる節が多々あったのだ。


 実に絡んでいくのは大体グランの方だったが、実のグランやフェンに対しての態度には、少なからずあざけりやさげすみが表れているように思えた。


 それに気付いてからというもの、実のことを注意深く見るようになった。


 そして、グランやフェンを見る実の表情に、同情とも憐れみともつかない、不思議な感情が見え隠れすることにも気付いた。


 実は自分にとって、もうただの知り合いでは片付けられない存在なのだ。


「………」


 黙っている実。


 ひたすらに待ち続けるシェイラの心に、不安が生まれる。
 思わず彼女が奥歯を噛み締めた、その時。


「―――嫌いだよ。」


 ぽつりと零れた実の言葉に、シェイラの背筋が凍った。


 抑揚の欠けた、冷たい声。
 いつもの実の声じゃない。


 彼の声に込められた何かに、心の奥底から恐怖が勢いよく噴き出した。
 全身が硬直して、声も呼吸すらもが奪われそうになる。


 シェイラはとっさに、実から視線を逸らしてしまった。
 あまりにも怖くて、とても実の顔を見られなかったのだ。


「それは……どうして、ですか?」


 震える声で問う。
 それに対して、実の声音は冷ややかなものだった。


「力は、奪うことばかりしかしないからね。確かに、ある程度の力はあると便利かもしれない。だけど、ありすぎる力は不幸や災いしか運んでこない。そして、周りを傷つけるだけ傷つけて、奪えるだけ奪って……最後には、何事もなかったかのように消えていく。身の丈に合わない力を求めるだけ、痛い目に遭うのは自分と……自分の大切な人たちだ。」


「………っ」


 実の言葉を聞き、シェイラは小刻みに肩を震わせた。


 とうとう見つけた。
 自分と同じ人間に。


 声も出ないほどに嬉しかった。
 目頭に熱いものが込み上げてきて、そのまま零れ落ちていく。


 それを拭うことも忘れて、シェイラは生まれて初めて出会った同胞を、ただひたすらに見つめていた。


「えっ……シェイラ?」


 実がぎょっとしたように目を見開き、躊躇ためらいながらもシェイラに近づく。


「―――っ」


 全身を貫く衝動に突き動かされるままに、シェイラは実の胸の中に飛び込んだ。
 まさかの展開に、実は反射的にシェイラを受け止めたまま固まる。


 実の動揺は感じ取ったものの、シェイラは彼のことを離すまいと、全力をこめてその体にすがりつくのだった。

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