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第6章 帰郷
おれにはできない
しおりを挟む〝ここで、俺を殺す?〟
その問いかけに、拓也と梨央は目を剥いた。
実が言っていることはこの世界の絶対法則であり、ある種の摂理だ。
誰もがこの慣習を守ってきたし、それを守ることは間接的に、自分の身を守ることにも繋がる。
〝鍵〟を見逃すことは、下手すれば世界を危険にさらす行為。
万が一にも封印が解けて、目覚めた王の殺戮が再開したら、たまったもんじゃない。
世界全体と、一人の人間。
それを天秤にかければ、どちらに傾くかは明らかだ。
拓也は躊躇いながらも、手に魔力を込めた。
手を靄のようなものが包み、次第に凝縮してある形を取り始める。
黒く不気味に光る金属。
それは銃だ。
実が感心して口笛を一つ吹く。
「さすが。もう地球の武器を具現化できるんだ。うん、武器の選択は間違ってない。確実に殺すなら、攻撃は物理的かつ効果的じゃないと。」
「ちょっと! 村田、本気なの!?」
非難めいた梨央の声を、拓也は聞き入れなかった。
手にした銃を、実の頭めがけてまっすぐに構える。
「だめ!!」
梨央が実の前に躍り出た。
しかし、身を挺して実をかばおうとした梨央の背を、他でもない実が力強く押した。
「きゃっ…」
バランスを崩して倒れる梨央。
それと同時に―――
パァンッ
乾いた音が、森の中に響いた。
梨央が凍った表情で、その光景を凝視する。
「……これは、どういうこと?」
硝煙をあげる銃を手にして深くうつむいている拓也に、実は訊ねた。
拓也が撃った弾は実に当たらず、背後の木に命中していた。
あと数ミリずれていたら、間違いなく実の頭を撃ち抜いていたはずだ。
「わざとでしょ? 外したの。」
実は断言する。
すると。
「………悪いな、実。」
うつむいたまま、拓也が言った。
拓也はゆっくりと顔を上げ、銃を地面に捨てる。
「おれにはできない。世界のためにお前を殺すなんて、できないよ。そう簡単に割り切れるもんじゃないし、おれもそこまでこの世界には執着してないんだ。〝鍵〟の封印が解けて世界が滅ぶなら、それはそれで運命なんだろう。だから、おれは実を殺さない。」
そう語った拓也の瞳に、深い懊悩がたたえられた。
「……悪いな。きっとおれは、自分が可愛いんだ。お前に世界の運命を握る重責と、この世界の人間全員の命を背負わせることになるのに、この世界が滅ぶならそれもいいなんて思ってる。その重荷から解放してやれないのは、謝るしかない。ごめん。」
最後は呟きのようになってしまった拓也の言葉に、実は無表情で耳を傾けていた。
実はただ、拓也を見つめるだけ。
まるで、何かを見定めるようにじっと。
そして。
「―――いいんじゃないかな。それはそれで。拓也が後悔しない選択なら。」
ふと、表情を和ませた。
「び、びっくりしたぁー…」
腰を浮かしていた梨央が、へなへなと座り込む。
「普通、はったりであそこまでやるもん?」
「途中までは本気だったよ。」
ざっとまた表情を凍らせる梨央に、拓也は苦笑する。
「〝鍵〟として生まれることは、生まれながらにして世界を掌握させられているようなもんだ。自分の意志一つで、たくさんの人間を殺すことになるかもしれない。単に封印のことなんて忘れて過ごせれば、封印が解けることもなく、〝鍵〟も天寿を全うできるのかもしれないけど、ものの弾みってもんがあるだろ? 封印を解く気はなかった。だけど人間だから時にはムカついて、破壊的衝動に駆られることもある。その一時の衝動で、封印が解けたら? そうやって、自分の感情にビクビクしながら生きていかなきゃいけないかもしれないんだ。それは相当つらいと、おれは思う。」
「………」
「封印のことばかりに気を使って、自分の感情に素直になれないなんて、苦しいだけだろう。この考えを実に押しつけるのは間違ってるけど、少なくともおれは嫌だな。いっそ、殺された方が気楽だ。だから、実を殺してしまった方がいいんじゃないかと思って銃を向けたけど……やっぱり、できなかったな……」
「………」
梨央は複雑そうに、拓也の自嘲を滲ませた表情を見た。
「ま、俺は大体想像ついてたけどね。拓也がどんな結論を出すのか。」
笑って肩をすくめる実。
そんな実に、拓也は違和感を持たざるを得ない。
「……なあ、実。さっきからずっと気になってたんだけど……なんか、記憶と魔力を取り戻してから、性格激変してないか?」
隠しても仕方ないので、拓也はその違和感をストレートにぶつけた。
「え?」
拓也の指摘に、きょとんとする実。
「あ…れ…?」
薄く開いた唇から、半ば茫然とした呟きが漏れた。
拓也の指摘をきっかけに、自分の中で何かが切り替わる感じがした。
拓也が持っている違和感が、自分の中にも広がる。
(俺……なんで、あんなこと……)
急に、自分の言動が信じられないもののように感じてくる。
自分はどうして、下手すれば自分が死ぬようなことを口にしたのだろう。
死にたくなんかないはずなのに……
「……え…?」
実は自分の口元に手を当てる。
(うそ…)
変わっているのは、言動だけじゃない。
それに気付いてしまった。
どうしてだろう。
拓也や梨央が何を考えているのか、手に取るように分かってしまう。
分かって、そしてそれを―――心のどこかで、馬鹿馬鹿しいと思っている。
おかしくもない状況のはずなのに、何故こんなに笑えるのだろう。
「あ……ああ……」
手がガタガタと震え出す。
自分が、明らかに変わっている。
言動や感受性、その価値観までが変容しようとしている。
「お、おい…。実……どうしたんだよ、急に。」
拓也が狼狽しながら、こちらの顔を覗き込んでくる。
しかし実は、目を見開いたまま動かない。
自分に何が起こっているのか、必死に考えた。
考えて、思い出したばかりの記憶を辿って……
『賭けてもいいね。君は、僕に飲まれるよ。』
幼い声が、脳裏によみがえった。
「―――っ!?」
ようやく事態を把握した時だ。
拓也が、身を強張らせた。
「実……さっきの銃声で、ばれたみたいだ。」
拓也が遥か向こうを睨む。
それに倣って神経を尖らせると、遠くから微かに下草を掻き分ける音がした。
ここからかなり離れたところに、小さく人の影も確認できる。
「三人…か。どうする? 倒しとくか?」
身構えて訊いてくる拓也。
しかし。
「いや……逃げよう。」
実は震える声で言いながら、首を横に振った。
それに、拓也が驚いて振り返ってくる。
「え? だって、たったの三人だぞ? 倒しといた方が―――」
「だめだ!!」
拓也の言葉を、実は必死に遮った。
息を飲む拓也の前で、実は己の肩を抱いて震える。
「だめだ……だめなんだ。今、敵を見たら……俺……俺……―――あいつらを、殺してしまう!!」
叫んで、実はいきなりその場から駆け出した。
「実!?」
拓也の声は、実に届かなかった。
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