Fairy Song

時雨青葉

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第17歩目 奴隷の町

欲望だらけの勧誘

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 分厚いく高いへいの中に乗り込んで数分。
 すでに、嫌悪感で吐き気がしそうだ。


 シュルクは徹底して無表情を貫き、とある目的地を目指す。


 それなりに情報は集めてからきたので覚悟はしていたのだが、想定以上に悲惨な光景だ。


 まるで家畜のように首輪をつけられ、死んだ目で虚空や地面を見つめる人々。


 それが、強固な鉄格子の中にわらわらと詰まっている。


 中にはミシェリアが話していたように、一糸まとわぬ姿で観衆の目に突き出されている人の姿もあった。


 そして、そんな奴隷たちを愉悦に満ちた表情で眺める人々と、受け取った金に目を爛々らんらんと輝かせる奴隷商のやから


 何がそんなに愉快なのか。


 シュルクは奥歯を噛み、歪みかける表情をどうにか無表情で取り繕う。


 喉元まで出かかっては押し込めてを繰り返し、そのせいで胸にずっしりと重くわだかまる衝動。


 それが、精神をすさまじいスピードでむしばんでいく。


 ……ここは、さっさと用事を済ませよう。


 衝動を理性で殺し、視線を下げて足早に通りを抜けていくシュルク。
 そんなシュルクの肩を。


「ねーねー、お兄さーん。」


 軽いかけ声で近寄ってきた誰かが叩いた。


「おおっ、近くで見るとますます綺麗だねぇ。」


 無言で睨みをかせたシュルクに対し、声をかけた男性は感心したように口笛を吹くだけ。


「お兄さん、こんなところに用事? もしお金がるなら、オレたちのとこで働かない?」


 シュルクの答えなど待たず、彼はシュルクに向かって手を伸ばした。


 そっと耳元に手を添え、あごのラインに沿って指をわせて顎先を捕らえる。


 その手つきとシュルクを眺める視線は何かを品定めするように鋭く、そしてねっとりと絡みついてくるものだった。


 やがて彼は満足げに笑い、シュルクのエメラルド色の髪の毛を手に取った。


「お兄さんなら人気出るよ? 女にも男にも、ね?」
「―――っ」


 微かな興奮をにじませた声でささやかれ、息を吹き込まれた耳からおぞましい悪寒が全身を駆け抜けていった。


 叫び出さずにいられたのは、本当に奇跡だったと思う。


 とっさに男性の手を振り払うシュルクだったが、こういう反応に慣れているらしい彼は、器用にシュルクの腕を捕まえる。


「まあまあ、そんな顔しないでよ。お兄さんくらい綺麗なら、ちょっとしたお触りだけで本番はなしでいいからさ。そのくらいの方が高嶺たかねの花ってことで価値も上がるし、いざお兄さんを買いたいって人が出てきた時に、大金を吹っかけられるよ? 悪い話じゃないんじゃない? ちょっと愛想よくお客さんの要望に応えてあげるだけ。それだけで、お兄さんを一生養ってくれるご主人が見つかるよ?」


 こちらが何も答えないのをいいことに、反吐へどが出る戯言ざれごとばかり―――


 シュルクは大きく顔を歪め、目の前の男性を射殺さんばかりの眼光で睨みつけた。


 生理的な嫌悪感でおかしくなりそうだ。


 彼が吐き出す言葉から。
 触れられた彼の手から。
 彼という存在そのものから、自分がけがされていくような気分。


 背筋があわ立って、体が震えそうになる。


 ざわり、と。
 周囲の空気がさざめいた。


「なんだ? 霊子が……」


 ふと虚空に目をやった男性の呟きに、シュルクはハッとして我に返った。
 慌てて男性の手からのがれ、彼から一定の距離を確保する。


 まずい。
 いきなり万事休すだ。


 荒ぶりかけた気持ちを抑えることに努めながら、これ以上霊子がざわめかないように必死に言い聞かせる。


 ―――と、その時だ。


「はい、交渉決裂ってことでー。」


 後ろから伸びた別の手が、シュルクの肩を抱いた。


「あいつの店はやめときなー? 本番はなしなんて言ってるけど、あいつは気に入った奴なら問答無用で食っちゃうから。」


 男性と自分の間に隙ができるのを見計らっていたのか、新たに現れた彼はこちらの肩をがっちりと掴んで離さない。


 その仕草はまるで、これは自分のものだと誇示するよう。


「なっ…」


 顔を赤くする男性に構わず、彼はシュルクに顔を寄せる。


「うちにおいでよ。こっちは上手くお客さんを乗せて、高いものをみついでもらえればオッケーだからさ。あんたの顔で言い寄られたら、落ちないお客さんはいないって!」


 こいつはこいつで、また勝手なことを。


 シュルクが無言で肩を掴む手から逃げようとしていると―――


「ちょいちょい、勝手に話を進めないでくれる? その子に目をつけたのは私が最初よ!」


 次は誰だ。


 露骨に嫌な顔をしたシュルクが声の方を向くと、ちょうどそのタイミングで細い両手に頬を挟まれた。


 目の前に迫った豊満な谷間と、むせ返るような香水のにおい。
 別の意味で気持ち悪くなった。


「あらやだ。本当に珍しい色ねー。これなら、着飾って置いておくだけでお客さんが釣れそうだわぁ。」


 厚化粧の女性にキスする寸前といったところまで顔を近付けられ、シュルクは少しでもそこから離れようと顔を背ける。


(目をつけられるって、ここまで性質たちが悪いものなのかよ……)


 次から次へと現れる人々に、目が回るようだった。


『用心することだ。君はダントリアンにいるだけで目をつけられるから、こそこそとしても意味がない。』


 これも、ここに来る前にヒンスから聞いた言葉だ。


 確かに、他人に比べて目鼻立ちがいいことは自覚している。


 それを鼻にかけるつもりはなかったのだが、人目を引くこの容姿のせいで散々な目に遭ったことは少なくない。


 さらに、ヒンスに聞いて初めて知ったのだが、緑系の色彩を持つ容姿はティーン領独特の血筋らしい。


 とはいえ、ティーン領でも決してポピュラーな血筋ではないとのこと。


 つまり、世界的な視野で見ると、この色彩を持つ者は天然記念物級に珍しいそうなのだ。


 ちなみに、これは母から受け継いだ特徴である。


 自分ではどうすることもできないものだとはいえ、今こういう立場に立たされていると頭が痛くなる。


 まったく、なんて面倒な組み合わせだ。


 緑系の色彩というだけでこの食いつきようなのだから、それに加えてめぐの能力を持っているなんて知られたら、それこそ自分はここから出られなくなる気がする。


 ―――とにもかくにも、だ。


 シュルクは大きく溜め息を吐き出し、自分に触れる手を一つ残らず振り払った。


「勝手に話を進めないでくれ。生憎あいにくと、俺は金に困ってるわけじゃないし、不特定多数の奴らにこびを売る気もない。俺の隣は、すでに埋まってるんでね。」


 その口から発せられた流暢りゅうちょうなペチカ語に驚いたらしい三人が、目を大きくする。


 こいつらが好き勝手言いまくってくれたおかげで、かえって冷静になることができた。


 言葉を失う彼らに、シュルクは冷たく鋭い一瞥いちべつをくれてやる。


「バーティスの酒場に用がある。」


 単純明快に、一言だけ。
 瞬間、彼らの表情に明らかな動揺が走っていった。

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