Fairy Song

時雨青葉

文字の大きさ
上 下
87 / 236
第10歩目 眩暈

信じられない自分の行動

しおりを挟む

『あの子を、殺して?』


 冷たく。
 それでもどこか甘く。


 何度もあの声が響いては、意識を絡め取っていく。


 まるで、理性が甘い毒にどんどん溶かされていくよう。
 全身がしびれて、それしか考えられなくなっていく……


「シュルク?」
「………え…?」


 くい、と。
 服のすそを小さく引かれて、ふと我に返る。


 目の前には、全く手がついていない翻訳中の資料。
 そして隣には、こちらを心配そうに見つめるフィオリアの姿。


「大丈夫? なんかぼーっとしちゃってたけど、具合悪いの?」
「あ…」


 目が合い、シュルクは思わず息を飲む。


「ちょっと、最近寝不足でな……」


 苦し紛れにそんな言い訳を口にし、シュルクはさっとフィオリアから目を逸らした。


 あの夜から数日。


 今まで以上にフィオリアとの距離感が分からなくなってしまい、彼女とまともに目を合わせられた試しがない。


 それなのに、この間からセルカのお節介がパワーアップして、何かにつけてはフィオリアと一緒に仕事をさせられることが増えた。


 今日だって、わざわざ別室で書類整理と翻訳作業を頼まれている状況だ。
 ここ数日の気疲れの度合いは、以前の比ではなかった。


 しかも、あれから毎晩リリアが霊神を使って声だけを送ってくるのがさらに厄介。


『焦らなくていいのよ。ゆっくりでいいわ。可愛い坊や。』


 決まって黙り込む自分に、リリアは今までの狂気が嘘のように優しく言う。
 それが気持ち悪くて仕方ない。


 なんだか、常にリリアの手が首にかかっているような気分。


 徐々に力を込められた結果息ができなくなって、空気を求めた自分がいつ何をやらかすのか分かったもんじゃない。


 今だって、ちょっと気を抜くだけで頭にかすみがかかる。
 この状況において、自分以上に信用ならないものはないだろう。


 それだけは確信できた。


「なんか、ほんとに変だね。いつもはもっとつっけんどんなのに。」
「俺だって生きてるんだから、調子が悪い日の一日や二日くらいあるっての。」


 これでも極力、いつもどおりを装うように意識しているつもりだ。


 しかし、こうやってフィオリアに異変を悟られるということは、それだけ自分が参っている証拠なのだろう。


 覇気のない声で言うシュルクに、フィオリアが眉を下げた。


「ねぇ、本当に大丈夫? お手伝いなんてしてる場合じゃないんじゃないの? 私、セルカさんたちに話してくるから、今日は休もうよ。」


「………」


「シュルクったら!」


 何度も肩を揺さぶられ、なかば強制的にフィオリアと目を合わせられる。


「……頼むから、しばらく放っておいてくれ。」
「だめ。お願いだから、今日は休んで。本当に顔色悪いよ?」
「ああもう…。なんでお前は……」


 シュルクは大きく息を吐いた。


 なんてお気楽なんだろう。


 目の前にいる奴がいつ自分を殺すかも分からないというのに、暢気のんきにそいつの心配をするなんて。




 本当に―――――イライラする。




 頭が冷たくしびれて、鼓動がやけにゆっくりと響く。


 ……お前はもっと、危機感というものを持つべきだ。


 フィオリアへの思いは、心の奥底だけでゆらゆらと揺れて消える。


 自分の非力さを分かってるのか?


 いくら霊神召喚ができたって、そんなものより数倍も早く迫ってくる物理的暴力に勝てるわけじゃない。


 例えば、今ここで俺がお前の首を締めたとしたら、お前は霊神召喚なんてする間もなく死ぬんだぞ?


 お前が、俺の力に勝てるわけがないんだ。
 そしたら、お前なんてあっさり―――


 そう。
 きっと……


 簡単に―――




「シュルク?」
「―――っ!!」




 澄んだ声が鼓膜を叩く。
 それにハッとして、シュルクはまばたきを繰り返した。


「今……俺…………」


 なんだか、白昼夢を見ていた気分だった。


「シュルク、やっぱ休まなきゃだめだよ。今にも倒れそうだもん。」


 フィオリアはこちらを見上げて、瞳を潤ませている。


 そんな彼女の首元に今にもかかろうとしている―――自分の手。


 それを視認した瞬間、体中の血という血が勢いよく引いていった。


「―――っ!?」


 シュルクは慌てて立ち上がって、その場から勢いよく退いた。


 その拍子に背後にあった棚にぶつかってしまい、上の方に置いてあった物が落下してくる。


「シュルク!?」


 物が落ちる派手な音も、フィオリアの叫び声も、まるで夢を見ているかのように、ぼんやりとしか聞こえてこない。


 それくらいに動揺していた。


(俺、何しようとしてた…?)


 ばくばくと暴れる心臓を押さえるように胸に手をやって、もう片方の手で震える唇を覆う。


 こんな感覚知らない。
 こんな、自分の体が自分のものじゃないような感覚なんて。


(俺は……何を考えて……) 


 彼女に惹かれている自分がいるのは事実。
 でもその中に―――彼女に対して、どす黒い感情を持つ自分もいるのか?


 もしそんな気持ちが、彼女に手を伸ばしたのだとしたら……


「………っ」


 気持ち悪い。
 地面が揺れる。


 今ここに立っているのが誰なのか。
 それすらも分からなくなりそうだ。


「シュルク、大丈夫!?」


 血相を変えて駆け寄ってくるフィオリア。


 やめてくれ。
 俺に近寄るな。


 本当に、何をするか分からないから……


 今まさに起きたかもしれない〝もしも〟を全神経が拒絶しようとして、現実がかすんでぼやけていく。


 いっそこのまま、意識を手放してしまいたいと。
 切にそう願った。


 その時―――




「シュルクー!! 山に行こうぜー!!」




 フィオリアとは明らかに違う、無邪気な声が部屋に響いた。


「……あれ、どうかした?」


 真っ青な顔のシュルクと今にも泣きそうなフィオリアの双方を見やり、ルーウェルはきょとんと首を傾げる。


「なんでもない。今行く。」


 シュルクは首を横に振り、ルーウェルの元へと急いだ。
 完全にすがる思いだった。


「えっ……シュルク!?」
「ちょっと外の空気を吸ってくる。そこの書類は、帰ってから片付けるって伝えといて。」


 早口に要件だけを伝え、シュルクは一刻も早く部屋を出ようとした。


「だ、だめだって! 今はそれどころじゃ―――」
「触るな!!」


 シュルクを引き留めようとしたフィオリアの手は、鋭い一喝と共に強く払われる。


「あっ…」


 振り払ってから自分の行いに気付いて、シュルクは大きく狼狽うろたえてしまった。


「……わ、悪い。本当に大丈夫だから………今は、行かせてくれ。頼むから……」


 フィオリアと目を合わせないまま、シュルクは消え入りそうな声を絞り出す。


 こんなに大きく取り乱しておいて、今さら〝大丈夫〟という言葉に信憑性しんぴょうせいなんて皆無。


 それでも今は、とにかくフィオリアと同じ空間にいたくない。


「………っ」


 大きく顔を歪め、シュルクは逃げるように部屋を後にした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

問い・その極悪令嬢は本当に有罪だったのか。

風和ふわ
ファンタジー
三日前、とある女子生徒が通称「極悪令嬢」のアース・クリスタに毒殺されようとした。 噂によると、極悪令嬢アースはその女生徒の美貌と才能を妬んで毒殺を企んだらしい。 そこで、極悪令嬢を退学させるか否か、生徒会で決定することになった。 生徒会のほぼ全員が極悪令嬢の有罪を疑わなかった。しかし── 「ちょっといいかな。これらの証拠にはどれも矛盾があるように見えるんだけど」 一人だけ。生徒会長のウラヌスだけが、そう主張した。 そこで生徒会は改めて証拠を見直し、今回の毒殺事件についてウラヌスを中心として話し合っていく──。

S級冒険者の子どもが進む道

干支猫
ファンタジー
【12/26完結】 とある小さな村、元冒険者の両親の下に生まれた子、ヨハン。 父親譲りの剣の才能に母親譲りの魔法の才能は両親の想定の遥か上をいく。 そうして王都の冒険者学校に入学を決め、出会った仲間と様々な学生生活を送っていった。 その中で魔族の存在にエルフの歴史を知る。そして魔王の復活を聞いた。 魔王とはいったい? ※感想に盛大なネタバレがあるので閲覧の際はご注意ください。

【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

とある元令嬢の選択

こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...