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第3章 変化がもたらすもの
正しくないこと
しおりを挟む「シアノ君、どうしたの? シアノ君?」
エリクが何度も呼んでいる。
だけど、それに何も答えられない。
答えられる余裕がなかった。
「………っ」
シアノは、震える両手でエリクの胸元を握る。
―――今だ。
頭の中で、もう一人の自分が囁く。
今なら殺せる。
この爪を彼の首筋に突き立てて、思いっきり切り裂いてやればいい。
まさか彼も、自分が命を狙ってくるなんて思わないだろう。
隙だらけな彼を見ていれば、それは明白。
一瞬。
一瞬でいい。
暴れたふりで彼を傷つけた後は、振り返らずに逃げてしまえ。
見なければきっと、思い出さずに済む。
父さんのいい子でいたいんでしょ?
だったら、このチャンスを逃しちゃだめだって。
「う…っ」
シアノはきつく目を閉じる。
怖い。
こんなことを考える自分が怖い。
殺したい。
殺したくない。
逃げ出したい。
離れたくない。
正反対の思いが正面からぶつかって、気持ち悪い眩暈がする。
どうすればいいのか分からない。
「―――はぁ……」
どこか落胆したような溜め息が聞こえたのは、その時のこと。
「シアノ、代わりなさい。」
「―――っ!!」
その言葉が脳内に響いて、息が止まりそうになった。
「あ…」
緩やかに意識が引っ張られる感覚。
それを感じながら、視線を上へ。
「大丈夫? 怖かった?」
エリクはただ、心配そうな表情でこちらを見つめるだけ。
今度こそ、本当に死んじゃう?
こうやって抱き締めてもらうことも、お話することもできないの?
「―――やだ。」
その一言を紡いだ瞬間、悪魔のような自分が消える。
心を満たすのは、嫌だという感情だけだ。
「シアノ!?」
まさかの展開に、父が声をひっくり返す。
途端に目の前が闇に塗りたくられそうになり、頭を抱えてそれに抗った。
「シアノ、大丈夫だ。代わってくれれば、怖いことは何もない。エリクの死体なんて見せないから。」
「やだ…っ」
何度も頭を振って、体を乗っ取ってこようとする父に渾身の力で逆らう。
「シアノ……父さんのお願いなのに?」
「やだ……絶対にやだ…っ」
「どうして嫌なんだい? どうせ、これでお別れなんだよ? 今殺さなくても、結局は死んでしまうんだよ?」
「やだ……やだやだ…っ」
「シアノ、いいから代わりなさい。悪いようにはしないから。」
「やだやだやだ…っ」
「シアノ!!」
初めて聞く、父の叱責。
それで、張り詰めていた糸がプツリと切れた。
「やだ―――っ!!」
がむしゃらに叫んで、エリクを強く突き飛ばす。
その拍子にバランスを崩して、ベッドから床へと落ちてしまった。
まともに受け身も取れなくて、強か打った後頭部が痛む。
その痛みが自分を現実に引き戻してくれるようで、今はそれが心地よくさえ思えた。
(ぼくは……―――エリクに生きててほしい。)
強く。
強くそう願う。
たとえこの先、二度と会えなくなるんだとしても。
結局、最後には死んじゃうんだとしても。
今この時だけでも、彼に生きていてほしい。
願いが叶うなら、この先もずっと……
「シアノ君!?」
「………っ」
エリクが慌ててベッドから降りて、ひっくり返ったまま動かない自分を起こしてくれる。
「大丈夫!? たんこぶできてない!? すぐにお医者さん呼ぼうね!」
「ちっ…」
ナースコールに手をかけたエリクを見て、父が舌を打つ。
そのまま何も言うことなく、その気配は彼方へと消えていった。
「………」
がっくりとうなだれるシアノは、しばらく黙り込んでいた。
(父さんに……やだって言っちゃった…。怒らせちゃった……)
今さらのように、全身が恐怖ですくむ。
初めて、父のお願いに逆らってしまった。
自分はもう、いい子じゃない。
日頃から、使えない人間はさっさと殺して捨てるに限ると言っている父だ。
さすがの自分も、許してもらえないかもしれない。
「シアノ君……」
そっと肩に置かれる手。
のろのろと顔を上げれば、エリクが心配そうな表情でこちらを見つめている。
父さんは正しい。
ずっと、自分にそう言い聞かせてきた。
だって、本当に正しかったんだもん。
人間は醜かった。
生かす価値もない存在だって、自分を見下ろす冷たい目を見る度に痛感したんだ。
「ふぇ……」
でも……
だけど……
「―――――ごめんなさあぁい…っ」
こんな優しい目をした人を殺すなんて、絶対に正しくないよ……
「……へっ!?」
突然の謝罪に驚くエリク。
そんな彼の前で、シアノは大声をあげて泣き始めてしまう。
「ぼくが……ぼくが悪いんだ…っ」
「悪いって…?」
「ぼくが、血を飲ませたから…っ。だからエリクが、死んじゃいそうになっちゃったんだ!!」
「………っ」
「ごめんなさい……ごめんなさい…っ。父さんはエリクを殺しなさいって言ったけど……ぼく、そんなのやだよぉっ!!」
もう、この気持ちを我慢なんかできない。
本当は、ずっと言ってしまいたかった。
エリクに謝りたくて仕方なかったんだ。
ごめんなさい、ごめんなさいと。
大粒の涙を零しながら、シアノは壊れた機械のようにそれだけを繰り返す。
「シアノ君……」
シアノを見つめるエリク。
その目元が、ふいに大きく歪む。
躊躇うことなくシアノに両手を伸ばしたエリクは―――その小さな体を、しっかりと抱き締めた。
「………っ」
痛いほどに力を込めてくる温もりに、シアノは目をまんまるにする。
びっくりしすぎたせいか、瞬間的に涙が引っ込んだ。
その頭に、ぽんと。
エリクのものとは違う、大きな手が置かれる。
「偉いぞ。よく言えたな。」
そこにいた人物に、シアノはさらに混乱。
どうして?
さっき、部屋から出ていったはずじゃないの?
つぶらな双眸にそう問われて、ミゲルは思わず苦笑い。
そんな彼と微笑み合ったエリクは、シアノと目線を合わせると、指先でそっとシアノの涙をすくった。
「騙してごめんね。ちゃんとシアノ君の気持ちを聞いてから捕まえないと意味がないと思って、ミゲルと一緒にお芝居をしたんだ。」
「お芝居…?」
首を傾げるシアノに、エリクはこくりと頷く。
そして次に、こう告げた。
「本当はね―――ずっと前から、知ってたよ。」
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