竜焔の騎士

時雨青葉

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第3章 変化がもたらすもの

事件後の対面

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 何度も何度も迷って。
 何度も何度も引き返しかけて。


 それでもなんとか、この自動ドアをくぐるに至った。


 フードを目深く被ったシアノは、しきりに周囲を気にしながら病院を進む。


 大丈夫。
 きっとばれない。


 自分にそう言い聞かせながら、手元の紙を強く握り締める。


 最後にお別れをしてきなさい。
 父はそう言ったけど、自分にはもう、それすらもできないのだと知った。


 バイバイ、なんて。


 大好きな人に向かって、あの時みたいに平然と別れなんて言えない。
 本当は別れたくないんだから。


 でも、父の言うことは絶対。
 だからせめて、手紙を置いていくことにした。


 これなら、エリクに会わなくていい。
 どこか悲しそうで寂しそうだった彼を、もう一度見なくて済むのだ。


 ばくばくと暴れる心臓を落ち着けるように意識しながら、エリクの病室へ。
 音を立てないように扉を開くと、中には誰もいなかった。


 それにほっとして、そそくさとベッドに近寄る。
 そして、ベッドの枕元に手紙を置いた。


「……バイバイ。」


 手放した手紙に、そっと思いを託す。
 その瞬間、目から涙が零れてしまった。


「あ…」


 次々と滴り落ちる温かい雫に、シアノは驚いて目をまたたいた。


「う……うう…っ」


 どうしよう。
 止まらない。


 やっぱり嫌だ。
 手紙でだって、バイバイなんて言いたくない。
 一人くらい、大目に見てくれたっていいじゃん。


 信じ切っていた父にそんな不満を抱いてしまうほど、心が全力で嫌がっている。
 それくらい、エリクのことが大好きだから。


 泣いているシアノは気付かない。
 ベッドを囲むカーテンの陰から、一人の人物が出てきたことに。


「―――っ!!」


 後ろから、ぎゅっと抱き締められる。
 それに驚いて息を飲めば、よく見知った香りが鼻をくすぐった。




「よかった。もう一度、会いに来てくれて。」




 耳元で囁く優しい声。
 それを聞くと、無条件でほっとするようだった。


「エリク……」


「カティアから君と会ったって聞いて、ずっと待ってたんだ。びっくりさせちゃってごめんね。」


「う…っ」


「もう、こんなに目を真っ赤にしちゃって…。そんなに泣いちゃうくらい嫌なのに、どうしてまたバイバイなんて言うの?」


 優しい微笑みで、頭をなでてくれるエリク。


 よかった。
 ちゃんと生きている。
 ちゃんとさわれる。


 それを実感すると、さらに涙があふれてきてしまった。


「!」


 ふとその時、何かに気付いたエリクが扉の方を振り返る。


「シアノ君、こっちにおいで!」
「―――っ!?」


 強く腕を引かれて、エリクと一緒にベッドの上へ。
 何が起こったのか分からずにいる間にエリクに抱き寄せられて、全身にすっぽりと毛布をかけられた。


「じっとしててね。」


 ひそめた声でそう言われる。
 それから数秒と経たないうちに、病室の扉がノックされた。


「邪魔するぜー。」


 彼の声は知っている。
 それだけに、どきりと心臓が跳ねた。


 相手を悟ったシアノが思わずエリクにしがみつくと、彼は毛布の中に隠した片腕でしっかりとシアノを抱き締める。


 そんな見えないやり取りに気付いていないミゲルは、きょとんとまぶたを叩いた。


「お? 珍しいな。お前がこの時間にベッドに潜り込んでるなんて。」
「いやぁ、今日はちょっと起きてるのがきつくて。」


 エリクがそう言うと、ミゲルは呆れたように片眉を上げた。


「ほら見たことか。自業自得だわ。嫁さんに散々怒られてるくせに、患者が気になるっつって動き回るからだよ。」


 そんなミゲルの発言に、エリクはなんともいえない表情で顔を赤らめた。


「あ、あはは…。ミゲルまでカティアをお嫁さん扱いする…。プロポーズもまだなのに……」


「でも、プロポーズのために指輪を選んでる最中だったんだろ?」


「ま、まあね…。結局、二人で選ぼうかってなったよ。」


「じゃあもう嫁さんでいいじゃねぇか。」


「はあぁ…。父さんに乗せられて、普通に口を滑らせちゃったよ…。ちゃんとプロポーズを済ませてから紹介する予定だったのに、いつの間に仲良くなってたんだか……」


「大事な人間が死にかけって状況で、秘密もくそもないわな。」


「……ですよね。サプライズ感がなくて味気ないかもしれないけど、場を改めてちゃんとプロポーズするよ。」


「おう、そうしとけ。」


 ミゲルは特に、こちらを疑っている様子はない。


 しかし、何も見えない状況ではその認識が正しいかも分からないので、シアノはエリクの腕の中で震えるばかりだった。


 それを感じ取っているエリクも、動揺を悟られないように渾身の演技を続ける。


「ところで、今日はどうしたの?」


「どうしたのも何も、お前の転院手続きを詰めにきたんだよ。いつまでも宮殿の関係者が、一般病院を巡回してるわけにはいかねぇだろ? そろそろごまかすのもきついって、院長先生から泣きつかれてんだ。」


「あはは、ご迷惑を…。じゃあ、アルシード君も一緒に転院するの?」


「あいつはとっくの昔に宮殿に戻って、オークスさんの研究室に引きこもってるよ。勝手に入ってきたら社会的に抹殺してやるってお触れが出てて、誰も近寄れねぇんだ。そこまで秘密を知られるのが嫌かね、あの馬鹿は。」


「ミゲルー。ねないでー。心配しなくても、ちゃんと話してくれるって。僕は事故で知っちゃったようなもんだから。」


「……ふん。」


 すっかりへそを曲げてしまったミゲルは、顔を逸らせてすまし顔。
 エリクは苦笑した。


「それにしても、とうとう転院かぁ…。話が長くなりそうだなぁ…。ねぇ、ミゲルー。話の前に、いつものカフェでカフェオレでも買ってきてくれない?」


「はあ?」


 ジョーの話で機嫌を悪くしていたせいか、ミゲルは少し不満そうに顔をしかめた。


「お前なぁ…。なんかこの一件から、おれの扱いが雑になってねぇか?」


「失礼な。仲が深まった分、わがままを言えるようになったって思ってよ。退院したら、お礼に何かおごるからさ。」


「……冗談だよ。病人に礼をさせるほど、おれは狭量じゃねえっての。」


「やだ、素敵。」


「はいはい。じゃあ、ちょっと行ってくるわ。お前はその間、嫁さんの検診でも受けとけ。」


 ひらひらと手を振って、ミゲルが病室を去っていく。


 数分ほど動かないまま、彼が戻ってこないかを観察。
 大丈夫だと確信できたところで、エリクは大きく息を吐いた。


「シアノ君、ごめんね。苦しくなかった?」


 ずっときつく抱き締めていた小さな体に、エリクは気遣わしげに問いかける。
 そこで彼は、怪訝けげんそうに眉を寄せた。


「シアノ君…?」


 ミゲルが出ていったはずなのに、震えが止まらないシアノ。
 その両目は大きく見開かれて、完全に凍りついていた。

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