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第8章 次なるターゲット
互いに理想を投射して―――
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もうやめてくれ、と。
そう叫びたくなるくらいに続くアクシデント。
立ち止まって身を折りたくなっても、普段どおりの仕事というのは、休むことを許してはくれない。
多くの人々が胸に非日常を抱えながら、日常に忙殺される。
「―――はぁ……」
大量の書類を相手に手を動かしていたターニャが、ふとした拍子に作業を止める。
「ターニャ……」
その溜め息に込められた大きな疲労に、彼女の傍にいたフールは気遣わしげに声をかけた。
「……私は神官です。」
ターニャは突然、フールにそんなことを言い始めた。
「国の安寧を守るのは、常に命懸けです。いつ何が起こって、誰が犠牲になったとしても、大黒柱が折れるわけにはいかないんです。時には、大のために小を切り捨てる判断も必要になるんです。この程度のことで動揺していては、総督部と対等に張り合っていけない。」
「………」
「それなのに……オークスさんの言うことは、正しかったのですね。共に駆け抜けてきた長い月日には……どうしたって、勝てないようです…っ」
語るターニャの唇が歪み、力のこもった目元に涙が滲む。
黙して彼女の気持ちを聞いていたフールは、そこで優しく肩を叩いた。
「仕方ないよ。あの子がディアと一緒に君の右腕になってから、五年以上も経つんだ。表ではディアが、裏ではあの子が……我ながら、本当にいい駒を揃えられたと思うよ。繋ぎ止める鎖がなんであれ、あの二人は自分の領域にいる人間をとことん守る。君が深く信頼するのも当たり前さ。」
「ええ……そうです……」
ターニャはこくりと頷く。
「これはランドルフさんとの契約だから、対価が支払われる間は協力する……と。ジョーさんは……いえ、アルシードさんは、私にそう言いました。ですが……それにしては、手心を込めすぎでしたよ。」
誰にも言えない心を零しながら、ターニャは眉を下げて笑う。
「あくまでも契約と言うなら……せめて、私が竜使いであることに嫌悪感を示してくれればよかったんです。なのに、アルシードさんはディアと同じで、なんとも思っていない顔で、当然のように私に手を差し伸べたんですよ?」
「まあ、あの子の根っこは科学者だからね。先入観や常識なんてものには、最初から縛られてないと思うよ。それに、裏の世界に浸っていたあの子には、君なんて可愛くさえ見えただろうしね。」
「だからって、あそこまでしますか? 甘えてきた私が言うのもおかしいかもしれませんが、甘やかしすぎですよ? そんな人……ディアしかいないって思っていたのに…っ」
「あの子は認められる人間のハードルが高い分、それを越えられた人間にはとことん甘いんだ。だけど十中八九、本人がそれに気付いてない。」
「何故私は、そのハードルを越えられたのでしょう…?」
「それは、君があの子を認めている理由と同じじゃないかな?」
フールがそう指摘すると……
「そうですか…。そうかもしれませんね……」
心当たりがあるらしいターニャは、異を唱えることなく瞑目した。
何があっても、折れるわけにはいかない。
そんな信念を掲げて、常に冷静沈着でいようとするターニャにとって、ジョーはまさにそれを体現したお手本だっただろう。
だから、キリハがドラコン討伐で負傷したあの時、彼女は毅然とした態度で皆を諌めることができた。
意気消沈する皆の中に一人だけ、普段と変わらない様子で仕事に徹するジョーがいたから。
そしてそれは、おそらくジョーも同じ。
同じ理想と信念を互いに投射して、困難に強く立ち向かう相手を見て己を奮い立たせる。
この二人の信頼関係は、そんな形で成り立っていたのだろう。
だからこそ互いに抱く依存性と仲間意識が強く、互いを守って支えようと必死になる。
―――相手が折れたら、なし崩し的に自分まで折れてしまうかもしれないから。
特に竜使い故に味方が少なかったターニャは、それこそ彼を半身のように感じていたはずだ。
ディアラントにしか言えない気持ちがあったように、ジョーにしかできない相談がたくさんあった彼女を、自分はずっと見てきた。
「アルシードさんが十五年前にここで暮らしていたと聞いて、ちょっと複雑です。その時からあの人と共にあれたら……私は、あの人を選んでいたかもしれませんから。」
「ええー? やめときなって。」
ターニャが言う〝もしも〟を、フールは明るく笑い飛ばす。
「君たち二人がそんな関係になってたら、プライベートも仕事もなくて疲れ果ててたと思うよ? 常に眉間にしわを寄せがちな君には、あの天然バカがちょうどいいって。アルシードは、今の相棒枠でとどめておくのが正解さ。」
「そうですか…?」
「そうそう。」
再度ぽんぽんとターニャの肩を叩き、フールは笑う。
「大丈夫。アルシードはきっと、この窮地を乗り切ってくれるよ。そして一度こっちに戻ってさえこられれば、これまでどおり、可愛げのないふてぶてしい子に戻るって。」
「え…?」
フールの希望的観測。
それに、ターニャは目を丸くする。
「この前と、言っていることが真逆です。」
「にゃはは。この前とは、状況が変わったんだよ~。」
戸惑うターニャに対し、フールはどこかご機嫌。
「超強力な叩き起こし要員が、アルシードを迎えに行ったからね。本人が嫌がったとしても……―――あの子が、無理やりにでも光の中に放り投げてくれるさ。」
ばっちりとウインクを決め、フールは自信満々にそう宣言するのだった。
そう叫びたくなるくらいに続くアクシデント。
立ち止まって身を折りたくなっても、普段どおりの仕事というのは、休むことを許してはくれない。
多くの人々が胸に非日常を抱えながら、日常に忙殺される。
「―――はぁ……」
大量の書類を相手に手を動かしていたターニャが、ふとした拍子に作業を止める。
「ターニャ……」
その溜め息に込められた大きな疲労に、彼女の傍にいたフールは気遣わしげに声をかけた。
「……私は神官です。」
ターニャは突然、フールにそんなことを言い始めた。
「国の安寧を守るのは、常に命懸けです。いつ何が起こって、誰が犠牲になったとしても、大黒柱が折れるわけにはいかないんです。時には、大のために小を切り捨てる判断も必要になるんです。この程度のことで動揺していては、総督部と対等に張り合っていけない。」
「………」
「それなのに……オークスさんの言うことは、正しかったのですね。共に駆け抜けてきた長い月日には……どうしたって、勝てないようです…っ」
語るターニャの唇が歪み、力のこもった目元に涙が滲む。
黙して彼女の気持ちを聞いていたフールは、そこで優しく肩を叩いた。
「仕方ないよ。あの子がディアと一緒に君の右腕になってから、五年以上も経つんだ。表ではディアが、裏ではあの子が……我ながら、本当にいい駒を揃えられたと思うよ。繋ぎ止める鎖がなんであれ、あの二人は自分の領域にいる人間をとことん守る。君が深く信頼するのも当たり前さ。」
「ええ……そうです……」
ターニャはこくりと頷く。
「これはランドルフさんとの契約だから、対価が支払われる間は協力する……と。ジョーさんは……いえ、アルシードさんは、私にそう言いました。ですが……それにしては、手心を込めすぎでしたよ。」
誰にも言えない心を零しながら、ターニャは眉を下げて笑う。
「あくまでも契約と言うなら……せめて、私が竜使いであることに嫌悪感を示してくれればよかったんです。なのに、アルシードさんはディアと同じで、なんとも思っていない顔で、当然のように私に手を差し伸べたんですよ?」
「まあ、あの子の根っこは科学者だからね。先入観や常識なんてものには、最初から縛られてないと思うよ。それに、裏の世界に浸っていたあの子には、君なんて可愛くさえ見えただろうしね。」
「だからって、あそこまでしますか? 甘えてきた私が言うのもおかしいかもしれませんが、甘やかしすぎですよ? そんな人……ディアしかいないって思っていたのに…っ」
「あの子は認められる人間のハードルが高い分、それを越えられた人間にはとことん甘いんだ。だけど十中八九、本人がそれに気付いてない。」
「何故私は、そのハードルを越えられたのでしょう…?」
「それは、君があの子を認めている理由と同じじゃないかな?」
フールがそう指摘すると……
「そうですか…。そうかもしれませんね……」
心当たりがあるらしいターニャは、異を唱えることなく瞑目した。
何があっても、折れるわけにはいかない。
そんな信念を掲げて、常に冷静沈着でいようとするターニャにとって、ジョーはまさにそれを体現したお手本だっただろう。
だから、キリハがドラコン討伐で負傷したあの時、彼女は毅然とした態度で皆を諌めることができた。
意気消沈する皆の中に一人だけ、普段と変わらない様子で仕事に徹するジョーがいたから。
そしてそれは、おそらくジョーも同じ。
同じ理想と信念を互いに投射して、困難に強く立ち向かう相手を見て己を奮い立たせる。
この二人の信頼関係は、そんな形で成り立っていたのだろう。
だからこそ互いに抱く依存性と仲間意識が強く、互いを守って支えようと必死になる。
―――相手が折れたら、なし崩し的に自分まで折れてしまうかもしれないから。
特に竜使い故に味方が少なかったターニャは、それこそ彼を半身のように感じていたはずだ。
ディアラントにしか言えない気持ちがあったように、ジョーにしかできない相談がたくさんあった彼女を、自分はずっと見てきた。
「アルシードさんが十五年前にここで暮らしていたと聞いて、ちょっと複雑です。その時からあの人と共にあれたら……私は、あの人を選んでいたかもしれませんから。」
「ええー? やめときなって。」
ターニャが言う〝もしも〟を、フールは明るく笑い飛ばす。
「君たち二人がそんな関係になってたら、プライベートも仕事もなくて疲れ果ててたと思うよ? 常に眉間にしわを寄せがちな君には、あの天然バカがちょうどいいって。アルシードは、今の相棒枠でとどめておくのが正解さ。」
「そうですか…?」
「そうそう。」
再度ぽんぽんとターニャの肩を叩き、フールは笑う。
「大丈夫。アルシードはきっと、この窮地を乗り切ってくれるよ。そして一度こっちに戻ってさえこられれば、これまでどおり、可愛げのないふてぶてしい子に戻るって。」
「え…?」
フールの希望的観測。
それに、ターニャは目を丸くする。
「この前と、言っていることが真逆です。」
「にゃはは。この前とは、状況が変わったんだよ~。」
戸惑うターニャに対し、フールはどこかご機嫌。
「超強力な叩き起こし要員が、アルシードを迎えに行ったからね。本人が嫌がったとしても……―――あの子が、無理やりにでも光の中に放り投げてくれるさ。」
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