409 / 598
第4章 それぞれが深みへ……
悲しく切ない子守歌
しおりを挟む「くっ……なんて熱さだ。」
扉をすり抜けて病室に入ったユアンは、思わず袖口で口元を覆う。
肉体を持っていない自分にもここまでの熱さを感じさせるとは、《焔乱舞》がかなり興奮していると見える。
「はは…。僕が三百年前に焔を持ててたなら……シアノを殺された時に、もっとすごい炎でレクトを焼けたんだろうな……」
そうすれば、こんなことにはならなかったのに。
思っても意味のないことが、頭を巡る。
それを振り切るように、ユアンは周囲を見渡した。
大丈夫だ。
点滴のチューブが融けていたり、カーテンが焦げていたりはするが、炎は建物を燃やしてはいない。
ギリギリで、キリハが最後の理性を繋いでいるようだ。
「キリハ……」
捜す姿を見つけ、ユアンは眉を下げる。
病室の隅。
子供のように膝を抱えて、キリハは小さく縮こまっていた。
彼の周囲には、炎がぐるぐると渦を作っている。
まるで、弱りきってしまったこの子を守るように。
(君も……この子が大好きなんだね。)
かつて自分が生み出した我が子のような存在に、気付けばそう語りかけていた。
自分の声は、この子に届くだろうか。
傷を負ったこの子に、触れることは叶うだろうか。
キリハの前に膝をついた瞬間、そんな不安に駆られる。
―――いや。きっと大丈夫。
この子は一度、夢見の合間に自分を見つめてくれた。
そして自分は、その時確かにこの子に触れられたはずだから。
ゆっくりと手を伸ばす。
(焔……君が大好きなこの子を守るために、力を貸しておくれ。)
これはきっと、我が子たる《焔乱舞》が自分にもたらしてくれた奇跡。
長い時を超えて、かつての自分と同じ志を持てる優しいキリハの心と自分の心を―――魂と魂を結んだ、たった一度の奇跡なのだろう。
小さな肩に、指先が触れる。
もっと手を伸ばせば、しっかりとその腕を掴める。
奇跡を噛み締めて。
涙を飲んで。
以前は頭をなでるにとどめたキリハを―――強く抱き締める。
「キリハ。僕の声が聞こえるかい?」
そっと。
震える体に呼びかける。
すると、あんなに周囲を拒絶していた心が反応を示した。
「―――ユアン……なの…?」
弱々しい声ながらも、キリハは確かに自分の名前を呼ぶ。
ユアンは微笑んで、キリハの頬をそっとなでた。
「そうだよ。この姿で会うのは、二度目だね。」
囁くように頷いて、キリハの瞳から零れていく涙をすくってやる。
自分と同じになってしまった、紅色の瞳。
それが、胸に罪悪感のナイフを深く突き立てる。
自分と同じ道を辿って、ドラゴンに手を伸ばさなければ……この子は、こんなにも傷つかなかっただろうか。
レクトにもジャミルにも目をつけられることなく、ただ純粋に、大好きな人たちと共に笑っていられただろうか。
「本当にごめんね……」
謝って許されることではないと、分かってはいるけれど。
それでもこの炎の中では、ちっぽけな人間の一人に戻らせてくれ。
「キリハ。ゆっくりでいいから、炎を鎮めよう。」
「………」
こちらの言葉に、キリハは頷かない。
「………?」
キリハの様子を窺って、ユアンは微かに眉を寄せる。
やたらと落ち着いた、キリハの表情。
その双眸に宿る光はきちんとした意思を伴っていて、ただ静かにこちらを貫いてくる。
止められないわけじゃない。
止めたくない。
キリハの態度が、そう訴えているように見えた。
「キリハ…?」
「……して?」
キリハの唇が、薄く開く。
「どうして―――鎮めなきゃいけないの?」
それは、あまりにもまっすぐで、純粋な口調での問いかけだった。
「どうしてって……」
「だって今は、人間を裁く時じゃないの?」
「―――っ!?」
ぶつけられた言葉に、ユアンは大きく目を見開く。
「だ、だめだ!!」
とっさに、その肩を大きく揺さぶっていた。
かつてのシアノと、道が分かれた。
だけどその道は、シアノ以上に救いのない奈落への道だ。
このままではなんの揶揄でもなく、《焔乱舞》が破滅の剣となってしまう。
そしてその破滅は、最後にキリハの心を完膚なきまでに壊してしまう。
「落ち着いて! 今の君が、人間を信じられなくなる気持ちは分かる! だけど、それは君が本当に望むことではないはずだ!! 一時の感情に盲目になって自分を殺した子がどうなるか…っ。僕は、君にまでそうなってほしくない!!」
どうにか、この気持ちが伝わってくれと。
ありったけの力を込めて叫ぶ。
「………」
キリハは何も告げないまま、微かに視線を下げた。
しばらくの時間が流れて。
「……そうだね。」
空虚な声で、小さく呟いた。
「俺……本当に、何も知らなかったんだなって……そう思った。宮殿に来てから、嫌なこともつらいこともたくさんあって……理想だけじゃなくて、少しは現実も見られるようになったんだって思ってたけど……随分と身勝手な、自己満足だったよね。」
「キリハ……」
「今なら、俺……レクトの気持ちが分かる気がする。」
人間を裁かんとする炎を身にまとったまま、キリハは訥々と語る。
「人間の、どこが美しいんだろう…? 俺はやっぱり、ドラゴン大戦がレクトのせいだけで起こったものだとは思えない。」
「………」
「今まで、たくさんのものを見てきた。人間の話も、ドラゴンの話もたくさん聞いた。その上で思う。……いつだって、傷つけるのは人間の方だよ。」
「………」
「どうして、こうなっちゃったんだろう…? そんなに……そんなに、ドラゴンと仲良くなろうとしたことがいけなかったのかな? 友達になりたいって思っちゃいけなかったのかな? どうして人間は……自分とは違う何かを、こんなにも攻撃しちゃうの…?」
キリハが至ってしまった結論が、耳に痛い。
無垢な問いかけが、こんなにも胸を締め上げてくる。
「―――ああ、そうだね……」
自分には、こうとしか言えない。
一度同じ苦悩を味わった身として、この子の想いを否定なんてできない……
ユアンは静かに目を閉じて、もう一度キリハをその胸に抱く。
「僕も、腐るほど見てきたよ。何百年もの間、愚かな人間の姿も、美しい人間の姿も……」
「………」
「分からないね。分からなくて当然だ。僕だって分からないもの。見れば見るほど、知れば知るほど、人間はどんな生き物か分からなくなる。こうしてよかったんだって思うことより……どうしてこうなっちゃったんだろうって思うことの方が多いのが人間さ。」
「………」
「―――いいよ、キリハ。」
ユアンは優しく告げる。
「人間のことを、これまでどおりに信じてくれとは言わない。疑ったっていい。嫌いになったって構わない。君の心は誰に縛られるものでもなく、君だけが形を決められるものだ。僕は―――どんな君も、肯定するよ。」
「………」
キリハはやはり、何も答えなかった。
ただ……ゆっくりと。
瞼が半分落ちて、瞳から光が拡散して、その体がユアンの胸に傾いでいく。
「うん…。今は、色んなことが起こりすぎて、色んなことを考えすぎて、疲れちゃったね。まずはとにかく、ゆっくりと眠ろう。」
「………」
「本当に……本当によく頑張った。誰も傷つけずに今日を乗り越えたことを、めいいっぱい誇るといい。君は本当に、とても優しい子だ。焔を託せたのが、君でよかった。」
少しずつ。
少しずつ、炎の勢いが落ちていく。
「……父さん……母さん……」
空気に溶けていくような囁き。
それと共に、閉じた瞼の隙間から新たな雫が落ちていく。
「おやすみ……可愛い坊や。」
己と同じ苦痛と、己とは違う苦痛を同時に味わう子孫。
愛しい子供を胸に抱いて、遠い先祖は歌を歌う。
それは炎と共に消えていく、悲しく切ない子守歌―――
0
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説


勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~
モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎
飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。
保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。
そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。
召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。
強制的に放り込まれた異世界。
知らない土地、知らない人、知らない世界。
不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。
そんなほのぼのとした物語。

この青く澄んだ世界は希望の酸素で満ちている
朝陽七彩
恋愛
ここは。
現実の世界ではない。
それならば……?
❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋
南瀬彩珠(みなせ あじゅ)
高校一年生
那覇空澄(なは あすみ)
高校一年生・彩珠が小学生の頃からの同級生
❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋✵❋

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

はぁ?とりあえず寝てていい?
夕凪
ファンタジー
嫌いな両親と同級生から逃げて、アメリカ留学をした帰り道。帰国中の飛行機が事故を起こし、日本の女子高生だった私は墜落死した。特に未練もなかったが、強いて言えば、大好きなもふもふと一緒に暮らしたかった。しかし何故か、剣と魔法の異世界で、貴族の子として転生していた。しかも男の子で。今世の両親はとてもやさしくいい人たちで、さらには前世にはいなかった兄弟がいた。せっかくだから思いっきり、もふもふと戯れたい!惰眠を貪りたい!のんびり自由に生きたい!そう思っていたが、5歳の時に行われる判定の儀という、魔法属性を調べた日を境に、幸せな日常が崩れ去っていった・・・。その後、名を変え別の人物として、相棒のもふもふと共に旅に出る。相棒のもふもふであるズィーリオスの為の旅が、次第に自分自身の未来に深く関わっていき、仲間と共に逃れられない運命の荒波に飲み込まれていく。
※第二章は全体的に説明回が多いです。
<<<小説家になろうにて先行投稿しています>>>

お前じゃないと、追い出されたが最強に成りました。ざまぁ~見ろ(笑)
いくみ
ファンタジー
お前じゃないと、追い出されたので楽しく復讐させて貰いますね。実は転生者で今世紀では貴族出身、前世の記憶が在る、今まで能力を隠して居たがもう我慢しなくて良いな、開き直った男が楽しくパーティーメンバーに復讐していく物語。
---------
掲載は不定期になります。
追記
「ざまぁ」までがかなり時間が掛かります。
お知らせ
カクヨム様でも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる