竜焔の騎士

時雨青葉

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第5章 動くそれぞれ

欲しかった言葉

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「エリクさん……」


 そこに立っていた彼に、驚いてしまった。


「ふふ。たまたま見かけたから、声かけちゃった。」


 茶目っ気を含めてそう言ったエリクは、隣に腰かけてくる。
 そして、柔らかい微笑みをこちらに向けてきた。


「どうしたの? そんなに浮かない顔して。」
「あ……えっと……」


 問われたキリハは困惑する。


 どうしよう。
 ここでエリクに会うなんて、想像もしていなかった。


 ルカと一緒で、他人の心情を見抜くことが得意な彼だ。
 下手なごまかしは通用しない。


「その……」


 ない頭をフル回転。


「実は……仲がよかった人と、喧嘩しちゃって……」


 絞り出せたのは、フールとのことだった。


「ふむ、喧嘩かぁ……」


 エリクは特に疑うことなく、何かを考えるように虚空を見上げた。
 まあ、これも大きな悩み事の一つなので、嘘はついていないのだが。


「キリハ君が〝喧嘩〟って言葉を使うってことは、自分にも悪い部分があったって思ってるのかな?」
「うっ……うん。」


 さすがはエリク兄さん。
 単語一つのチョイスで、そこまで分かってしまうのか。


 内心で諸手もろてを挙げるしかないキリハは、しゅんと肩を落とした。


「俺もムキになりすぎたっていうのは、分かってるんだ。その人にもその人の事情があって……俺を心配してくれてるってことも。」


「そっか。どうして、そんなにムキになっちゃったの?」


「……俺が嫌いなことを言った。その人の今を見ようとせずに、過去の決めつけで全否定するような……そう感じる言葉だった。」


「あー…」


「否定されたのが自分じゃなかったから、余計に頭にきちゃって……」


「んー…」


 同じ竜使いとして、自分が不愉快に感じるところが理解できたのだろう。
 エリクはいい返答を探して、悩ましげにうなっていた。


「一度仲が悪くなった人たちが、もう一度やり直す方法って……何かないのかな?」
「あはは…。キリハ君は相変わらず、複雑な立ち位置に立っちゃう子だなぁ……」


 エリクは苦笑い。
 どうやらこの一言だけで、自分がどんな状況にいるのかを察したらしい。


「そうだね……やり直せるかどうかは、その人たちの間に何があったかによると思う。ちょっとした口喧嘩なら、お互いに意地を張っているだけかもしれないけど……誰かを傷つけ、傷つけられた出来事があったなら、関係の修復は難しいだろうね。七年前の事件を忘れられない、僕たちのように。」


「………」


 ああ、そうか。
 ここにも、解消するにできない確執があった。


 つくづく、あの時の自分は目の前のことしか見えていなかったのだと知る。


「なら……俺は、どうすればいいのかな…。俺は……どっちのことも信じたいのに……」


 板挟みがこんなにつらいなんて知らなかった。
 まあ、レクトが引いている手前、板挟みだと感じるのは自分のわがままのせいかもしれないけど。




「いいんじゃない。どっちのことも信じたって。」




 その言葉が鼓膜を揺らした時の気持ちを、どう表現したらいいのだろう。


 沈む一方だった思考が、暗い海の底からすくわれたような。
 そんな心地がした。


「え…?」


 顔を上げると、エリクはそこで優しく目をなごませている。


「当人たちのことは、最終的に当人たちで解決するしかない。だけど、キリハ君はキリハ君でしょ? 当然だけど、その人から見た相手と君から見た相手は違う。君からしか見えないよさがあって、それを信じたいと思うのは悪いことじゃないと思うよ。そして、そんな君が伝えるからこそ、仲違いしているその人たちに届く言葉があるんじゃないかな。」


「エリクさん……」
「ただね。」


 エリクはそっと、キリハの髪の毛をなでた。


「キリハ君の反応を見ている感じ、君が間に入っている二人の間には、誰かが傷ついた悲しい出来事があったんだろうと思う。もしも今後、関係性がこじれるようなことがあって、君や君の大切な人が危険だと思ったなら……その時は、自分を大切にして身を引くんだよ。それは決して逃げじゃない。自分の優しさでがんじがらめになって、傷ついてしまわないように。それだけは、気をつけてほしい。」


「………っ」


 その瞬間、無性に泣きたくなってしまった。
 胸の奥がじんわりと温まるような感覚がして、自分が本当はこういう言葉をかけてほしかったのだと知る。


 無理に味方してもらわなくてもいい。
 だけどせめて、自分を信じてこの判断を許してほしかった。


 やれるだけやってみればいいって。
 そんな風に、背中を押して送り出してほしかった。


「……うん。」


 ごく自然に、頬がほころぶ。
 無理なく笑えたのは、随分と久しぶりのことだった。


「よし。それだけ分かっててくれるなら、あとは好きなようにやってみな。僕はいつだって、君のことを応援してるよ。」


「本当にありがとう。なんか、肩が軽くなった気がする。」


「そう。よかった。」


 エリクが満足そうに笑みを深めたので、自分も一緒になって笑う。


 そうだ。
 様々な問題を抱えている今だけど、自分にできることを少しずつ頑張っていこう。


 全てを変えることは難しいかもしれない。
 だけど、自分の手が届く小さな世界の〝これから〟だけでも変えていこう。


 なんだか、原点回帰した気分だった。


「………」


 決意を新たにするキリハを見つめるエリクの瞳が、ふとかげったのはその時。
 彼は深く懊悩おうのうするように唇を噛み、逡巡しゅんじゅんの後に口を開こうとする。


「キリハ君……あの―――うっ!」


 次の瞬間、エリクが胸を押さえて身を折った。
 その拍子に彼が手にしていたかばんが落ちて、床に中身がぶちまけられる。


「エリクさん!?」


 それまでエリクから視線を外していたキリハは、突然の出来事に大きく目を剥いた。


「だ、大丈夫…。ちょっと、胸が痛んだだけ……」


 エリクはそう言うが、明らかに顔色が悪い。
 額には脂汗が浮いていて、奥歯を噛み締めるその表情は、壮絶な苦しみをこらえているようだった。


「どこが大丈夫なの!? 体調、明らかに悪くなってるじゃん!! 俺やルカに心配かけないようにって、メッセージでは嘘ついてたね!?」


「あはは……面目ない。」


 こんな姿を見られては、下手な言いのがれもできないと思ったのだろう。
 エリクは疲弊した様子で小さく笑った。


「別に、全部が全部嘘ってわけじゃないんだよ。胸が痛んでもほんの数秒だし、定期検査では異常も見られないし。……ほら、もう収まった。」


 言葉どおり動きを身軽にしたエリクは、床に散らばった荷物を拾い始める。
 一緒になってそれを回収していると……


「キリハ兄ちゃーん。」


 お小遣いを使い切ったらしいメイアたちが戻ってきた。


「あ……ほら、お呼びだよ。行ってあげて。」
「ま、待ってよ!! 送っていくってば!!」


 こんなエリクと何事もなく別れることなんてできず、キリハはその場を去ろうとしたエリクを慌てて呼び止める。


 しかし。


「大丈夫、大丈夫。今日はあの子たちを優先してあげな。もし気になるなら、今度ルカと一緒に遊びに来て。」


 有無を言わせない。
 そんな頑なな態度で、エリクは足早に遠ざかっていってしまった。


「エリクさん……」


 キリハは眉を下げる。


 何が今度、だ。
 あんな姿を見せられては、今すぐにでもルカを連れて家に乗り込みたいところなのに。


「……あれ?」


 視線を下げた拍子に気付く。
 ソファーの下に、小さな紙切れが落ちていた。


 もしかして、エリクの忘れ物だろうか。


 そう思って紙を拾い上げる。
 折り畳まれた紙を開いたキリハは、思わず顔をしかめた。


 そこに記されていたのは、文字や数字、記号に矢印の羅列だった。
 一見して、何を意味しているのかはさっぱり分からない。


 唯一読み取れる単語があるとすれば―――




「……〝ルカに〟?」




 それだけだった。

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