竜焔の騎士

時雨青葉

文字の大きさ
上 下
309 / 598
第5章 人間は嫌い

別れるしかないこと

しおりを挟む
 どれくらいの間、その場に立ち尽くしていただろう。
 髪も服もすっかり濡れて、それらが肌にまとわりついて気持ち悪い。


 そんな不快感に顔をしかめ、次にルカはハッとしてキリハに近寄った。
 キリハがまだ病み上がりであることを思い出したのだ。


「おい。」


 その肩を掴んで揺する。
 すると。


「―――俺ね……」


 ぽつりと。
 キリハの口から、空虚な声が零れた。


「これまでは変えられなくても、これからは変えられるって……ずっと、そう思ってきた。今だって別に、それを疑ってるってわけじゃないけど………変えるには、時間もチャンスも少なすぎる時があるんだね。結果として、変えられないこともあるんだって……ようやく、そう思い知った気がするよ。」


 機械のように平坦な声で、キリハは訥々とつとつと語る。


〝人間は嫌い〟


 はっきりとそう口にしたシアノに、自分はかけてあげられる言葉が浮かばなかった。
 何も言えなかった。


 目は口ほどに物を語るという。
 情けないことかもしれないが、シアノの瞳に宿ったすさまじい拒絶に、自分はすっかり飲まれてしまった。


 ―――届かない、と。


 否応なしに、そう思わされてしまったのだ。


「別れるしかないことが、確かにあるんだね……」


 口だけが、寒々しく事実をなぞる。


 離れていくシアノを呼び止めることもできず、ただ見送ることしかできなかった。


 だが仮に呼び止めたとして、あの子に何を言えた?
 何をしてあげられた?


 ―――何もないじゃないか……


 自分の居場所はここじゃない。
 シアノは、そういう答えを出した。


 安心できるのは父親のところだけだと。
 そう言って、シアノは笑ったのだ。


 あの笑顔に勝る居場所を作ってやることは、今の自分にはできない。
 そう思うくらいに、あの時のシアノの笑顔が強烈に脳裏に焼きついた。


 だから見送った。
 見送るしかなかった。


 散々傷ついて、笑顔さえ忘れてしまったシアノが、唯一笑える場所があるのなら。
 そしてシアノが笑える場所が、自分の手の届かない所にしかないのなら。


 自分にはもう、そこでの幸せを願うことしかできない。


 自分にできることがあっても、それが自分の役割じゃないこともある。
 ルカのあの言葉の意味を、今ひしひしと実感していた。


「キリハ君……」


 エリクが優しく肩に手を置いてくれる。
 それが、停止していた感情を動かすきっかけだった。


 途端に胸の奥から、衝動のような感情の津波が起こって、全身を大きく揺さぶる。
 なんだか、寒くてたまらない。


 それは雨のせいか、それとも―――


 ぐっと奥歯を噛み締めると、頬を伝う雫の中に一つ、温かいものが流れていった。


「キリハ君、大丈夫だよ。」


 エリクが、肩を支える手に力を込めてくれる。


「ああするしかなかったんだ。少なくとも今は……シアノ君がこちらを拒絶した今は、ね。」


 きっと、やるせない気持ちはエリクも同じ。
 肩越しにエリクが押し殺している切なさが伝わってくるようで、キリハは思わず顔を歪めてしまった。


「分かってる……分かってるよ。でも……どうにか、できなかったのかなぁ…?」


 自分もエリクのように大人になって、何もできなかった現実を受け入れられたら。
 そう思うのに、感情が全く言うことを聞いてくれない。


 人は、急激な変化にはついていけない。
 シアノの中にこびりついた人間への不信感をやわらげるには、きっとそれ相応の時間がかかる。


 だから、シアノの口から人間が嫌いだという言葉が出るのは当然のことで。
 初めのうちは拒絶されるだろうことも、簡単に想像ができる。


 そしてシアノが去ってしまった今となっては、ここであれこれ後悔しても意味がない。


 シアノの帰る場所が分からないのだ。
 これ以上の進展は、シアノとまた出会う奇跡でも起こらない限り、望むことはできないだろう。


 全部分かっている。
 それでも……


「諦めが悪いって言われてもいいよ。無責任な同情だったとしてもいい。シアノにあんなこと言わせちゃったことが悲しくて……悔しくて…っ」


 暴れる気持ちは、理性では止められないのだ。


「そうだね。せっかく出会えたんだから、シアノ君がたくさんの人を好きだって言える手伝いをしたかったね。」


 エリクは、こちらの想いを肯定してくれる。
 ルカも何も言わなかった。


 その優しさが嬉しくて、それと同時に切なくてたまらなかった。


 この優しさを。
 そして、この優しさを感じられる幸せを。


 シアノに少しでも伝えられたら、どんなによかっただろう。


「キリハ君、そろそろ僕らも帰ろう。ここにずっといても、きっとシアノ君は帰ってこないから。」


 エリクの言葉が、つきりと胸に突き刺さる。
 それではたと悟った。


 分かっていると口にしながら、自分は往生際悪く、シアノが帰ってくるのを待とうとしていたのだと。


「うん……そう、だね。」


 自らそう口にすれば、胸に走る痛みがより増すような感じがする。


 本当は、まだここにいたい。
 でもエリクの言うとおり、ここにいてもシアノは帰ってこない。


 ………受け入れなければ。


 キリハはぐっと唇を噛む。
 そしてゆっくりと、その場に背を向けて歩き出した。




 最後に残るのは、全てを洗い流すように強まる雨だけ―――



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

弟に裏切られ、王女に婚約破棄され、父に追放され、親友に殺されかけたけど、大賢者スキルと幼馴染のお陰で幸せ。

克全
ファンタジー
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。

オレの異世界に対する常識は、異世界の非常識らしい

広原琉璃
ファンタジー
「あの……ここって、異世界ですか?」 「え?」 「は?」 「いせかい……?」 異世界に行ったら、帰るまでが異世界転移です。 ある日、突然異世界へ転移させられてしまった、嵯峨崎 博人(さがさき ひろと)。 そこで出会ったのは、神でも王様でも魔王でもなく、一般通過な冒険者ご一行!? 異世界ファンタジーの "あるある" が通じない冒険譚。 時に笑って、時に喧嘩して、時に強敵(魔族)と戦いながら、仲間たちとの友情と成長の物語。 目的地は、すべての情報が集う場所『聖王都 エルフェル・ブルグ』 半年後までに主人公・ヒロトは、元の世界に戻る事が出来るのか。 そして、『顔の無い魔族』に狙われた彼らの運命は。 伝えたいのは、まだ出会わぬ誰かで、未来の自分。 信頼とは何か、言葉を交わすとは何か、これはそんなお話。 少しづつ積み重ねながら成長していく彼らの物語を、どうぞ最後までお楽しみください。 ==== ※お気に入り、感想がありましたら励みになります ※近況ボードに「ヒロトとミニドラゴン」編を連載中です。 ※ラスボスは最終的にざまぁ状態になります ※恋愛(馴れ初めレベル)は、外伝5となります

【完結】婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

異世界転生ファミリー

くろねこ教授
ファンタジー
辺境のとある家族。その一家には秘密があった?! 辺境の村に住む何の変哲もないマーティン一家。 アリス・マーティンは美人で料理が旨い主婦。 アーサーは元腕利きの冒険者、村の自警団のリーダー格で頼れる男。 長男のナイトはクールで賢い美少年。 ソフィアは産まれて一年の赤ん坊。 何の不思議もない家族と思われたが…… 彼等には実は他人に知られる訳にはいかない秘密があったのだ。

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

ブラックギルドマスターへ、社畜以下の道具として扱ってくれてあざーす!お陰で転職した俺は初日にSランクハンターに成り上がりました!

仁徳
ファンタジー
あらすじ リュシアン・プライムはブラックハンターギルドの一員だった。 彼はギルドマスターやギルド仲間から、常人ではこなせない量の依頼を押し付けられていたが、夜遅くまで働くことで全ての依頼を一日で終わらせていた。 ある日、リュシアンは仲間の罠に嵌められ、依頼を終わらせることができなかった。その一度の失敗をきっかけに、ギルドマスターから無能ハンターの烙印を押され、クビになる。 途方に暮れていると、モンスターに襲われている女性を彼は見つけてしまう。 ハンターとして襲われている人を見過ごせないリュシアンは、モンスターから女性を守った。 彼は助けた女性が、隣町にあるハンターギルドのギルドマスターであることを知る。 リュシアンの才能に目をつけたギルドマスターは、彼をスカウトした。 一方ブラックギルドでは、リュシアンがいないことで依頼達成の効率が悪くなり、依頼は溜まっていく一方だった。ついにブラックギルドは町の住民たちからのクレームなどが殺到して町民たちから見放されることになる。 そんな彼らに反してリュシアンは新しい職場、新しい仲間と出会い、ブッラックギルドの経験を活かして最速でギルドランキング一位を獲得し、ギルドマスターや町の住民たちから一目置かれるようになった。 これはブラックな環境で働いていた主人公が一人の女性を助けたことがきっかけで人生が一変し、ホワイトなギルド環境で最強、無双、ときどきスローライフをしていく物語!

完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-

ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。 自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。 28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。 いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して! この世界は無い物ばかり。 現代知識を使い生産チートを目指します。 ※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。

処理中です...