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第4章 分かり合えない
嫌いでいさせて―――……
しおりを挟む(キリハたちと、おんなじ……)
その共通点が、シアノの警戒心をほんの少しだけ和らげた。
「あの……なんか、ただならぬ様子で走っていくのが見えたから、思わず追いかけて捜しちゃったんだけど……」
黙ったままのシアノに、彼はおろおろと戸惑っている。
「人違いだったらごめんね。もしかして君って、エリク先生が預かってるって言ってた子じゃないかなって思って……」
「!!」
シアノはピクリと肩を震わせた。
「………………エリク、知ってるの?」
エリクの名前を自ら口にしたシアノに対し、少年はほっと肩をなで下ろした。
「まあね。僕は体が弱いから、よくエリク先生に診てもらってるんだ。昨日、エリク先生が話してたよ。真っ白な可愛い子を預かってるって。」
彼は優しげに目を和ませると、物腰柔らかな動作でしゃがんだ。
そして、シアノと目線を合わせたまま、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
人間なんて危険で厄介な生き物には、利用する時でもない限り触れない方がいいと教わった。
でも目の前の人間からは、敵意も何も感じない。
とっさに彼の手を振り払えなかったシアノは、目をぎゅっと閉じて未知の恐怖を押し殺した。
彼の両手は自分の首を通り過ぎて―――頭に、柔らかい何かが被せられる。
何があったのだろう。
目をパチパチとしばたたかせるシアノに、彼は優しく微笑みかけた。
「フード、脱げちゃってるよ。お互い苦労するよね、ほんと。」
最後にフード越しに頭をなでて、彼はシアノから手を離した。
何もされなかった。
驚くと同時に、目の前にいる彼がキリハたちと同じような人間なんだと知る。
だからこそ、どうしようもなく胸が痛かった。
嫌だ。
優しくされたくない。
自分は、父の〝いい子〟でありたいのだ。
なのにこのままでは、自分の何かが壊れてしまう。
そんな恐怖が、全身を震わせた。
「ど、どうしたの? 何か、怖い目に遭った?」
突然震え始めたシアノに驚き、彼は狼狽してその肩に手を置く。
その手つきは、壊れ物でも扱うかのようだ。
「………っ」
シアノは勢いよく頭を横に振った。
心配されているのだと分かる。
分かることがつらい。
つらいから、これ以上心配されたくない。
だが、心配されまいと必死に強がったシアノの態度は、彼の心配を余計に増長させることにしかならなかった。
「訊いちゃいけないことだったかな…。ごめんね? 話したくなかったら、話さなくてもいいから。とりあえず、エリク先生のところに行こう。僕が送ってってあげるから。」
「―――っ!!」
シアノはさらに大きく首を振る。
「……やだ。」
「やだって……何かあったの? もしかして、なんか怒られることでもしちゃった? それで怖くて、エリク先生に会えないとか?」
「違う……違う…っ」
「ええっと……じゃあ……」
「なんでもないの! ぼくのことはほっといて!!」
彼の胸を押し、シアノはまた一歩路地裏の奥へと下がる。
ああ……
後ろが袋小路じゃなければ、すぐにでも彼に背を向けて逃げ出せたのに。
遠くから、ふと聞こえてくる雷の音。
それがまるで、今の自分の心模様を表しているようだった。
「…………ごめんね。それはできないかな。」
そんな心に響いた声は、残酷なほどに優しかった。
「そんなに泣きそうな顔をしてる君のこと、僕は放っておけないよ。」
言われて気付く。
彼の黒い片目に映る自分が、泣き出しそうな顔をしていることに。
「あのね。人は、一人じゃ生きていけないんだよ。」
彼は穏やかに語る。
「僕は体が弱い分、たくさんの人に助けてもらいながら生きてきた。だからよく分かるよ。どんなに他人が嫌いでも、どんなに他人が怖くても、僕たちは他人と関わらずには生きていけないんだ。僕は自分が助けられた分、誰かを助けたいと思う。だからね、僕は君を放っておかない。だって君、誰かに助けてもらいたそうだもん。」
微笑み、彼はそっとシアノの手を握る。
それは、ちょっとでも力を入れれば、簡単に振り払えるほどのささやさな力。
なのに、体が一ミリも動かなかった。
目頭が熱くなる。
下手に話そうとしたらだめだ。
なんで自分にこんなに優しくしてくれるの、と。
人間は醜い生き物なんじゃないの、と。
口を開けば、必死に押し込めているこの疑問を彼にぶつけてしまう。
「とりあえず、ここを離れよう? 雨が降ってきそうだし、この辺はあまり土地柄がよくないから。ひとまず、僕の家にでもおいで。エリク先生には、僕からメールしとくから。」
緩やかに腕を引かれ、体が勝手に一歩を踏み出す。
逆らいたいのに、逆らえない。
人間に気を許している自分が怖い。
(父さんは正しいんだ。……父さんは、人間が嫌いで。ぼくも、人間が嫌いで。人間なんて―――)
嫌い。
嫌いだ、と。
何度も何度も、頭の中で反芻する。
嫌い。
嫌い。
嫌いでいさせて―――……
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