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第3章 普通じゃないから
暴れ出す記憶
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キリハが一向に物を口にしてくれない、と。
涙目になったサーシャに助けを乞われたのは、何時頃のことだったか。
自室で休んでいたキリハを強制的に医務室へと連行して、医者に点滴を打たせてからしばらく。
目の前には、ようやく呼吸が楽そうになったキリハがすやすやと眠っている。
きっと、点滴にこっそりと入れさせた睡眠薬が効いているのだろう。
目覚める様子がないキリハを見つめ、フールは肩を落とす。
医務室に行こうと言った時、キリハはなかなかそれを受け入れてくれなかった。
それまで傍で看病してくれていたサーシャに対しても、風邪を移したら大変だからと言って、やたらと自分から彼女を遠ざけたがっていたらしい。
おそらく、一人になれるタイミングを見計らって、脱走を試みるつもりだったのだろう。
とはいえそこは、キリハのことをよく知るディアラントが手を回してあったので、仮に一人になれたとしても、脱走は無理だったと思うけど。
キリハが倒れた理由には、昨日話に聞いたシアノという少年が関係しているらしい。
キリハが無理に動こうとしているのは、シアノに会いに行きたいからなのだろう。
嫌がるキリハを無理やりベッドに押し込んだ後、ルカがサーシャやカレンにそう話しているのが漏れ聞こえてきた。
その後、ルカに詳しく話を聞こうと思ったのだが、ふらりとキリハの部屋から出ていったルカは、そのまま宮殿からも出ていってしまったようだ。
ターニャに確認したところ、兄にシアノの世話を頼まれてしまったから、今日は休むと連絡があったらしい。
「関わっちゃだめだって、言ったのに……」
思わず、その一言が漏れた。
……いや、キリハたちは悪くない。
どうせ、自分の考えすぎだって。
思わずキリハたちに叫んでしまったあの時、他でもない自分がそう言って、発言を取り消したではないか。
きっと気のせい。
シアノという名前も。
レクトという名前も。
世界は広いのだから、その名前を持つ人間がいるのは当然。
偶然だ。
偶然に決まっている。
―――――本当に?
思考を振り払おうとする度、頭は猜疑心で埋め尽くされてしまう。
本当に、これが偶然だと?
シアノとレクトだなんて。
自分の最大のトラウマに繋がるこの名前。
そんな二つの名前を同時に聞くことなんて、本当に偶然で起こりえるのか?
しかもその名を持つ人間が、都合よく自分に近しい人間に接触できるものなのか?
キリハは確実に、シアノという少年に心を囚われている。
レクトという名の父親を持つという、シアノという存在に。
これが本当に、偶然の産物であるというのか。
―――ありえない。
これが偶然なんて、絶対にありえない。
だって、彼からの宣戦布告はもうされているんだぞ?
これが彼の手引きではないと、この状況を見てどうやったらそう言い切れる。
考えすぎで片付ける方がおかしいではないか。
『……ごめんなさい。』
「!!」
脳裏に、柔らかい声が木霊する。
『このままじゃ、私は大好きなあなたたちを傷つけてしまう。だから……お別れしよう。』
フールは自分の肩を抱いた。
自分には人間としての体などないのに、全身が寒くて仕方ない。
『大丈夫。あなたたちは悪くない。私が……ちょっと、夢を見すぎちゃっただけなの。だから、泣かないで。』
ああ、やめてくれ。
お願いだから、暴れ出さないでくれ。
どれだけの時間をかけて、記憶の底に押し込めたと思っているんだ。
今さら、もう―――
『でもね……もし、お願いを聞いてくれるなら―――』
「……フールちゃん?」
「―――っ!?」
突然声をかけられ、フールは大きく体を震わせた。
振り向いた先に見えたのは、さらさらと流れる淡い栗毛色。
「し、あ……」
言葉は、尻すぼみに消えていく。
ふと気付いた。
栗毛色に見えたその髪は、窓から射し込む夕日を受けてきらめく亜麻色だった。
「あ、ああ……サーシャ、か……」
動揺を抑えながら苦し紛れにそう言うと、サーシャは不思議そうに首を傾げた。
「ずっと黙り込んでたけど、何か考え事? ごめんね? 私が買い物に行ってる間、キリハのことを見ててもらっちゃって。」
「ううん、全然平気。サーシャこそお疲れ様。今日はずっと、キリハの看病をしてたんでしょ?」
完全に自分から意識を逸らせるための言葉だったが、サーシャは特にこちらを不審がる素振りは見せなかった。
「あはは、いいの。私は、やりたくてやってるだけだもの。」
「なになにー? これこそ、愛の力ってやつー?」
ちょっとした意地悪でそう問いかけてやると、サーシャは途端に顔を真っ赤にした。
「そ、それは…っ」
言葉が続かなかったのか、サーシャは口をぱくぱくとさせ、しばらくすると自分の両手で頬を挟んだ。
「……そんなに、分かりやすいかな?」
「うん。なんでキリハが気付かないんだろうってレベルで。多分、みんな知ってるよ?」
「あうぅ……」
自分でも、少しは分かっていたらしい。
指摘を受けたサーシャは、顔を伏せて縮こまってしまった。
「むふふ。サーシャがやりたくてやってるなら、仕方ないねぇー。お邪魔虫は、退散しよーっと。」
「えっ!?」
すいっと医務室のドアへと向かったフールに、サーシャが狼狽えてそちらを振り仰ぐ。
自分用に据えられた自動ドアのボタンを押しながら、フールは顔だけをサーシャの方へと向けた。
「今ならキリハも薬のおかげで起きないから、チャンスなんじゃない? あーんなことやこーんなことでも、やっちゃったらぁ?」
「~~~っ!?」
サーシャの頬の朱色が、鮮やかな紅へと変わる。
「フールちゃん!!」
「はっはっは~♪」
後ろにサーシャの叫び声を聞きながら、フールはそそくさと医務室を離れるのだった。
涙目になったサーシャに助けを乞われたのは、何時頃のことだったか。
自室で休んでいたキリハを強制的に医務室へと連行して、医者に点滴を打たせてからしばらく。
目の前には、ようやく呼吸が楽そうになったキリハがすやすやと眠っている。
きっと、点滴にこっそりと入れさせた睡眠薬が効いているのだろう。
目覚める様子がないキリハを見つめ、フールは肩を落とす。
医務室に行こうと言った時、キリハはなかなかそれを受け入れてくれなかった。
それまで傍で看病してくれていたサーシャに対しても、風邪を移したら大変だからと言って、やたらと自分から彼女を遠ざけたがっていたらしい。
おそらく、一人になれるタイミングを見計らって、脱走を試みるつもりだったのだろう。
とはいえそこは、キリハのことをよく知るディアラントが手を回してあったので、仮に一人になれたとしても、脱走は無理だったと思うけど。
キリハが倒れた理由には、昨日話に聞いたシアノという少年が関係しているらしい。
キリハが無理に動こうとしているのは、シアノに会いに行きたいからなのだろう。
嫌がるキリハを無理やりベッドに押し込んだ後、ルカがサーシャやカレンにそう話しているのが漏れ聞こえてきた。
その後、ルカに詳しく話を聞こうと思ったのだが、ふらりとキリハの部屋から出ていったルカは、そのまま宮殿からも出ていってしまったようだ。
ターニャに確認したところ、兄にシアノの世話を頼まれてしまったから、今日は休むと連絡があったらしい。
「関わっちゃだめだって、言ったのに……」
思わず、その一言が漏れた。
……いや、キリハたちは悪くない。
どうせ、自分の考えすぎだって。
思わずキリハたちに叫んでしまったあの時、他でもない自分がそう言って、発言を取り消したではないか。
きっと気のせい。
シアノという名前も。
レクトという名前も。
世界は広いのだから、その名前を持つ人間がいるのは当然。
偶然だ。
偶然に決まっている。
―――――本当に?
思考を振り払おうとする度、頭は猜疑心で埋め尽くされてしまう。
本当に、これが偶然だと?
シアノとレクトだなんて。
自分の最大のトラウマに繋がるこの名前。
そんな二つの名前を同時に聞くことなんて、本当に偶然で起こりえるのか?
しかもその名を持つ人間が、都合よく自分に近しい人間に接触できるものなのか?
キリハは確実に、シアノという少年に心を囚われている。
レクトという名の父親を持つという、シアノという存在に。
これが本当に、偶然の産物であるというのか。
―――ありえない。
これが偶然なんて、絶対にありえない。
だって、彼からの宣戦布告はもうされているんだぞ?
これが彼の手引きではないと、この状況を見てどうやったらそう言い切れる。
考えすぎで片付ける方がおかしいではないか。
『……ごめんなさい。』
「!!」
脳裏に、柔らかい声が木霊する。
『このままじゃ、私は大好きなあなたたちを傷つけてしまう。だから……お別れしよう。』
フールは自分の肩を抱いた。
自分には人間としての体などないのに、全身が寒くて仕方ない。
『大丈夫。あなたたちは悪くない。私が……ちょっと、夢を見すぎちゃっただけなの。だから、泣かないで。』
ああ、やめてくれ。
お願いだから、暴れ出さないでくれ。
どれだけの時間をかけて、記憶の底に押し込めたと思っているんだ。
今さら、もう―――
『でもね……もし、お願いを聞いてくれるなら―――』
「……フールちゃん?」
「―――っ!?」
突然声をかけられ、フールは大きく体を震わせた。
振り向いた先に見えたのは、さらさらと流れる淡い栗毛色。
「し、あ……」
言葉は、尻すぼみに消えていく。
ふと気付いた。
栗毛色に見えたその髪は、窓から射し込む夕日を受けてきらめく亜麻色だった。
「あ、ああ……サーシャ、か……」
動揺を抑えながら苦し紛れにそう言うと、サーシャは不思議そうに首を傾げた。
「ずっと黙り込んでたけど、何か考え事? ごめんね? 私が買い物に行ってる間、キリハのことを見ててもらっちゃって。」
「ううん、全然平気。サーシャこそお疲れ様。今日はずっと、キリハの看病をしてたんでしょ?」
完全に自分から意識を逸らせるための言葉だったが、サーシャは特にこちらを不審がる素振りは見せなかった。
「あはは、いいの。私は、やりたくてやってるだけだもの。」
「なになにー? これこそ、愛の力ってやつー?」
ちょっとした意地悪でそう問いかけてやると、サーシャは途端に顔を真っ赤にした。
「そ、それは…っ」
言葉が続かなかったのか、サーシャは口をぱくぱくとさせ、しばらくすると自分の両手で頬を挟んだ。
「……そんなに、分かりやすいかな?」
「うん。なんでキリハが気付かないんだろうってレベルで。多分、みんな知ってるよ?」
「あうぅ……」
自分でも、少しは分かっていたらしい。
指摘を受けたサーシャは、顔を伏せて縮こまってしまった。
「むふふ。サーシャがやりたくてやってるなら、仕方ないねぇー。お邪魔虫は、退散しよーっと。」
「えっ!?」
すいっと医務室のドアへと向かったフールに、サーシャが狼狽えてそちらを振り仰ぐ。
自分用に据えられた自動ドアのボタンを押しながら、フールは顔だけをサーシャの方へと向けた。
「今ならキリハも薬のおかげで起きないから、チャンスなんじゃない? あーんなことやこーんなことでも、やっちゃったらぁ?」
「~~~っ!?」
サーシャの頬の朱色が、鮮やかな紅へと変わる。
「フールちゃん!!」
「はっはっは~♪」
後ろにサーシャの叫び声を聞きながら、フールはそそくさと医務室を離れるのだった。
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