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第3章 普通じゃないから
普通じゃないことは―――
しおりを挟むどうして。
どうして…?
頭の中は、それでいっぱいだった。
ぼんやりと聞こえてくる声。
それでなんとなく、ルカが来てくれたことは分かった。
ルカに肩を支えられ、すっかり暗くなった外へと出る。
湿気を含んだ冷たい空気がしんみりと体を包んで、外気を吸い込んだ喉と肺に、氷でも投げ込まれたような感覚がする。
それなのに脳内はちっとも冷たくならなくて、外気の刺激を受けたせいで、むしろ熱を増していくよう。
どうして自分は、こんなにもやるせない気持ちになっているのだろう。
パンクした理性では、今の自分がどんな感情に飲み込まれているのかさえ、認識することができなかった。
ただ、肩を押されるまま歩く。
見慣れたはずの道が、今は全く知らない景色のように見えた。
「キリハ君!!」
そんな風に自分を呼ぶ声が聞こえたのは、どれくらいの時間が過ぎた頃だっただろう。
重たい頭を上げてみると、自分はいつの間にか宮殿本部の建物の中にいて、自分の帰りを待っていたらしいジョーが慌てて駆け寄ってくるところだった。
「よかった。もし戻ってこなかったらどうしようって、心配したよ。」
ジョーが気遣わしげに肩に手を置くが、キリハはそれに何も応えない。
「おい。これ、何があったんだよ。」
ルカがジョーに訊ねる。
「一通り調査が終わったから、その報告をしたの。ショックを受けるだろうことは分かってたから、本当はディアとかがいる所で話したかったんだけどね……」
「こいつがここまで荒れてるってことは、やっぱりとんでもねえ親だったのか。」
「いや。それだったら、まだマシだったよ。」
顔をしかめるジョー。
「この国に、あの子の戸籍情報がなかった。察しのいい君なら、この意味が分かるでしょ?」
「なっ…!?」
ルカは瞠目して言葉を失い、すぐに表情を冷静に戻す。
「……セレニア在住の外国人って可能性はないのか?」
「僕もそれを加味して調べてるけど、今のところ希望的な情報は返ってきてないね。」
「なるほどな。……本当に、人間ってやつは際限なく腐る生き物だな。」
「それには同意せざるを得ないね。こんな現実を見ると、何も言えないよ。」
「………」
キリハは紗がかかったような頭で、ジョーとルカの会話を聞く。
自分の前後で交わされる会話。
その要所要所の言葉が、ぽつり、ぽつりと胸に落ちていく。
―――戸籍情報がなかった。
―――希望的情報は……
―――人間ってやつは際限なく……
『そうだよ。』
「―――っ!!」
幼さの残る、高めの声が脳裏に響く。
『あの人たちは、ぼくのことを捨てた。』
ああ、だめだ。
今シアノの言葉を思い返したら、もう耐えられない。
ぼんやりと霞がかかっていた世界が途端に色を取り戻して、その色彩の全てが一気に赤く染まる感覚がする。
くすぶっていた感情が胸の奥から喉をせりあがってきて、自分ではどうにもできない何かへと成長していく。
「―――して…」
気付けば、目の前にあるものに手を伸ばしていた。
「どうして……どうして!?」
ジョーの二の腕を掴み、キリハはかすれるほどに切ない声で叫んだ。
「普通じゃないってことは、そんなに悪いことなの!? 捨てられなきゃいけないくらい、生きてることをなかったことにされるくらい……それだけのことをされなきゃいけないくらい、悪いことなの!?」
潰れそうな心が大きく軋む。
シアノの何がいけなかったというのだ。
髪と目の色が珍しかったから?
たったそれだけ?
そんな自分ではどうにもできないことで捨てられて、存在の全てを否定されなくてはいけなかったというのか。
自分の子供だと認められなくて育てられないと悟ったなら、せめて別の誰かに愛されるような可能性を繋いで、それから手離せばよかったではないか。
本当の親じゃなくたって、心の底から愛してくれる人はいるんだ。
何も、生まれたことから否定しなくたって……
レイミヤで温かな人たちに愛されてきた自分には、シアノの境遇を冷静に受け止めることができなかった。
天地がひっくり返ってしまいそうで吐き気がする。
「キリハ君……」
「分かんないよ。普通って、なんなの…?」
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
目の前にある現実を受け入れるしかないのに、それを受け入れたくない心が暴れる。
自分たち竜使いだって、親には愛されていた。
共に理不尽に立ち向かう仲間もいた。
それなのに、シアノにはそんな仲間も、親の愛情すらもないのだ。
こんなにむごいことなんて……
「ううっ……なんで……どうして…っ」
散々流したはずの涙が、またぽろぽろと零れてくる。
自分が泣くようなことじゃないと分かっているのに、どうしても胸が痛くてたまらない。
「………」
「………」
何も言えないジョーが優しく背中をなでてくれて、ルカがこちらの気持ちに共感するように不快感を噛み殺している。
二人から当然のように向けられる優しさ。
それらを強く感じるほどに、それを知らないシアノのことがつらく突き刺さる。
悲鳴をあげる気持ちを持て余したまま、ジョーとルカに礼を言うこともできず、ジョーの胸を借りて泣き続けるしかなかった。
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