竜焔の騎士

時雨青葉

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第6章 それぞれの思い

温かな胸の中で

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 ふらふらと、覚束おぼつかない足取りでなんとか歩く。
 周りに広がる景色も、鼓膜を叩く物音も、まるで夢のように現実感がなかった。


 伝えたいことを伝えておいでって。


 カレンはそう言ったけど……


 怖い。
 キリハの答えを聞くのが怖い。


『本当に、このままでいいの?』


 恐怖にすくみそうになる自分の背中を押すように、カレンの言葉が脳裏に木霊こだまする。


 キリハが、他の人のものになるかもしれない。
 もう二度と、会えなくなるかもしれない。


 彼がもう、自分のことを見てくれなくなるかもしれない。


(―――嫌…)


 だんだん歩調が早まっていく。


 今は同じ空間にいられれば、それだけでいいと思っていた。


 キリハの姿を見られるだけで満足だった。
 それで時々笑いかけてもらえれば、それで十分幸せだって、そう思っていた。


(嫌……嫌……)


 どこからか込み上げてくる気持ちを止められない。


 会えないなんて嫌だ。
 あの笑顔を見られなくなるなんて嫌だ。


 自分には、キリハのことを笑わせるなんてできないけど。
 それでも、彼の近くにいたい。


(キリハ…っ)


 必死に走る。


 キリハなら、朝の会議が終わった後はいつも、レティシアたちの元へ向かうはず。
 宮殿の中へと飛び込み、地下高速道路へ向かう階段を駆け下りる。


 その姿は、すぐに見つかった。


 自分と同じ考えを持った人たちに、待ち伏せでもされていたのだろう。
 多くの人に囲まれて、キリハは困ったように笑いながら彼らと話をしていた。


「………っ」


 キリハの姿が、涙で滲む。


 ああ、こんなにも……
 彼の姿を見るだけで、こんなにも胸が熱くて、幸せになれるのに……


 伝えるのは怖い。
 怖いけど。




 今さら、この人と離れるなんて―――




「キリハ!!」


 ただがむしゃらに手を伸ばす。


「あれ、この声―――わっ!?」


 ちょうどよく振り向いたキリハの胸に、サーシャは真正面から勢いよく飛び込んだ。


「あっ……えっと……」


 キリハの周囲を囲んでいた人々が、気まずげに視線を右往左往とさせる。
 サーシャはそんな外野に一切構わず、キリハに抱きつく腕に力をこめた。


 優しくて安心する、キリハの胸の中。


 本当に幸せだと思う。
 そして痛感する。


 不釣り合いかもしれないけど、わがままかもしれないけど、キリハには自分の傍にいてほしい。


 それが、偽らざる自分の気持ちだと。


「じゃ、じゃあ……おれらは、これで……」
「あ、うん。みんな、ありがとね。」


 周りから人が去っていく気配。
 それを感じながらも、目の前にある温もりにしがみつくことに必死なサーシャには、周りの機微を気にする余裕などなかった。


「……サーシャ?」


 皆を見送ったキリハが、気遣わしげに頭に触れてくる。


 こんな時でも、彼は優しい。
 自分のことで精一杯なはずなのに、それでもこんな風に優しくしてくれる。


「ごめん、なさい……」


 サーシャの口からまず零れたのは、いつもの言葉だった。


「キリハも大変だって知ってるの。こんな時にこんなことを言ったら、キリハに迷惑だって分かってるの。でも……でもね………私、キリハに行ってほしくないよぉ…っ」


「サーシャ……」


「ごめんなさい。困ってるよね。でも、聞いてくれるだけでいいの。聞いてくれるだけでいいから……」


 行ってほしくないと。
 そう告げた瞬間に体を震わせたキリハの答えを聞きたくなくて、サーシャは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。


「一緒にいたいの。あなたの傍でなら、私は私を変えられると思った。いつも逃げてばかりの自分を、ちょっとでも強くできると思った。不謹慎かもしれないけど、あなたが笑ってくれるだけで、こんな毎日でも楽しく思えたの。私がここにいられるのは、あなたのおかげなの。」


 もう、自分が何を言っているのかが分からない。
 でも、胸の奥から込み上げてくる気持ちを止められない。


 ただただ必死に、サーシャは口を動かし続けた。


「勝手に、ずっと一緒にいられるんだって思ってた。だから怖いの。キリハがいなくなることが怖い。もう会えなくなることが怖い。私、どうすればいいのかなぁ…? こんなの、キリハに迷惑だって分かってるの。でも、どうしたらいいか分からなくて…。私、何をどう頑張れば、あなたの隣にいられるのかな? 離れたくない。キリハの傍にいたい…っ」


 離れたくない。


 この温かい胸から。
 この優しい腕から。


「サーシャ……」
「ふえぇ…っ」


 もう我慢できない。
 キリハの胸にすがりついて、サーシャは嗚咽おえつをあげ始める。


「大丈夫。大丈夫だよ。」


 キリハはくすりと笑って、何度も何度も背中を優しく叩いてくれた。
 こちらを安心させるためなのか、腰に回されたもう片方の手にぐっと力がこもる。


 キリハのことだから、この行為はぐずった子供をなだめるようなものなのだろう。
 それでも構わない。


 こうやって愛しい人に抱き締められている幸せに、今は身も心も委ねていたい。
 この優しい腕の中に受け入れてもらえた嬉しさを噛み締めながら、涙が枯れるまで泣かせてほしい。


 そしたら、次はちゃんとキリハを応援する。
 たとえキリハがルルアに行くという結論を下しても、ちゃんと背中を押してあげられるようにするから。


「大丈夫。」


 キリハの穏やかな声が、鼓膜を通して脳内に広がっていく。
 決してこちらを否定しないキリハの優しさに甘えて、サーシャは心が訴えるままに泣き続けた。


「………っ。ご、ごめん…なさい…っ」


 どれほどの時間が流れたかは分からない。
 未だに止まらない涙を拭いながら、サーシャは真っ赤になった鼻をすする。


「大丈夫だって。俺こそごめんね。こんなにサーシャのことを追い詰めてたなんて、知らなかったよ。一緒に戦おうって言ったのは、俺の方なのにね。」


「ち、違うの! それは私が、キリハに甘えてただけで…っ。私の方こそ、いつもキリハに迷惑かけてばっかで、キリハの重荷にしかならないのに―――」


「サーシャ。」


 ふいに言葉を遮られる。


 見上げた先にある、キリハの綺麗な微笑み。
 それが自分から、言葉という言葉を奪っていった。


「違うよ。」


 サーシャの目尻から涙をすくい、キリハは告げる。


「俺はサーシャのことを、迷惑だとも重荷だとも思ったことないよ。今のこともね、俺はとっても嬉しかったよ? 他の人にもいっぱい、行くなって言われた。俺は色んな人に、これだけ必要としてもらえてたんだね。本当に俺には、知らないことばっかりだよ。」


 照れたように、頬をほのかに赤らめるキリハ。


「俺もね、サーシャと離れるのは寂しいよ。サーシャにルカにカレンに、ディア兄ちゃんやミゲルやジョーに、色んな人たちと一緒にいるのが楽しいよ。離れるのは嫌だなって思う。だから、ちゃんと考えるよ。みんなのことも、ノアのことも、自分のことも。ちゃんと考えて、俺が決めたことだからって、胸を張れるような答えを出すよ。」


 ああもう、本当に……
 なんて綺麗な姿なのだろう。


 サーシャは思わず見惚みとれてしまう。


「ありがとう、サーシャ。」


 こんな時でも、キリハはこうして笑ってくれるのだ。


 行かないでほしいとわがままを言った自分に、どこまでも向き合ってくれる。
 こんなに近くから、真摯しんしな心を注いでくれる。


 もう少しだけ、近くに行きたい。
 もう少しだけ―――


「サーシャ?」
「………へ?」


 ふと声をかけられて我に返る。
 キリハは不思議そうに、目を丸くしていた。


 そして彼の首には、自分の手が回されようとしていて―――


「~~~~~~~~~っ!?」


 瞬間、自分が彼に何をしようとしていたのかを悟った。


「え、サーシャ? 急にどうしたの?」


 突然顔を真っ赤にしてうつむいたサーシャの頬に、キリハが戸惑った様子で手を添える。
 そこで今の体勢が、色々と誤解を生みかねないことに気付き……


「―――――――」


 完全に、頭の中がショートした。


「………ごっ……」
「え…?」
「ごめんなさああぁぁい!!」


 これ以上はキリハの顔を直視できなくて、サーシャはその場から、脱兎のごとく逃げ出したのだった。

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