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第6章 それぞれの思い
選べないなら―――
しおりを挟むどうして自分から、こんな役回りを買ってしまっているのだろう。
インターホンを押した後でふと思い至り、途端に自分の行動が信じられなくなる。
やっぱり引き返そうか。
思わず半歩退いたが、それを阻止するようなタイミングで目の前のドアが開いてしまった。
「あれ…? ルカ、どうしたの?」
「………っ。いいから入れろ。」
いい口実が思いつかなかったルカは投げやりに言うと、キリハを押しのけて部屋の中に入った。
先ほどノアに向かって色々と口を滑らせた後だし、キリハの部屋のインターホンを押した時点で岸を離れてしまった船だ。
今さら引き返したって、胸にしこりを残す結果にしかならないだろう。
「何かあったの? ルカが俺の部屋に来るって、かなり珍しいよね?」
勝手にダイニングチェアに座って待っていると、遅れてリビングに顔を出したキリハは、純粋に不思議そうな顔でそう訊ねてきた。
「どうしたもこうしたも、何かあったのはお前の方だろうが。どうすんだよ、さっきの話。」
ごまかす理由もないので、単刀直入に問う。
するとそれを訊いた瞬間、キリハが露骨に頬を引きつらせた。
「それは……」
「今回ばかりは、迷ってる時間はねえぞ。あの大統領、三日後にはルルアに帰るんだろう? 少なくとも、それまでには何かしらの結論を出しておかないと、向こうにもオレらにも迷惑だ。」
一切の容赦なく、現実を叩きつけるルカ。
キリハは悩み始めると、割と長くそれを引きずるきらいがある。
結論を先延ばしにするわけではないので、よく言えば熟考型なのだろう。
だが今回は、それが通用するほど状況は甘くないのだ。
「……そう、だよね。さっきはごめん。」
キリハはしゅんと眉を下げた。
一応キリハなりに、先ほど会議室から逃げたことを気にしていたらしい。
こちらとしては、わざわざそれを責めるために部屋に押しかけたわけではないのだが。
自らも椅子に座るキリハの様子を窺いながら、ルカは目を閉じる。
その後はしばらく、互いに無言のまま時間が過ぎた。
「………はあ。」
一分と経たず、ルカは溜め息を一つ。
自分が短気なのは承知の上だが、待つのも面倒なので話を進めよう。
「行きたきゃ、行けばいいだろう。」
あえてそう言ってやる。
すると、キリハが弾かれたように顔を上げた。
「えっ…」
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのか、目を丸くするキリハの表情からは、感情の類いが完全に抜け落ちていた。
「お前って、やっぱり基本的には馬鹿だよな。剣ができる分、脳みそに行く養分が足りてないんじゃないか?」
本当に、どうしてこんな奴に振り回されるのもありかなんて、そう思ってしまうのだろう。
キリハと接していると、頭が痛くなることばかりだ。
「オレも昔から不器用だって言われてきたけど、お前も似たようなもんだな。お前、何をそんなに迷ってるから、自分の気持ちに正直になれないんだよ。いつ、誰が、答えが二択だなんて言ったんだ?」
「へ…?」
「迷ってるってことは、ルルアに興味があるんだろう。じゃあ、行けばいい。その先の未来をゼロか百かの二択にするか、ゼロから百までの何通りもにするかは、お前の交渉次第だ。」
「何通りもにって……」
「できる。自分の立場を誤認するな。」
そんなことができるわけないと言いたげなキリハの言葉を遮り、ルカはびしっとキリハに指を突きつけた。
「いいか? 今のお前は答えを迫られてる側だが、裏を返せば、お前が決定権を独占してるってことにもなる。この状況を一つの法廷とするなら、お前が一番偉い裁判長のポジションにいるんだ。そうじゃなきゃ、お前のことなんて、お偉いさんたちが勝手に決めただろう。あっちの方が、持ってる権力は圧倒的に強いんだから。」
今まで、直感一本で生きてきたようなキリハだ。
そんな彼にこういう話をするのは、些か突飛すぎるかもしれない。
しかしこの問題は、キリハ自身が解決しないとどうにもならないのだ。
自分にできることといえば、多少難しい話になってでも、キリハに己が持つカードの強さを理解させてやることくらい。
「ここかルルアか。白か黒かを選べないなら、自分好みのグレーを創って選べ。まずは期間限定でルルアに行ってみるとか、ルルアに行っても、状況次第でこっちに戻ってこれるようにするとか、やりようはいくらでもあるだろ。」
「あ、そういえば…。まずは、短期留学に来いって言われたような……」
「なんだ。最初から、譲歩案は提示されてんじゃねぇか。なら話が早いだろう。もっと欲張ればいいんだよ。」
ルカはキリハの表情に現れた変化を逃さずに畳み掛ける。
「それだけお前は、高く買われてるんだ。なら、遠慮するな。自分の価値を最大限に引き上げて、自分が望む未来を相手に飲み込ませろ。今のお前に必要なのは、自分の要求をずけずけと突きつけられる図々しさだ。」
そこまで言って、ルカは呼吸を一拍置いて小休止を挟む。
キリハはさっきまでの情けない表情を一変させ、真剣な様子で机を睨み、何かを考え込んでいた。
これが、キリハの恐ろしいところだ。
ルカは思う。
キリハは人道的に外れたもの以外なら、自分が知らなかった物事や価値観を素直に受け入れることができる。
そして受け入れるだけではなく、それを取り込んで確実に自分の糧にできてしまうのだ。
きっと、知識を得れば得るほどに、キリハの能力は化け物レベルに育っていく。
今の時点で、それは確信できた。
とはいえ、どんな能力も場数を踏まないことには、その精度が上がるはずもなく……
「いきなり、ない知恵を絞れなんて無茶を言うつもりはないって。」
キリハの真剣な表情が困った表情になったタイミングで、ルカはそう声をかけた。
「お前は、何をしたいんだよ。交渉の道筋を立てる手伝いくらいはしてやる。」
「ルカ…」
「こんな時にまで、話の腰を折るようなこと言うなよ? オレだって、場のわきまえくらいできるんだ。この状況で、たった一人で将来を決めろっていうのも酷な話だろう。お前のことだから、どっちを選んだって、自分のわがままを通しちまったって、後からうじうじ悩むんだろうから。」
「うっ……」
大いに心当たりがあるのか、キリハが肩を震わせて目を泳がせた。
不安げに落ち着きなく手を握ったり開いたりしていたキリハだが、ふとした拍子にその手が、最近また伸びてきた後ろ髪を掴む。
それを眺めながら、ルカは小さく息を吐き出した。
「これも、将来のイメージトレーニングだとでも思うことにするさ。今ある知識を使って、お前の要求を正当化してやる。……どうせ今の状況じゃ、お前にこうやって助言できるのは、オレくらいだろうからな。」
自分から話の腰を折るなと言ったくせに、結局自分から憎まれ口を叩いてしまった。
ちょっとだけ後悔しながらも、間違った認識じゃないとは思うので、これ以上は何も突っ込まないことにする。
カレンやサーシャにこの役が務まるとは思わないし、ターニャやディアラントは、自分の意見がキリハにもたらす影響の大きさを考えて、あえて口を挟んでこないはずだ。
ミゲルは話を聞くだけならできても、的確なアドバイスをやることはできないだろうし、ジョーは自分にとって都合がいい方向にキリハを誘導しそうで厄介だ。
だったら、キリハの気持ちの整理を手伝うのは、自分くらいしかいないじゃないか。
そのためにわざわざ目立つことまでして、ノアに最低限の要求を吹っかけておいたのだ。
ここまで来たら、自分が思う自分の役割を全うするまで。
「いいか。よく考えろよ。」
そう言って、ルカは情報整理を始めた。
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