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第3章 知って 向き合って そして進んで
送り出された先は―――
しおりを挟む本当に、ここに来てよかったのだろうか……
大きなドアを前に、キリハはしばし立ち尽くしていた。
『ほらな? やっぱりご機嫌だ。準備して待ってるから、今すぐにでも来いとさ。電話の相手は僕だっていうのに、気色悪い声で…。ほら、さっさと行ってきなさい。』
そう言われてオークスに送り出されたものの、ドアをノックすることができないまま、かれこれ十分以上の時間が過ぎている。
確かに情報を得るのに、彼以上の適任はいないと思う。
だが、果たして自分は彼に会っていいのだろうか。
彼は、師匠であるディアラントが、自分に関わらせたくないと断言していた要注意人物なのだけど……
ドアの前で一人唸っていると、とうとう内側からドアが開かれてしまった。
「いつまでそうしておるんじゃ。待ちくたびれて、迎えに来てしまったではないか。」
「あっ…」
突然のことに、虚を突かれて固まるキリハ。
そんなキリハの後ろに回り、情報部総司令長であるケンゼルは、その肩に優しく手を置いた。
「ほらほら、早く入りなさい。中でのんびり、お茶でも飲もうじゃないか。」
「えっ…? えっと、その……」
ぐいぐいと室内に押し込まれ、キリハは戸惑いの声をあげる。
ふと、甘い匂いが鼻をくすぐったのはその時。
その匂いに誘われて部屋の中を見渡したキリハは、これまた予想していなかった光景に言葉を失ってしまった。
研究部から情報部まで移動するのに、そこまで時間はかかっていないはずなのだが、どんな早業を使ったのだろう。
応接用のテーブルには、豪華な焼き菓子がずらりと並べられていた。
他にもちょっとした軽食や紅茶など、とても二人では食べきれない量がテーブルいっぱいに詰め込まれている。
(うわぁ、大歓迎だ……)
さすがに自分でも分かるウェルカムモードに、胸中はますます複雑になる。
相手が相手なだけに、純粋に好かれているだけだと思えないのが複雑というか、なんというか……
「さあさ、座って座って。」
ケンゼルはキリハをソファーに座らせ、自らも向かいに腰かけた。
そしてティーポットに手を伸ばすと、慣れた手つきでお茶を淹れ始める。
「とりあえず、ゆっくりお茶でも飲んで、体から力を抜きなさい。ただでさえ今は、肩身が狭いじゃろう。少しくらい羽根を伸ばしても、誰も怒りゃせんよ。ほれ。」
柔らかく湯気を立てるティーカップを差し出され、キリハはおずおずとそれを受け取った。
時間をかけて温かい紅茶を飲み込むと、自然と肩から力が抜けていくような気になる。
「落ち着いたかね?」
「うん。えっと……ありがとう、ございます。」
ぺこりと頭を下げると、途端にケンゼルは首を左右に振った。
「だめじゃ、だめじゃ! 慣れない敬語なんか使わんでいい。というか、そんな他人行儀をされると、わしは寂しいぞい。」
「え…? でも……」
「いいんじゃよ。なんならわしのことは、本当のおじいちゃんとでも思ってくれていいんじゃぞー? ただ、うるさそうだから、ディアラントには内緒にしといてくれな?」
猫なで声で、ケンゼルはそんなことを言ってくる。
以前にディアラントと一緒に会った時と、寸分の違いもないその態度。
ディアラントの警戒ぶりは頭にあったが、それでも緊張が緩んでしまい、思わず口から笑い声が漏れてしまった。
「あははっ。ありがとう。なんか、一気に気が抜けた。」
ここは素直に、彼から感じ取れる好意に甘えてしまおう。
そう思って手近にあった菓子を取って口に放り込むと、ケンゼルは微笑ましそうに目を細めた。
「うむうむ。子供は素直が一番じゃ。わしの孫にも、キリハの十分の一くらいでもいいから、この素直さがあればのぅ……」
「……嫌われてるの?」
「嫌われてる、か…。もしかしたら、そうかもしれんのう。それか、怖いのかもしれんな。」
ケンゼルの目に、わずかな寂しさが揺れる。
「権力を持つと命を狙われることも、自分の身内が危険な目に遭うこともある。全て未然に防いだとはいえ、あの子もけば立った空気くらいは感じたこともあるじゃろう。なるべく、関わりたくないのかもしれんな。」
「………」
「じゃがわしは、知ることがいけなかったとは思っとらんよ。」
一瞬で寂しさを引っ込めたケンゼルは、その顔に笑みすらたたえて告げた。
「人間、何も知らないままでは、進むことも戻ることもできん。知るべき人間のところには、自ずと情報が集まるもんじゃ。間違っちゃいけないのは、その情報たちとの付き合い方じゃよ。」
「付き合い方?」
疑問に思って訊き返すと、ケンゼルは鷹揚な動作で頷いた。
「知ることは、時として自分の身も滅ぼしかねない。得た情報を自分の益とするか否かは、自分次第じゃ。だから、別にいいんじゃよ。」
小首を傾げるキリハに、にこやかに笑いかけるケンゼル。
「知りたいと思うなら、使えるものはどんどん使いなさい。わしに会いに来るのも大歓迎じゃよ。……ディアラントやジョーが、それをよく思わなくてもな。」
「―――っ!!」
キリハは目を見開いて、息をつまらせることしかできなかった。
さすがは、ディアラントが警戒していた相手だ。
こちらの複雑な心境は、全てお見通しということらしい。
「キリハが知りたいのは、なんで皆がドラゴンをそこまで嫌うのか、じゃったな。どうする? 話を聞いていくか? 今ならまだ、ちょっと一緒にお茶をしただけだと言えるぞい?」
ケンゼルにそう訊かれ、少しだけ躊躇う自分がいた。
だが、その躊躇いはすぐに消える。
「うん。聞きたい。あの子たちを助けるためには、目を逸らしちゃいけないと思うんだ。」
悩みながらもケンゼルの元を訪れたのは、目の前の問題から逃げてはいけないと思ったから。
今さら、怖気づいて逃げるなんてことはしたくない。
キリハがはっきりとそう答えると、ケンゼルは嬉しそうに笑みを深めた。
「うんうん。若いうちは、これくらいがちょうどいいもんじゃ。まあ、そんなに気にすることもないぞ。今回話すことは、別に知ったところで問題になることはないからの。」
くすくすと肩を震わせながらそう前置いて、ケンゼルは静かに話し始めるのだった。
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