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第6章 伝説と謳われる男
裏で手を引く者
しおりを挟む「よくできたお弟子さんじゃないか。―――ねぇ、ディアラント?」
そう告げたランドルフは、静かに視線をドアの方へ向けた。
「へっ?」
驚いたキリハは、ランドルフと同じ方向を仰ぐ。
「当然。オレの自慢ですから。」
ずっと外で話を盗み聞きしていたらしい。
ドアを開けて控え室に入ってきたディアラントは、言葉どおり自慢げに胸を反らした。
「まったくもう…。こそこそとキリハの所に向かってるなと思ったら、何してるんですか。」
「仕方ないだろう。立場上、こういうスタンスも取らないといけないんだから。」
ディアラントが苦言を呈すると、ランドルフは肩をすくめて息をついた。
「ま、こんな物の手引きを任されるってことは、違和感なく総督部に溶け込んでる証拠ですよね。ほんと、よくばれませんよね~。」
キリハが弾き飛ばした小瓶を拾ったディアラントは、しみじみとした口調でそう言いながら、感心したように口笛を吹いた。
「どれだけ念入りに準備したと思ってる。多少疑われたところで、最終的には向こう側の人間が代わりに流されるだけだ。」
「うっわ。怖い怖い。」
口調こそ茶化すような軽いものだったが、ディアラントの表情は苦々しく歪んでいる。
対するランドルフは、眉一つも動かさなかった。
「本気で変革を目指すなら、こういう汚れ役は絶対に必要なんだよ。綺麗事だけじゃ渡っていけないのがこの世界だ。」
「そりゃそうですけど…。オレが少しばかり気になるのは、ケンゼル総指令長がいつまでこの状況を傍観してくれるかですね。」
「あと五年ほど黙っていてもらえれば、こちらとしては十分だ。それにあの人の扱いは、ジョーが十分に心得ているよ。私もそれなりに、あの人とは交渉を続けている。問題ないだろう。」
「その交渉で、オレのことを売ってないでしょうね。」
「……さて、私はそろそろお暇するかな。」
「じょうかーん!!」
ディアラントが表情に微かな焦りを浮かべるが、ランドルフは一切構わずにソファーから立ち上がって、ドアへと向かっていく。
「喚いている暇があるなら、君は君の仕事を遂行したまえ。なんのために、君をここに飛ばしたと思ってるんだ。契約は守ってもらわないと困るよ。精々派手に暴れて、総督部の目を釘づけにしておいてくれ。」
「………っ」
言葉につまったディアラントの前で、ドアが静かな音を立てて閉まった。
「………あの人が、ある意味一番の化け物だよな。」
「どういうことなの?」
キリハは眉を寄せる。
ミゲルはランドルフを味方だと言っていたが、やっぱり敵である総督部の人間じゃないか。
そう思った矢先のこの展開。
状況についていくのも限界だった。
「なんて言うんだろ…? 上官がオレたちの味方……っていうより、オレやジョー先輩が上官の手駒って言った方が正しいんだよな。」
「……ごめん。全然分かんない。」
もう誰がどんな立場で、誰とどう絡んでいるのかがさっぱり分からない。
ランドルフのことだって、結局はディアラントの敵なのか味方なのか、いまひとつ判断がつかない。
「分かんなくていいの。」
ディアラントは明るく笑う。
「ありがとな。手を抜かないって言ってくれて。さっきのキリハ、めっちゃかっこよかったぞ。」
自分を労ってくれる彼の双眸が、そこで少し切なそうに揺れる。
「お前は、そのままでいてくれ。無理にこっちの色に染まらなくていい。」
「でも……」
「分かってるよ。」
言い募ろうとしたキリハを、ディアラントは緩やかに首を振るだけで制した。
「こっちの事情に巻き込んだのはオレだし、それ以前に、巻き込まざるを得ない状況を作っちまったのもオレだ。キリハがもし事情を全部知りたいって言うなら、オレにそれを拒否する権利はない。でもな……」
ゆらゆらと揺れるディアラントの瞳。
そこに宿るのは葛藤なのか、懊悩なのか、はたまた深い悲しみなのか。
それは、この時の自分にはよく分からなかった。
だけどこんな風に儚げに見えるディアラントは初めてで、何かを言った方がいいと思うのに、何も言葉が出てこない。
戸惑うキリハを見つめて、ディアラントは言葉を紡ぎ続ける。
「知りすぎると、戻れなくなっちまうんだ。キリハがオレの力になりたいって思ってくれてることは知ってる。でも、できることなら守らせてほしい。少なくとも、竜騎士隊の任務が終わって、レイミヤに帰る日までは。」
「ディア兄ちゃん……」
「もちろん、キリハが自分で決めてこっちに来るって言うなら、その時は止めはしないし、思いっきり頼らせてもらうけどな。」
最後にふざけた声で笑う彼を前に、やはり自分は何も言えなかった。
なかなかにえげつない世界だ、と。
あの夜に聞いた、ジョーの言葉を思い出す。
ここから先の情報量は高いと言って、自分が必要以上に知ろうとすることに牽制をかけたジョー。
あの行為の意味は、ディアラントが今言った〝知りすぎると戻れなくなる〟ということに通じているのだろう。
「大丈夫だよ。」
キリハの不安げな表情を和らげるように、ディアラントはその顔に笑みをたたえる。
「ここまでの成果を見せつけられたら、向こうもキリハ相手に武力行使はしてこないだろう。オレも、ちゃんとキリハのこと守る。だから―――笑って?」
自らも笑みを深め、ディアラントは「な?」と首を傾けた。
正直、気持ちは複雑だ。
ディアラントの言葉に嘘はない。
現に今の今まで、自分はディアラントやドラゴン殲滅部隊の人々に、かなり守られていた。
それをありがたいと思う一方で、守ってもらうばかりの現状が歯痒い。
でも、ディアラントやジョーがいる世界は、彼らの力になりたいからといって簡単に飛び込んで生き抜いていけるような、そんな甘い世界ではないのだ。
これまでに聞いた話と経験から、自分がその世界に足を踏み入れることを、ディアラントが望んでいないことも分かっている。
これは、意地やプライドではどうにもならないこと。
「………」
キリハは一度目を閉じる。
「―――分かった。」
そして顔を上げ、ディアラントに笑みを向けた。
「今は、それで納得する。信じてるよ。」
色んなことを知った。
様々な感情に振り回された。
納得するとは言ったが、本当は少し妥協している部分もある。
でも、皆を信じている。
その気持ちだけは最初から、そして最後まで変わりはしない。
キリハの視線を間近から受けたディアラントは、何故かひどく驚いたような顔で目を見開いた。
「……今は、か。本当に、三年後が怖いな。」
肩をすくめたディアラントは、苦笑して息をついた。
「さて、そろそろ時間だ。行こうか。」
「うん。」
差し出されたディアラントの手。
それを、キリハは躊躇いなく握ったのだった。
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