竜焔の騎士

時雨青葉

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第3章 駆け巡る悪意

人生で二度目の衝撃

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 ディアラントからの提案に、キリハはきょとんとして小首を傾げた。


「へ…?」
「まあまあ♪」


 とっさに答えを返せないキリハの腕を引き、ディアラントは群がってくる連中の相手する時のように、中庭へと移動する。
 すると案の定、自分やキリハ目的にやってきていた人々がその周辺に張り込んでいた。


 これは好都合だ。


「はーい。ちょっとキリハと手合せするから、話は後にしてー。」


 ディアラントは一瞬浮かべた含み笑いをすぐに消し、軽い口調と仕草で周囲を遠ざける。


「ディ、ディア兄ちゃん…?」


 キリハが戸惑った声をあげる。
 そんなキリハに、ディアラントはいつもどおりの明るい笑顔を向けた。


「イライラは、早めに発散しといた方がいいだろ。相手してやっから、遠慮なく来い。」


 キリハを中庭の真ん中で開放し、距離を置いて剣を抜くディアラント。


「この前はオレから行ったから、今日はキリハから仕掛けてこいよ。」


 剣を下ろして言うと、キリハはその顔に複雑な色を浮かべた。


「ええぇ…。それって、ディア兄ちゃんに有利なだけじゃん。」


 口では不満を零しつつ、キリハの手はすでに剣のつかを握っている。


「まあまあ。どうせキリハは、すぐにオレの流れに飲まれないだろ?」
「そりゃ、飲まれたら一瞬で負けるもん。」
「ははっ、よく分かってるな。」


 話している間に気持ちの切り替えも済んだのだろう。
 キリハが静かに剣を構える。
 その瞬間、見物人たちの視線が一気にこちらに集中した。


(よしよし、いい傾向。)


 周囲の関心がこちらに集まっていることを確認し、ディアラントは次の一呼吸で、見物人たちの存在を己の五感から断ち切った。
 視界の中心にキリハだけを据えると、キリハも自分と同じように、周囲から己を隔離していることが分かる。


 ただの手合せだからといって、油断は許されない。
 いくら負けなしの自分だって、キリハ相手に集中半分という精神状況で挑むのは危険だ。
 我ながら、とんでもない弟子を育て上げてしまったと思う。


 ごく自然に、互いの呼吸が一致する。
 しん、と静まり返る中庭。


 そこにいる誰もが緊張して唾を嚥下えんげする中、剣を構えたキリハの足がふっと浮く。
 次の瞬間、キリハの体はあっという間に自分の間合いに入っていた。


「!!」


 ディアラントは思わず目をみはりながらも、体が動くままにキリハの剣を横流しにするように受けて、自分も身を翻す。


(おお、さすが……)


 浮かんだ感想はこれだった。


 確かに、キリハに剣の基礎を教えたのは自分。
 だが自分が目をかけて鍛えてきたキリハは、こちらの剣技を模倣するだけにとどまらなかった。


 キリハはこちらと自身の体格や剣筋、得意とする動きの種類がまるっきり違うことを分かっていた。
 だから基本こそ流風剣に沿いながらも、自分の剣筋に合わせてそれを徐々に変えていた。


 それこそ、まるで呼吸をするかのように。


 きっと素人しろうとには、自分もキリハも同じ流風剣の使い手にしか映らないだろう。
 しかし同じ流派を心得ているからこそ、自分とキリハは互いの間に明確な違いがあることを知っている。


 キリハはこちらが教えたものを土台にして、着実に自身ならではの剣技を磨き上げている。
 そして自分と会わなかった間に、ここまで成長してみせている。


 こんな時にと思われるかもしれないが、弟子の成長を全身で実感することができるのは、これ以上もないくらいに嬉しかった。


「ごめんな。オレのせいで。」


 剣が交わる刹那の間に、ディアラントはキリハに向かって言葉を投げかける。


 昔は手合せの合間にこうやって話しかけても、キリハにそれに答える余裕はなかった。
 しかし今のキリハは、こちらの言葉に微かな笑みすら浮かべる。


「ほんと、こっちは散々だよ。」


 初めてしっかりと言葉を返され、ディアラントは内心で驚愕する。


 自慢の弟子とはいえ、まだまだキリハに追いつかれるつもりはない。
 だから今もある程度手加減してキリハと剣を交えているのだが、もうこの程度の手加減でキリハを丸め込めないようだ。


 言葉だけでなく笑顔すらたたえられるキリハの余裕が、これでは満足しないと訴えてくる。


 十八にしてここまでの太刀筋。
 三年後辺りが本気で怖い。


 だが、それでこそ鍛えがいがあるというものだ。


 キリハのことも。
 そしてもちろん、自分のことも。


「本音は、色々と文句言いたいんだけどさ……」


 今度はキリハの方から口を開いてくる。
 先ほどから一度も動きを止めていないのに、その声は揺れることなくしっかりとしていた。


「ミゲルからディア兄ちゃんは悪くないって聞いたし、エリクさんには楽しみにしてるって言われちゃったし。それに、どっちにしろもう逃げられないっぽいし。だったらもう、やるしかないでしょ!」


 素早く繰り出されたキリハの剣。
 その軌跡を見定めた瞬間に、これは流せないと本能が告げた。


 本能が訴えるままに体が動き、キリハの剣を真正面から受け止める。
 すると、剣を掴む右手から肩にかけて激しいしびれが走っていった。


「ってことで、文句は大会が終わるまで我慢する。だから、たまにこうやって相手してよね。」


 キリハは無邪気な笑顔で歌うように言った。


 思わず、動きが止まりかけてしまった。
 それを気取られないうちにキリハの剣を弾き返し、互いに距離を取って一時休戦の体勢に持ち込む。


 全身を雷に打たれたかのような衝撃。
 それは、人生で二度目の経験だった。


(本当に、こいつはもう……)


 体と心をざわめかせる、衝動のような思い。
 それが微かな興奮を伴って、脳へと駆けのぼっていく。


 今目の前にあるものの全てが楽しくて、勝手に顔がほころんでしまう。


「オッケー。じゃあ、オレも少しは本気を出さないとな。しゃべってる余裕がなくなるくらいには、力を入れてやる。」


 そう言ってキリハに剣を向けると、キリハは嬉しそうに笑った。


「望むところ。俺も、ディア兄ちゃんに本気を出させるように頑張る。」


 キリハはこちらの動きを察して、受けの体勢に入る。


 余計なやり取りがなくとも、互いの動きが噛み合う心地良さ。
 それを五感全てで感じ取り、ディアラントは踊るような身軽さで地を蹴った。


 完全に二人だけの世界を楽しんでいた彼らは、その圧倒的な光景に感嘆の息を吐いている見物人たちの存在など、すっかり忘れてしまっていた。

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