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第1章 帰国
師匠はまさかの……
しおりを挟む「たい……ちょう?」
キリハは茫然とした顔で、ミゲルの言葉を繰り返した。
つぶらな瞳でこちらを見上げてくるキリハに、ディアラントはにやりと笑う。
「そ。オレ、隊長。」
「隊長って、今日帰ってくる予定の?」
「うん。」
「ドラゴン部隊の隊長?」
「そうだよ。これからは一緒にドラゴン討伐に参加するから、公私ともによろしくな。《焔乱舞》の使い手にして、竜騎士隊代表のキリハ君♪」
「あ……うん。へぇ、そうだったんだぁ…。ディア兄ちゃんが、隊長……」
徐々に小さくなっていくキリハの声。
場は一時の静寂に包まれ、次の瞬間。
「えええええぇぇぇぇぇっ!?」
中庭に、キリハの絶叫が轟いた。
「おお。予想どおり、いい反応~♪」
「結局、はっきり言われるまで気付かなかったな、この馬鹿は。」
したり顔をするディアラントと、侮蔑の表情すら浮かべるルカ。
この場で目を白黒させているのは、キリハただ一人だった。
「ええ!? みんな、気付いてたの!?」
「そりゃあな。」
「ジョーさんのヒントで、大体想像できてたよ。」
ルカが息をつきながら肩をすくめ、カレンがルカに同意する。
さらに。
「この中で気付いてなかったの、キリハだけ……かな。」
「そうそう。僕も、ここまで言えばさすがに気付くかな~って思ったんだけど……」
サーシャとジョーからは、なんともいえない苦笑が向けられた。
「ええぇ…。そんなの、分かんないよー……」
眉を下げるキリハの頭を、満足そうなディアラントがぽんぽんと叩く。
「相変わらず、頭の方はちょーっと残念みたいだなぁ。」
「うう…っ。それについては、否定できないっていうか。……じゃなくて!!」
キリハは勢いよくディアラントの手を振り払うと、目を丸くするディアラントに向かって不機嫌丸出しの顔を向けた。
「隊長ってことは、帰ってくることをみんなに口止めしてたのって、ディア兄ちゃんってことでしょ?」
「おうよ。驚かそうと思って。」
「もーっ!! そのせいで、俺すっごくもやもやしてたんだから!」
「あーらら。キリハにも勘付かれるレベルって、全然秘密にできてないじゃん。」
ディアラントは暢気に呟く。
「問題はそこじゃなくて!! なんでそんな意地悪したのさ!」
「悪い悪い。抜き打ちでキリハの上達ぶりを見たかったんだよ。師匠としては。」
「ううぅ……」
膨れっ面のキリハは、全然納得できていないようだ。
そんな弟子を前に、師匠は悪びれる様子もなく笑うだけ。
「まあまあ、そんな怒るなよ。お詫びに、今度の休みは好きなだけ練習に付き合ってやるから。」
「ほんと!?」
途端に輝くキリハの表情。
不機嫌そうな顔は瞬時に消え去り、今は期待に満ちた眼差しがディアラントへと注がれている。
「……おい。あいつの知能指数は三歳児か?」
ルカが顔を引きつらせる。
どう見ても、いいように転がされて丸め込まれているだけなのだが、キリハは全くそれに気付いていないらしい。
「まあ、それだけキー坊が、ディアのことを慕ってるってことなんだろ。」
いつの間に見物人サイドに回ってきていたのか、ミゲルがそう口を挟んだ。
「……ったく。じゃれつくのは業務外にしろっつったばかりなのに。車の中でもうるさかったが、生で見る溺愛ぶりは気色悪ぃな。」
ミゲルは苦虫でも噛み潰したような顔をする。
「あれを見るだけで想像できるけど、そんなにすごかったの?」
訊ねたのはカレンだ。
すると、ミゲルだけではなくジョーまでもが遠い目をして虚空を見つめた。
「まあ……ねぇ?」
「実際キー坊が有名だったのって、流風剣の使い手としてじゃなくて、ディアが溺愛してる子供としてだったしな。」
「ディアって、今年で二十四なんだけどさ。浮ついた噂がとんとない分、弟子バカ師匠っていう伝説ばっかり増えてくんだよ。」
「今はキー坊の性格とかを知ってる手前、構いたくなるのは分かるんだが、あれはさすがにな…。んー……お前らに分かりやすく、なんて言えばいいのか…。あっ、分かった!」
ひらめいたとばかりに表情を明るくし、ミゲルはぽんと手を叩いた。
「一言で言うなら、ディアは〝エリク二号〟だ。」
「おい、やめろ!!」
間髪入れずにルカが叫ぶ。
それに対し。
「うっわ、納得。どんな感じか、すぐに想像できたわ。」
「そう、だね。」
すっかり納得した様子のカレンとサーシャである。
一方、そんな外野のことなど気にもせず、キリハとディアラントは未だ二人の世界の中だ。
「おお、そういえば。」
ディアラントはふいにキリハの肩を掴むと、くるりとその体を反転させた。
そしてキリハの服の裾をつまむと、そのまま服をめくり上げる。
「うわ…。これはひどいな。」
ディアラントの顔が、ここで初めて痛々しげに歪んだ。
その視線は、キリハの背中に注がれている。
そこには、先日のドラゴン討伐でキリハが負った傷がある。
傷口はもう塞がっているものの、くっきりと肌に残る傷跡は、当時の傷がいかに深かったかを物語っていた。
「ああ、コレね。もう消えないかもって、先生が言ってた。」
もう過去のことなので、キリハの声はとてもあっさりとしている。
「そっか…。ごめんな。大変な時に、駆けつけてやれなくて。」
ディアラントらしくない、しおれた声。
キリハは大慌てで首を振った。
「大丈夫だって! ディア兄ちゃんが心配してるって話なら、ミゲルとかターニャとかからたくさん聞いたからさ。仕事ならしょうがないじゃん!」
「やっぱり、その二人は色々とフォローしてくれてたんだ……って、ああっ!?」
急にディアラントが大声を張り上げる。
「あ……」
今度は気まずげにそう呟いたまま、その場で固まってしまうディアラント。
そんなディアラントが見つめる先を追ったキリハは、見物人が増えていることに気がついた。
「あ、ターニャとフールだ。」
いつからそこにいたのだろう。
ルカやミゲルたちと並ぶようにして、ターニャとフールがじっとこちらを見つめていたのである。
「ディアラントさん。」
ターニャが静かに口を開く。
「長い間、ご苦労様でした。おかえりなさい。」
「あ……はい。ただいま戻りました。」
冷や汗が浮かぶ空笑いで、ディアラントはターニャにそう返す。
「ちなみに、報告書はできていますか?」
「はい。全部できています。」
「では、私の執務室まで提出しに来てください。色々と、お話も聞きたいので。」
「はい。今すぐ行きます。」
ディアラントの返事を聞くと、ターニャはくるりと背を向けて建物の中に入っていってしまった。
キリハは首を傾げる。
「あれ? なんか、ターニャ怒ってる?」
朝の浮つきが嘘のようだ。
一体、何があったのだろう。
「やっべー…。車の中までは、覚えてたんだけどなぁ……」
「ディア~? キリハが可愛いのは分かるけど、優先順位を間違えちゃだめだよ~?」
ふわふわと飛んできたフールがディアラントの肩に乗って言うと、ディアラントの頬がさらに引きつった。
「いや、予定ではね……ちゃんと報告書を出してから、キリハをおちょくりにいくつもりだったんだよ? ただ、報告書よりも先にキリハを見つけちゃったもんだから……」
「はーい。言い訳しなーい。」
フールはディアラントの頬をぺちぺちと叩いて、彼の言葉を遮った。
「それより、早く行ってくる! ……あれ、多分長いよ?」
「……うっす。心して、こってり絞られてきます。」
ようやく腹をくくったらしいディアラントは、最後にまたキリハの頭をなでてから、ターニャを追って建物の中に入っていった。
「さてさて、これからまた一波乱……かな?」
キリハの肩に飛び移ったフールは、さっきの口調とは裏腹に足取りの軽いディアラントの後ろ姿を眺めて、そう呟くのだった。
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