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第4章 暗闇の中に
厳しい叱責
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キリハが倒れてから、一ヶ月ほどの時が流れた。
キリハが背中に負った傷は、慎重な治療の甲斐もあって順調に回復している。
しかし彼の意識は戻る気配がなく、依然として昏睡状態が続いていた。
宮殿本部に漂う空気は暗い。
誰かがキリハの元へ足を運び、見舞いの品でキリハの病室が賑やかになっていくのとは対照的に、皆の心はじわじわと追い詰められていた。
以前はよく飛び交っていた〝きっと大丈夫〟という前向きな言葉も、ここ数日はとんと聞かなくなった。
ここまで日が経ってしまうと、皆疑わずにはいられないのだ。
もしかしたら、キリハはこのまま目覚めないのではないか、と―――
「それでは、昨日の報告をお願いします。」
ターニャが言うと、情報部を代表して席を立った男性が書類を片手に報告を始める。
もう見慣れた、毎朝の光景。
事務的なやり取りがされる中、ターニャと男性以外の面々は口を開かない。
真剣に報告に聞き入っているのかといえば、それは違う。
配付された資料に目を落としてはいるものの、皆の目は疲れ切っていて、どこか現実を見ていないようだった。
いつもの流れに従って、会議は淡々と進んでいく。
皆人形のように黙して椅子に座り、ただこの時間が終わるのを無為に待っていた。
「議題は以上ですが、何か連絡事項がある方はいますか?」
ターニャは会議室を見回す。
返ってくるのは沈黙だけだ。
誰もが机に視線を落とし、口を閉ざしている。
そんな状況を確認し、ターニャは深く溜め息をついてみせた。
ゆっくりと腰かけていた椅子から立ち上がり、再度室内に目を向ける。
「では私から。―――皆さん、キリハさんに依存しすぎではありませんか?」
ターニャの口からキリハの名前が出されると、ここで初めて会議室の中に微かなざわめきが生まれた。
だがそれだけだ。
皆、ターニャの指摘に反論できないのだろう。
多くの人間は、気まずげに息を飲んで視線を逸らしている。
「確かに、キリハさんの存在は大きかったといえます。戦力としても、皆さんの心の支えとしても。ですが―――たかが一人の欠員に、ここまで狼狽えてどうするのですか?」
その一言が言い放たれた瞬間、会議室に大きなどよめきが広がった。
「ちょ……ちょっと!! たかが一人って…っ」
騒然とする室内に一際大きく響く、椅子が倒れる音。
思わず立ち上がっていたのはカレンだった。
その隣では、サーシャが顔を真っ青にして絶句している。
しかしターニャはそれに動じることなく、次の言葉を紡ぐために口を開く。
「竜騎士隊の皆さんは、仕方ないと思います。同じ部隊でキリハさんとの関わりも深かったでしょうし、そもそもあなた方は民間人です。私共の考えを理解しろとは言いません。ですが、他の皆さんは違うでしょう?」
彼女にしては珍しく、その口調には明らかな厳しさが含まれていた。
「あなた方は今、なんのためにここにいるのですか? 軍に身を置いている以上、いつ誰がこうなってもおかしくないことは、十分に理解しているはずでしょう。それを受け入れる覚悟もできていないような方々ではないと思っていましたが、私の買い被りすぎだったのでしょうか。それとも、塞ぎこんでいればキリハさんが目を覚ますのですか?」
ざわめいていた室内が、途端に水を打ったように静まる。
ターニャの言葉は辛辣だ。
しかし、同時に否定する余地もないほどの正論でもあった。
その証拠に、この場にいる誰もが口を開くことができずに固まっていた。
衝動的に立ち上がったカレンも返す言葉が見つからないらしく、その場に立ち尽くすばかりだ。
そんな中。
カタ…
微かな音。
全員の視線が集まる。
「申し訳ございません。」
皆の注目を浴びる中、ミゲルは深く頭を下げた。
「部隊の落ち度は、上官である私に責任があります。隊長が部隊を離れている今、副隊長である私が部隊の士気を維持しなければなりませんでした。私の監督不行き届きです。」
謝罪するミゲルに対し、ターニャは眉一つ動かさなかった。
「ミゲルさん。あなたの己の非を認める姿勢は、私も受け止めましょう。ですが私は神官として、今のドラゴン殲滅部隊に現場を任せることはできません。このままだと、次の犠牲は昏睡どころでは済まないでしょう。そうなってしまっては、皆さんをかばったキリハさんの行動が無駄になってしまいますよ。」
「ご忠告、痛み入ります。」
ミゲルはあくまでも、ターニャの言葉を静かに受けている。
そんなミゲルを見やる面々の視線は同情的だ。
ここにいる人間は、気丈に冷静を装っているミゲルが、誰よりも自分を責めていたことを知っている。
ミゲルとキリハの二人だけで判断した結果が、キリハの怪我に繋がったことは否めないからだ。
あの時にキリハを送り出さなければ、キリハはこんなことにならなかったのかもしれない。
そう思って、ミゲルが己の行動を悔いていることは周知の事実であった。
それでもミゲルは今、皆を代表してターニャに頭を下げている。
これが、上に立つ者の責任なのだろう。
ターニャはしばしミゲルのことを見つめていたが、ふとした拍子にもう一度溜め息を吐き出した。
「ともかく、今はこうして会議をしても意味がありません。明日から三日、朝の会議を中止します。各々、自分の責務を振り返っておくように。各部の代表者はその三日間、午前九時に私の執務室まで報告書を提出しに来てください。以上です。」
ターニャはそう告げると、重たい空気に満たされている会議室を後にした。
キリハが背中に負った傷は、慎重な治療の甲斐もあって順調に回復している。
しかし彼の意識は戻る気配がなく、依然として昏睡状態が続いていた。
宮殿本部に漂う空気は暗い。
誰かがキリハの元へ足を運び、見舞いの品でキリハの病室が賑やかになっていくのとは対照的に、皆の心はじわじわと追い詰められていた。
以前はよく飛び交っていた〝きっと大丈夫〟という前向きな言葉も、ここ数日はとんと聞かなくなった。
ここまで日が経ってしまうと、皆疑わずにはいられないのだ。
もしかしたら、キリハはこのまま目覚めないのではないか、と―――
「それでは、昨日の報告をお願いします。」
ターニャが言うと、情報部を代表して席を立った男性が書類を片手に報告を始める。
もう見慣れた、毎朝の光景。
事務的なやり取りがされる中、ターニャと男性以外の面々は口を開かない。
真剣に報告に聞き入っているのかといえば、それは違う。
配付された資料に目を落としてはいるものの、皆の目は疲れ切っていて、どこか現実を見ていないようだった。
いつもの流れに従って、会議は淡々と進んでいく。
皆人形のように黙して椅子に座り、ただこの時間が終わるのを無為に待っていた。
「議題は以上ですが、何か連絡事項がある方はいますか?」
ターニャは会議室を見回す。
返ってくるのは沈黙だけだ。
誰もが机に視線を落とし、口を閉ざしている。
そんな状況を確認し、ターニャは深く溜め息をついてみせた。
ゆっくりと腰かけていた椅子から立ち上がり、再度室内に目を向ける。
「では私から。―――皆さん、キリハさんに依存しすぎではありませんか?」
ターニャの口からキリハの名前が出されると、ここで初めて会議室の中に微かなざわめきが生まれた。
だがそれだけだ。
皆、ターニャの指摘に反論できないのだろう。
多くの人間は、気まずげに息を飲んで視線を逸らしている。
「確かに、キリハさんの存在は大きかったといえます。戦力としても、皆さんの心の支えとしても。ですが―――たかが一人の欠員に、ここまで狼狽えてどうするのですか?」
その一言が言い放たれた瞬間、会議室に大きなどよめきが広がった。
「ちょ……ちょっと!! たかが一人って…っ」
騒然とする室内に一際大きく響く、椅子が倒れる音。
思わず立ち上がっていたのはカレンだった。
その隣では、サーシャが顔を真っ青にして絶句している。
しかしターニャはそれに動じることなく、次の言葉を紡ぐために口を開く。
「竜騎士隊の皆さんは、仕方ないと思います。同じ部隊でキリハさんとの関わりも深かったでしょうし、そもそもあなた方は民間人です。私共の考えを理解しろとは言いません。ですが、他の皆さんは違うでしょう?」
彼女にしては珍しく、その口調には明らかな厳しさが含まれていた。
「あなた方は今、なんのためにここにいるのですか? 軍に身を置いている以上、いつ誰がこうなってもおかしくないことは、十分に理解しているはずでしょう。それを受け入れる覚悟もできていないような方々ではないと思っていましたが、私の買い被りすぎだったのでしょうか。それとも、塞ぎこんでいればキリハさんが目を覚ますのですか?」
ざわめいていた室内が、途端に水を打ったように静まる。
ターニャの言葉は辛辣だ。
しかし、同時に否定する余地もないほどの正論でもあった。
その証拠に、この場にいる誰もが口を開くことができずに固まっていた。
衝動的に立ち上がったカレンも返す言葉が見つからないらしく、その場に立ち尽くすばかりだ。
そんな中。
カタ…
微かな音。
全員の視線が集まる。
「申し訳ございません。」
皆の注目を浴びる中、ミゲルは深く頭を下げた。
「部隊の落ち度は、上官である私に責任があります。隊長が部隊を離れている今、副隊長である私が部隊の士気を維持しなければなりませんでした。私の監督不行き届きです。」
謝罪するミゲルに対し、ターニャは眉一つ動かさなかった。
「ミゲルさん。あなたの己の非を認める姿勢は、私も受け止めましょう。ですが私は神官として、今のドラゴン殲滅部隊に現場を任せることはできません。このままだと、次の犠牲は昏睡どころでは済まないでしょう。そうなってしまっては、皆さんをかばったキリハさんの行動が無駄になってしまいますよ。」
「ご忠告、痛み入ります。」
ミゲルはあくまでも、ターニャの言葉を静かに受けている。
そんなミゲルを見やる面々の視線は同情的だ。
ここにいる人間は、気丈に冷静を装っているミゲルが、誰よりも自分を責めていたことを知っている。
ミゲルとキリハの二人だけで判断した結果が、キリハの怪我に繋がったことは否めないからだ。
あの時にキリハを送り出さなければ、キリハはこんなことにならなかったのかもしれない。
そう思って、ミゲルが己の行動を悔いていることは周知の事実であった。
それでもミゲルは今、皆を代表してターニャに頭を下げている。
これが、上に立つ者の責任なのだろう。
ターニャはしばしミゲルのことを見つめていたが、ふとした拍子にもう一度溜め息を吐き出した。
「ともかく、今はこうして会議をしても意味がありません。明日から三日、朝の会議を中止します。各々、自分の責務を振り返っておくように。各部の代表者はその三日間、午前九時に私の執務室まで報告書を提出しに来てください。以上です。」
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